十二時は越えられないの王子様
私達の恋は12時を越えられない。
いつもと違う、騒がしい校舎と色付いた人々、時折すれ違う生徒達は髪の色を染めていて、いかにもお祭りという雰囲気が溢れ出ていた。
私の、最初で最後の文化祭が幕を開けていた。
「祭りだー祭りだー!」
嬉しそうに綿あめを片手に持ち笑う彼女は、この雰囲気にとても馴染んでいた。
「楽しそうね」
「楽しいよ、緋奈は楽しくないの?」
「楽しいけど、あまりこういう雰囲気に慣れてないから」
正直、こういう雰囲気には慣れていなかった。楽しいとは思うけれど、騒げるかと言われればそれは違うと思う。廊下の窓から見た景色は人が溢れかえっていた。沢山の色で作り上げられた世界、君と私には白黒に見える苦痛しかない世界だ。
「にしても、蒼也と周らないで里香といて良かったの?」
「いいの、今日は里香ちゃんと周る日だから」
「やだ、嬉しいー」
抱きしめてきた里香ちゃんに、私は微笑んだ。
君と踊ろうと手を差し伸べた日、結局周りの視線に耐えられず踊る事が出来なかった。きっと本物のお姫様だったら何か変わったのかなんて思ってしまった自分もいた。
「一時からだよね」
「そうよ」
「絶対見に行くからね」
「ありがとう、緊張するわね」
「大丈夫だよー、あ、てか矢田が王子って笑えるよね」
「そうかしら?」
「だってあんなに黒い奴が王子ってさ」
ツボにはまったのか、笑い続ける里香ちゃんに矢田くんが可哀想に感じた。
「でも似合ってたわよ、衣装は」
「衣装はって…」
事実、衣装は確かに似合っていた。ただ、肌の色は何も言わない。彼の日焼けはまだ、良くなりそうになかった。
不意に、遠くに君の姿が見えた。
「あ、あれ蒼也と矢田じゃない?」
私達は距離を詰めていく。後ろから驚かそうかなんて、そんな事を考えていたら、聞こえた矢田くんの声に私の足は固まってしまった。
「あ、蒼也そこのやつ取って」
「いやどれだよ」
「そこの、赤いやつ」
赤いやつ。
彼らの目の前には色とりどりのラムネ瓶が並んでいた。きっと色鮮やかに沢山の色があるのだろう。私には灰色に近い。
赤いやつ。
君の目が、顔が、真っ青になっていく。私はハッとして足を進めた。
急げ。急げ。急げ。
ばれてしまう。私達の秘密がばれてしまう前に。君の隠していた事が、隠したかった事がばれてしまう前に。
「蒼也?」
真っ青な顔で手を伸ばしかけた、その先は灰色の瓶。
「これ?」
私は何食わぬ顔で見えない色を掴む。
「おお、それ、サンキュー立波」
笑って誤魔化して気のせいにした。
賭けだった。灰色を長く見ていたから、濃度で何となくわかっていたけれど、それでも正解かは分からなかった。君の顔は苦虫を潰したかのようで、私は何だか泣きそうになった。
十二時五十分。
深呼吸をした。舞台の上でたった一人、幕が上がってしまえば演技は始まってしまう。孤独を感じた。クラスメイトは声援を送ってくれるけれど、こんな大役を任されたのは初めてだった。緊張なんてしていない振りをする。沢山つき続けた嘘のおかげで、私は演じる事が上手くなったらしい。
ふと、今日までの事を思い出した。君への想い意外、演じ続けている自分は、いつか、全てが灰色になる日が来たとしても演技を続けられるだろうか。
君に、友達に、皆にばれないままで、嘘をついたままで貫き通せるだろうか。先程、灰色の瓶を手に取った時から、私の心の中では焦りと恐怖が込み上げていた。
「貫かなきゃいけないの」
例え何を犠牲にしたとしても、私はこの意地を、嘘を最期まで隠さなければいけない。最早、何故隠しているのかも分からなくなってしまった。言ってしまえば破滅を選べた。
もう何もかも分からなくなってきてしまった。嘘は思考までおかしくさせるらしい。
それでも一つだけ、変わらない事がある。
