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嘘まみれの恋

 

  「え?」


 テノールの声が耳から脳に入り反響した。子供の頃聞いた声とは別物だった。今の君の声だ、固まった君の髪は灰色だった。しかし、光が反射して所々が白飛びしている。


  「その髪、太陽に当たって反射して輝いてる、綺麗」


 きっと綺麗なのだろう。あの日見たままの輝かしい髪だ。忘れられない色彩だ。


  「あなたが下の門の前で話してる所を、上から見かけたの。その時思った」


 そして君に二度目の嘘をついた。窓の下から門など見えないのだ。下は桜の木が生い茂って地面を隠している。


 柄にもなく緊張している。心臓が痛いくらい跳ねて息が詰まりそうだった。君が目の前にいるなんて嘘みたいだ。子供の頃の十分程度の会話が今の私を作っているなんて笑い話もいい所だ。それだけで好きになって願望を叶えるために行動するのは醜い人間の証だろう。


 そして、息を吸った。


  「初めまして、新藤蒼也くん」


  「何で名前知ってるの」


  「隣の席だったから覚えたの」


 三度目の嘘だった。初めましてではない。ずっと昔、君が憶えていないであろう子供の頃に会っているのだ。今日のような桜流しの春の日に私たちは出会っているが、今の君には必要のない事だろう。

 思い出して欲しいのは勿論だが、憶えていなくても構わないのだ。私の中で重要な出来事であったとしても、それを強要する気はない。


  「私は立波緋奈。一年間よろしくね、新藤くん」


 零れ出たのは心からの笑みだった。こんなにも自然に笑顔が出てきたのは初めてかもしれない。


  「え…立波緋奈」


  君の表情が固まって私の名前を反復した。もしかして、憶えていてくれたのだろうか。淡い期待が頭をよぎるも君は席に座ってしまったから憶えてはいなかったのだろう。つい三十秒前まで憶えていなくてもいいと思っていたくせに、いざ予兆が現れると期待をしてしまう自分が馬鹿らしかった。


  「あー、えっとよろしく。立波。ところで一つ質問してもいい?」


  「ええ、どうぞ」


  「あのさ、立波はさ、何で成績もトップで困ることないのに普通クラスに落ちてきたの?」


 君は頬杖をつき首を傾げながらこちらを向く。大方矢田くんにでも聞いたのだろう。


  「ああ、勉強する必要が無くなったから。それだけだよ」


 勉強する必要はなくなった。この一年で成績が落ちようが、留年が決まろうが私には関係のない話だ。


「家が厳しかったから、今まで学生らしい事は何一つ出来なかったの。だからどうせなら普通クラスに入って、こう、好きな事したいなと思って」


  「お嬢様の反抗みたいなものか」


  「お嬢様ではないけど。まあ反抗って言うのは正しい表現かな」

 

 人生最初で最後の我儘を聞き入れてくれた両親には感謝しているが、反抗と言うのもあながち間違いではないだろう。


  「ほら席に着けーホームルーム始めるぞー」


 教室のドアが開くと同時にジャージ姿の大柄な男性が入って来る。体育教師の阿部先生だ。あまり関わる機会がなかったためどんな人だろうと思ったが、既に顔馴染みの生徒は多いようで、その一人である矢田くんは不満の声を上げていた。


  「えええーまた阿部ちゃんかよー」


  「なんだ嬉しいだろう、矢田」


  「全然嬉しくないっす」


 そう言った彼がこちらに小さく手を振るので私も軽く手を振り返した。そういえば彼は私と知り合いであるという事を君に言っているのだろうか。言っていても言わなくても、どちらでも構わないのだが勘違いされるのは嫌だと思った。


 教室の皆が二人のやり取りを見て笑っていた。その光景がとても新鮮だった。進学クラスは基本ピリピリしていて全体が笑うなんて事はなかった。先生は皆堅苦しく真面目な人ばかりでジャージ姿なんて以ての他である。