「君が好きだよ」
たとえ、世界の誰からも後ろ指を指されようとも、たった一つだけ変わらない。
死の足音は一歩ずつ、明確に、鮮明に耳に近づいてくる。恋は盲目で、愛は偉大だ。私をここまでおかしくさせた。好きだと言っただけで、死の足音さえも心地よく聞こえる。隣にいるだけで、この先の破滅が温かなものだと錯覚させられる。
私は目を閉じ、耳を澄ませた。
「本番もうすぐだよー!!」
その声に、ゆっくりと目をあけた。皆がスタンバイをしている。舞台袖にいる君を見れば、どこか表情が硬かった。
私は笑う。
ああ、君が好きだ。どんな表情でも、君が好きだ。大好きだ。
死の足音が近づく度、狂気染みていくこの想いも、この嘘が、もう呪いのように私を縛っていても、この物語の終着点が、報われる事がないと決定していても、それでも。
「ただいまより、2-Bによる---」
アナウンスが始まった。後三十秒もすれば、この幕は上がる。舞台の袖、私の王子様にガッツポーズをしてみた。君は笑い軽く手を上げる。
一秒一秒を握りしめろ。この時はもう来ない。涙は最期まで我慢しろ。今というこの瞬間に、自分の名を刻み込め。この幕が上がった先にいる人々の記憶に焼き付けて、私達が存在したという証拠を刻んでやりたい。
灰に被った人生だった。良い事なんて何もなくて、ただ虐げられるだけの日々。
それでも人生に転機というものは訪れるもので、魔法にかけられてドレスは空色。お城までかぼちゃの馬車で、王子様に会いに行く。
「シンデレラ、君の名はシンデレラ」
君は私に手を差し出した。
私はその手を取ろうとする。しかし、それはもう一人の王子に遮られ、叶う事はなかった。
二人の王子は舞踏会にやって来たシンデレラに恋をする。
人気者で愛され上手な王子とクールで不器用な王子。
矢田くんと君にそっくりの王子。
シンデレラは愛され上手な王子と踊った。ワルツは優雅に、ドレスを揺らして。しかし、彼女が見ていたのは不器用な王子。舞踏会の終わりの方、十二時になる前に連れ出されたバルコニーで君と私は二人きり。
差し出された手に、私は驚き笑う。
ゆっくりと君の手を取り、笑う。
「王子様、どうか貴方の名前を教えて下さい」
けれどそれは叶わぬままで、十二時の鐘が鳴る。
「ごめんなさい!」
私は走り去る。階段でガラスの靴を落として、それでも振り向かず走り去る。君はその靴を拾った。そして探し出すと心に誓った。
しかし、その靴を再び履く事は出来ない。
演じながら私はシンデレラにあるまじき考えを抱き続けた。
ねぇ、十二時を越えたいの、シンデレラ。このままでは私達はロミオとジュリエットになってしまう。どうかお願い、王子様。私を十二時の先へと連れて行って欲しい。報われない結末だと分かっていても、私の幼い思考回路は、貴方とのハッピーエンドを望んでいた。
結局、シンデレラが結ばれたのは愛され上手の王子だった。
心の中では不器用な王子を愛していたのに、彼は来る途中で事故にあって亡くなってしまう。悲しみの果てに、シンデレラは彼と結婚し永遠を誓うのだ。
「永遠に君を愛し続けるよ」
「私もよ」
嘘だ。私には無理よシンデレラ。そんなに簡単に終わる恋なの?簡単に切り捨てられる愛なの?私は、不幸になっても君と居たい。
死んだのは君が演じた王子。
目の前には矢田くんが演じた王子様。
ああ、おとぎ話の中でさえ決められた末路なんてとんだ皮肉だ。
私の心の中で、雨が降り注いだと同時に大歓声が沸いた。
皆が嬉しそうにハイタッチを交わす。閉じた幕の先からは鳴りやまない拍手が聞こえる。上がった息は少しずつ元の速度に戻っていく。噛み締めていたのは感動では無かった。
「お疲れ、立波!」
「お疲れ様矢田くん」