 初めての光景を目の当たりにして世界が輝いているように見えた。私はこれから死に向かい、失うばかりの一年だというのに、思わず口許が緩むのを感じた。



 授業終了のチャイムが鳴り響く。早々に立ち上がった君は一瞬にして帰宅準備をしていたので思わず声をかけてしまった。


  「早いね」


  「いや、翔に捕まったらあいつが部活行くまで付き合わされるから」


  「仲良しね」


 君に続いて教室を後にする。その事実は知っている。君の事は散々聞かされたのだ。


  「仲良いというか腐れ縁というか」


 階段を下り下駄箱で靴を履き替え外に出た。春特有の生ぬるい風が頬を掠めていく。私は何だか嬉しくて笑ってしまった。


  「立波ってどこに住んでるの、俺と一緒の方向なの?」


  学校前の長い坂道を隣り合わせで下っていく。雨水に濡れた桜を踏む度に靴が音を鳴らした。


  「隣町の東雲町。バス使ったり歩いたりかな。でも30分くらいで着く距離」


  「俺白藍町。すぐ近くじゃん」


  「新藤くんは徒歩?」


  「そう。二十分弱で着くけど時間ない時は自転車かな」


 まさか君と下校する日が来るとは想像も出来なかった事態だ。余裕そうな表情を保ってはいるが内心はかなり緊張している。


  「桜、散ったな」


 私は思わず立ち止まった。


  「立波?」


 坂道の途中、頭上も地面も桜の中振り返った君が綺麗だった。この瞬間を閉じ込めて目に焼き付けたかった。けれど、それはもう出来そうにもない。


  「…桜を散らしていく雨の事、何て言うか知ってる?」


 先程期待をしてしまった自分の心が君に思い出せと言う。口から出た言葉はあの日教えた正解を待ち侘びていた。


  「それ昔誰かに教わった…えっと---」


  「桜流し」


 瞬間、風が私達の間に吹き花びらが宙を舞う。秒速五センチメートルでひらひらと落ちていく中で君は指を鳴らした。納得した表情で歩き始める。私はその後ろを追った。


  「それだ」


  「咲き誇った桜を散らす雨。素敵な名前だよね」


 言葉だけは憶えていてくれたらしい。誰から教わったかまでは憶えていなかったみたいだけれど、今の私にはそれで充分だった。


  「でも桜流しって表現は綺麗だけどちょっと悲しいよね」


  「まあ。桜好きなの?」


 その言葉に反応して君を見た。いつの間にか隣に並んだ歩幅は、君が私の歩みに合わせてくれた証だった。

 嬉しくて、悲しくて、誤魔化すように笑みを浮かべた。


  「好きだよ。大事な思い出があるから」


 大嫌いだった花は一つの恋で美しいものと変わってしまった。現金な人間だ。


  「そっか」


 君は空を仰ぐように天に向かって手を伸ばす。


  「白いけどな、桜」


  「…そう?」


 白い。桜は薄桃色だ。私の目にも映っている色彩だ。つまり、君の最初に消えた色はこれだと確信が持ててしまった。ああ、こんな所で知る羽目になるとは思わなかった。


  「おう、やけに白く見える」


  「…そっか、あ、私こっちだから」


 十字路の左を指差して笑った。


  「じゃあ、また明日」


  「うん、また明日」


 別れ際舞った桜が、あんなにも残酷に感じたのは初めてだった。


 次の日の朝、隣の席には君がいなかった。


「新藤ー?休みか?」


 私は顔の向きを変えて窓の外を見つめたが、正門なんて見えやしない、この嘘はいつばれるだろうか。

 来ないという事は黒の手紙が君の元に届いたのだろう。無彩病患者にだけ渡される真っ黒な封筒だ。あの封筒を見た瞬間、そんなに露骨にしなくてもいいだろうと思ったのは新しい記憶だ。


 春先に発症して真っ白な桜を見続けなくてはいけないというのは、一種の拷問に近いだろう。外に出る度死を確信する。私は君に会わない限り死を身近に感じる事はない。そのうち世界の全てが白黒になるが、死への恐怖はまだ出てきそうにもなかった。


 死にたくないと思った事が無かった。いつだって自殺願望の塊みたいな私は自傷行為に走る事は無くとも生きている意味を見いだせなかった。ずっと、やりたい事なんてなかったのだ。死ぬと分かったから行動に出たが、知らないままであれば絶対に私は動かなかっただろう。


「立波、蒼也知らない?」


 お昼休みを迎えた頃、矢田くんは君の席に座って話しかけてきた。


「矢田くんが知らないのに私が知っていると思う?」


「昨日話してたから、仲良くなったのかなと思って」


 予想はついているが何も知らない人間に話してもいい話題ではないだろう。昨日話したと言っても軽い談笑程度だ。二度目の初めましてだとしても、私は君の事を知らなさすぎる。いくら矢田くんから話を聞いていたとしても、君本人から君の情報を聞いているわけではないのだ。


「隣の席だったから」


 そんな中教室の扉が開いて灰色の髪が見えた。私が声を漏らすと同時に跳び上がった彼はそのまま登校してきた君に抱き着いた。


「蒼也ーー!!」


「痛っ!!おいこら翔!」


 あまりの衝撃に耐えられなかったのだろう。君は床に倒れ、持っていた鞄の中身は散乱した。その様子に心の中で可哀想にと呟いた。


「蒼也が来なくて俺大変だったんだぞ!理科の実験は同じ班の蒼也がいないから失敗しまくったし!」


「いや、知らんわ」


「英語はまさかの当たって蒼也という答え提供がないから立たされたし!」


「それお前のせいだろ」


 ふと、鞄の中身を拾い集めている君を見て黒い封筒が目に入ってしまった。


 持ってきている。意外にも君は抜けている事が分かってしまった。普通ならあの手紙を通学鞄の中に入れて持ち歩くなんて正気の沙汰ではないし、万が一見られたらどうするというのだろう。そして封筒が教卓前に置かれたゴミ箱の隙間に滑り込んだ事に気が付いていない。