舞台の上、興奮した彼が嬉しそうに声をかけてくる。私は愛想笑いを繰り返して、この劇をやり遂げた達成感を装った。分かっていた結末だった。台本を渡されて手に取ったその時から、私と君はこの舞台の上では結ばれる事がないと、それに関して、お互いに笑いながら冗談交じりにからかってきただろう。
なのに、何で、今こんな気持ちになるのだろう。
君があんなにも悲しそうな顔で笑ったからか、私の表情も曇ったからか。花火が打ち上がったあの日に伝えられた言葉は涙が出るほどうれしかったのに、今では始まりと同じように、私達を縛る枷になってるのだろうか。そんな考えが頭に浮かんでは消えていくから、悲しくなって私は君を探した。どうかその声で安心させてほしい。私達は一緒にいていいのだと。例えそれが誰もが望むハッピーエンドでなかろうと、この恋は祝福されていいものだと教えて欲しい。
視線の先、舞台の袖で君は立ちすくんでいた。
「蒼也くん」
早く君の声を聞かせてほしい。この不安になった心を溶かして欲しい。
「どうかしたの?」
君は慌てて作り笑顔を浮かべた。その瞬間、何かが壊れた気がした。
「何でもない」
「そう?」
それに気が付かない振りをして、私は笑う。
「お疲れさま、格好良かった」
「そっちこそ」
「撤収するよー!」
誰かが言ったその声に、皆が動き出す。私は君の手をとって走り出した。
「はあ!?どこ行くんだよ!」
「良いから!!」
周りの静止なんて気にも留めず走り出す。私は今にも泣いてしまいそうだった。階段を駆け上がって、駆け上がって、あの場から逃げ出した。あのまま舞台にいたら、私たちは壊れてしまいそうだった。涙を流して、君が死にたくないと言ってしまいそうだと思った。それに対し、私はごめんねとしか言えないと思った。
壊れた音がしたのだ。きっと君も気が付いた。私達の辿り着く結末が、報われないままのものであると突きつけられた。くだらない、三流の台本に自分たちを重ねた。
階段の段差に躓いて、ガラスの靴が片方脱げてしまう。それを取りに戻ろうとする君の手を引く。
「拾わないで」
「何でだよ」
「拾ったら私、シンデレラになっちゃう」
「シンデレラだろ」
「いいから」
もう片方の靴を脱いで、階段下に投げ落とす。君は驚愕の表情を浮かべていた。
「おい、壊れたらどうするんだよ」
「いいわ、あれ強化プラスチックだもの」
お願いだから拾わないで欲しい。今までも、これからも、君はそれを拾わないで、捨てて欲しい。
「ガラスの靴なんかじゃない」
拾わなくたって、私達の恋は繋がるから、落としたものを拾う時間なんてない、何を落としても、犠牲にしても足を止める時間はもうここに存在しない。
靴は拾えない。拾わなくとも生きていける。ガラスは落としたら割れてしまう。けれどこれは偽物だ。原型のないくらいバラバラになって欲しい。そしたら私は君の元まで裸足で駆けて笑えるはずだ。
向かったのは空き教室だった。
「いきなり何なんだよ」
君も私も息が上がっていた。ここまで足を止めず走ってきたせいだ。私は深呼吸をして息を整える。ふと、足元に視線を感じた。
「窮屈だったの、ちょうど良かったわ」
足をブラブラさせ、かかとを見せる。サイズの合わない靴は私の足に靴擦れを作っていた。ほら、シンデレラじゃないだろう。
「踊りましょう」
「はあ?」
私は手を差し伸べる。君は酷く困惑していた。
私達はシンデレラのようなおとぎ話を作れない。ロミオとジュリエットのように、愛の為に死ぬわけでもない。それでも最期に思い出すのが君だったなら、この物語は幸せな物語だったと語られるのかもしれない。どうしたって幸せになれる事のないこの物語を始めたのは私だ。幕を開けたのは私、幕を引くのも私だ。それなのに、悲しくて辛くて、泣き叫んで嘘を言ってしまいそうなくらい、隠し事を言って君の胸で泣き叫びどこかに消えてしまいそうなくらい、壊れてしまいそうだった。
「踊りましょう?って」
いきなり何だよと君は呟いた。
私は気にせず君に手を伸ばす。君はその手を取るのを躊躇った。
「意味が分からないんだけど」
「そのままの意味だけど」
表情を変えず、私は君と向き合った。
「いや、だから何で…」
「私、シンデレラじゃないの」
「は?」
疑問をぶつけてきた君をよそに私は話を続ける。お願い、私はもう限界だ。
「ガラスの靴は似合わないし、階段に片方だけ落とす事なんて出来ない。十二時は永遠に越える事は出来ないし、好きでもない人と踊る事なんて出来ない」
そう、越えられないのよ、私の王子様。君は私が十二時を越えられると思って疑わない。けれど、私も君と同じで越えられない。私だけしか知らない。私たちに、十二時の先は用意されていない。
「王子が死んでしまったなら私もその後を追う。だって私はおとぎ話のお姫様ではないから」
「それだとロミオとジュリエットだよ」
何を言うんだ、今更だろう。私の涙腺が緩むのが分かった。けれど、ここで泣いてはいけない事も分かっていた。
「私たちの恋って、そうでしょ?」
君の目が見開かれた。
「悲劇で終わっても、私は貴方の隣にいたい。今日、あの舞台で、あの歓声の中そう思ったの。台本通りよ、ええ間違いなく。でも、私はシンデレラなんかじゃない。貴方は王子様なんかじゃない。ただの高校生。何かを変える強さも持ち合わせてはいない、ただの高校生」
この物語と、私達の恋の終わりが重なった事を君も気付いた。だからこそ、必死に否定して、見ない振りをしているなんて、馬鹿みたいだ。
私はシンデレラなんかじゃない。嘘をつき続ける事には変わりはないけど、死んでしまう事には変わりない。君は王子なんかじゃない。永遠に知らないままには変わりはないけど、死んでしまう事には、変わりない。
君は私の手を取って、もう片方の手で腰を支えた。
ティアラは投げ捨てた、纏うのは空色のドレスたった一つだ。薄汚れた裾、傷だらけの足、汚れたままの心で私たちは向き合った。どうしようもない現実と、変わらない愛を抱きしめた。
「踊ろう」
何も言えなかった、返事すら返せなかった。だって今にも泣いてしまいそうだった。何があったなんて言わないで、気が付かないままでいて、知らないままで先を信じていて欲しいなんて強欲だ。
例えば、君の病気が無かったなら。
『私は一人で死んでいた』
例えば、私が死ぬ事を知らなかったら。
『この想いは一生隠したままだった』
例えば。
例えば例えば例えば。
何度も脳内で自問自答を繰り返し、一つの答えに辿り着いて、私は自分自身を嘲笑ってしまった。分かってしまったのだ。今まで私が、何かと言い訳して先延ばしにしていた嘘をついた理由を、ようやく理解出来た。一緒に死にたかったから、利用したかったから、一人が寂しかったからじゃない。
君と一緒に死にたくなかったのだ。
私が無彩病だと言ってしまえば、私達の選択肢の中に心中が出来てしまう。全てに絶望して、心までもが朽ちてしまう。破滅が一番だと、笑顔でその選択を取ってしまうだろう。けれど、そうはなりたくなかったのだ。私はただ、普通の女の子になりたかった。君の隣で、笑う幸せを味わいたかった。
誰よりも君の死に顔を見たくなかった。
私達が病気だったから。
『狂ったような形だったけれど、君と再び出逢う事が出来た』
私が死ぬ事を知っていたから。
『君の隣で普通の女の子になろうとした』
『誰かを愛する事が出来た』
空き教室で、何度も何度も唇を重ねあった。まるで貪るように口を重ねる君に、私は目を瞑って答えるだけだった。共に踊った円舞曲は、夢幻かと思えるくらい、悲しくて優しい時間だった。
最後の文化祭が、終わりを告げた。