 君は立ち上がって自分の席に着く。封筒はそこに落ちたままだった。さすがに見て見ぬ振りをする事は出来なくて、トイレに行くついでに封筒を手に取って制服の胸ポケットにしまった。さて、どうやって返そうか。おかげで午後の授業は集中出来なかった。


 考えた末に放課後の教室で君を待つ事にした。君は遅刻の理由を聞くために先生に呼び出されていた。多分帰り際にでも封筒がない事に気付くだろう。特に予定もないので完全下校の時間まで気長に待つ事にした。


 陽が傾いて空が真っ赤に染まった。変わりゆく空が綺麗で読んでいた本を伏せ窓際に立った。雲は紫がかっている。


 この夕焼けを後何度見られるのだろうか。色彩がなくなれば、こんな風に感動する事もないのだろうか。少なくとも本を読む事を止めて立つなんて行動は出来なくなるだろう。それが少し寂しくもあった。


 夕焼けに目を奪われていたその時、背後から勢いよく扉が開く音がした。振り返った先にいた君は息が上がっていて額に汗が浮かんでいる。きっと走って来たのだろう。気づくのが遅いんだからと呆れてしまった。


「立波…」


「新藤くん、どうかしたの?」


 夕焼けが教室を包み込んだ。


「ああ、ちょっと落とし物して」


 私は胸ポケットから封筒を出す。右手の人差し指と中指の間に挟んだそれを数回揺らした。


「落とし物ってこれ?」


 一瞬にして君の顔に絶望が浮かんだ。


「なんで…」


「ゴミ箱の裏に落ちてたの。今日はお昼過ぎから誰もゴミ箱に近づいてない。だから、見たのは私だけ」


 一歩一歩君に近づく。その手に封筒を握らせて一歩離れた。手が震えていた。迫り来る死の恐怖を私以上にしっかりと感じていた君を見て、私は君が無彩病だと認めたくなかったのだという事に気付いた。


 どんなデータにも間違いはある。だから父の部屋で見た死への宣告が嘘ではないかと思った。しかし、桜が白いと言ったから、真っ黒な封筒を手に持って絶望を浮かべて私を見るから、本当なのだと納得してしまい言いようのない感情に襲われた。


「やっぱり、あなたも無彩病なんだね」


 どんな表情を浮かべていいのか分からなくてただ笑った。私は死ぬ事に恐怖を感じていないのに、君は痛いくらいそれを感じているから、同じ立場なのにこうも違うのかと思ってしまった。私の人間性は難ありなのかもしれない。


 少しの沈黙の後、君は突然声を上げて笑い始めた。


「何だよ、誰かに言うのか?」

 

「言わないよ、言ってほしくないんでしょ」


「何だよそれ、同情でもしてんのかよ」


 ああ、私が君の分まで背負えたら良かったのに。君の病まで背負って君の知らない所で死ねたら良かったのに。


「何て言えばいいんだろう…」


 何でも言えるのに、本当に言いたい事だけはこの口が裂けても言えなかった。


「お前には!関係ないだろ!お前には!見える色が見えて!死の恐怖なんてない!!!」


 死の恐怖はない。まだ芽生えていないだけなのかもしれない。けれど、君の髪色が見えなくて寂しくて堪らない私がいるのは本当だった。


「怖いの?」


「ああ怖いよ!!毎日毎日つまらないって、ずっと思ってたけど!でも死にたいなんて願ったわけじゃない!!!」


 同じだ。心の中で頷いてしまう。日常に価値なんて見出せなかった、いつ死んでも構わないと思っていた、しかし死にたいと言ったわけでもなかった。


「そう…」


「それとも何だよ!優しい立波は俺に同情して死ぬまで付き合ってくれるの?」


 その言葉に私の心が動いた。最低な事を思いついてしまった。もしばれてしまったなら言い逃れが出来ないほど、最低な行為だ。出逢いさえも必然にしてしまうほどに君が好きだから出来る事だ。


 ああ、馬鹿みたいだ。私はどうしようもない人間らしい。愚かで醜くて最低で傲慢な人間だ。


「いいよ」


 唇が動いた。


「え?」


 最後の一年、嘘をつき続けて君の隣で死ぬために。君のためではなく、私の願望を叶えるために。


「なってあげる、彼女」


 一歩、また一歩。窓に背を向けて私は君に近づく。そして目の前で止まり、君を見上げた。


 吹き荒れていた風が、止んだ気がした。


「あなたが死ぬまでの365日間、私はあなたの彼女になるわ…蒼也くん」


 襟を引っ張って唇を重ねた。


 ファーストキスだった。こんな私でもファーストキスの理想はあって、相手からしてほしいなんて淡い妄想もあったものだ。しかし、今私はこのキスを誓いを封じ込める手として使った。


 最低で嘘まみれの恋だ。


 君の言葉を逆手に取って願望を叶えた最低な私は、嘘で塗り固められた契約のような恋が、君だけを傷つけなければ良いと思っていた。


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