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桜流しと初恋の君

366改稿版です。ある程度まとめて出すので細かいページ設定はないです、ご了承ください。

またあらすじ欄にも書いてある通り、本作は書籍化された自作「僕と君の365日」のアナザーストーリーです。片方だけでもお楽しみ頂けますが、本編はあっちなので気になったらあっち読んでください。

よろしくお願いします。

 

 最初に出会った日を今でも鮮明に思い出せるのは、君が世界を変えたからだろう。灰色に染まって意味のなかった視界を、君が鮮やかに色づけてしまったのだ。だから私は最後まで君の隣にいたい。視界が白黒になって死ぬ瞬間まで。


 君を愛し続けよう。




 僕と君の366日の嘘



 君に会ったのは八歳の年だった。春の温かな午後、ピアノ教室の帰り道で迎えに来てくれるはずの父から遅れると連絡が入っている事に気付いた私は、ピアノ教室の先生に迷惑をかけるわけにもいかず、その連絡に短い了承の言葉だけを返した。時間になっても迎えに来ない父に気付き、先生は私に問いかけたが首を横に振り嘘をついた。


『今日は待ち合わせしてるので』


 思い返せば私は可愛げがなく嘘つきな子供だったと思う。父が遅れる事を話し教室で待たせてもらえばよかったのだが、どうにも迷惑をかけたくなくて嘘をついた。敬意を込めて話す敬語は、大人と距離を置くために話すようになっただけのものだ。張り付けた薄っぺらい笑みに人は皆騙された。物心ついた時から、子供らしい子供の生活を送ってはこなかった。


 課された事をこなし、与えられたものを受け入れる、親の期待に応えるための人形のような物だった。同学年の友人は少なく、多くの習い事をこなしているせいで友達付き合いも悪く、裏ではよく陰口を言われていた。最初こそ不快に思ったが、繰り返される似たような言動に心が動く事もなくなり次第に陰口は止み、人から距離を取られるようになった。


 友人と遊ぶ事に憧れはあったものの、時間はなく、また人に好かれるような立ち回りが出来るはずもなく。私の幼少時代はいつだって一人だった。友人と遊んだと言えるような思い出は片手で数えるくらいしかなかった。


 桜が咲いて季節が変わったが、私の世界は変わる事のない灰色のままだった。

 弱冠八歳。世界に諦めを抱いていた三月の終わり、吹き荒れた桜吹雪の世界が私を変えるとは思いもしなかったのだ。


『水縹公園にいます』


 父にメールを送りブランコに座りながら空を仰いだ。雲一つない快晴だ。昨夜の雨は満開に咲いた桜を散らし地面に絨毯を作っていた。淡い薄桃色が大嫌いだった。春になれば桜は必ず人々に愛されるのだ。人々はそれに浮かれ空を仰ぐ。ワンシーズンと言えど国中の人間から愛される花を好きになれなかったのは、嫉妬心からだろう。


『立波さんはいいよね。お家はお金持ちだし可愛いし』


『何でも出来るしねーあーあずるいな』


 不意に、先日言われた言葉を思い出して頭を振った。医者の父、美しい母、愛される妹。そして自分。人はないものねだりだから妬み嫉みを買うのは多かった。言われても私は何も返せない。生まれてくる家は選べない、顔だって選べない、何でも出来るように見えるのは、何でも出来るように努力してきたからだ。しかし、人付き合いだけは致命的だった。


 イライラしながら足元に溜まった桜の花びらを蹴り飛ばす。大体私だってピアノがやりたかったわけではないのだ。同じ音楽をやるのならヴァイオリンがしたかった。しかし、母の望みを叶えなければと思ってしまった私は差し出されたピアノ教室のチラシを笑顔で受け取ってしまった。ちなみに妹は我儘を言ってヴァイオリンを習っていた。


 自分が悪いと言えばその通りなのだけれど、期待に応えたかった故の行動だった。しかし始めて見ればどうだ。可もなく不可もなく、褒められる事もなかった。こんな事になるなら、ヴァイオリンがしたいと駄々をこねればよかった。現に、妹は大して上手でもないのに褒められていた。


 勉強も習い事も、出来て当たり前だと言われ続けてきた。その言葉は確実に私の精神を削っていた。出来なかったら駄目、しかし出来ても当たり前。これ以上は何もなかった。ただ一言褒めてくれるのならそれで良かったのだが、それが無理だという事はこの短い人生で身に染みてしまっていた。


 溜息を吐きながら遠くを見る。遅れるという事は妹のヴァイオリン教室のお迎えだろう。同じ時間に違う場所で音楽を習っているのだが基本私は後回しだ。今更文句を言うつもりもないが、この胸のしこりは消えてはくれなかった。


 叶う事なら桜の木になりたかったと思う。一年に一回必ず皆に愛される大嫌いな桜の木になれたのならどれだけ良かっただろうか。そんなくだらない事を考えていれば、視界にサッカーをやっている同い年くらいの子供達が目に入った。皆笑って楽しそうにボールを蹴っていた。


「いいなあ」


 零れた本音は風が攫っていく。私には永遠に関係のない事だった。


 ボールがこちらに転がって来たので拾おうとして立ち上がるが止まってしまった。拾って何と言えばいいのだろう。私も入れてなど言える訳がない。サッカーなんて出来ない。泥だらけの服を見られたなら確実に怒られてしまうだろう。


 悩んだ末ボールを拾う事を諦めた私は再び元いたブランコに座る。一人の男の子が走ってこちらに向かってきた。その子はボールを拾い去っていくと思っていたのだが、私に声をかけてきた。


「お前何してるの?」


 お前という言葉に私は自分を指差す。その子は首を縦に振った。ぶっきらぼうな声だった。色素の薄い髪が陽の光を集めてキラキラと輝いていた。子供達の中でリーダー的な存在なのだろうか。妙にしっかりした雰囲気を纏っていた。


「お迎えを待っているの」


 視線を外しその声に答える。


「でも一時間くらいずっとここにいるだろ」


 そんなに時間が経っていたのか。私は時計を見る。男の子が言った通り、ピアノ教室が終わってから約一時間が経ってしまっていた。


  「お父さん、お仕事忙しいから」


 嘘だ。多分妹が駄々をこねて時間がかかっているのだろう。しかし、目の前にいる男の子と話をしたくはなくて目を逸らした。第一印象は苦手なタイプだった。


 ふーん、という声が聞こえた後足音が聞こえたので去ったのだろう。私は息を吐いて顔をあげた。その時だった。突然。地面から足が離れた。驚いてブランコの鎖を握り、膝の上に乗せていた手提げ袋を抱える。座っていたはずのブランコの両端に靴が見えて着ていたワンピースを思わず引っ張る。


「いきなり何するの!」


 声を荒げて頭上を見れば、立乗りで私のブランコを漕ぐ男の子と目が合った。


「やっとこっち見た」


 笑った男の子の頭上に桜の花びらが降り注いで木々の間から色素の薄い髪を輝かせた。一瞬で世界が色付いた。まるで絵画のように切り取られた一瞬は私の脳に焼き付いた。


「新藤蒼也。お前は?」


「立波緋奈…」


 眩しくて仕方がないにも関わらず、私はずっと頭上を見上げていた。視界には青空と散りゆく花弁、輝く髪に君の笑顔。心臓が高鳴ってどうしようもなかった。時間にして五分も満たないであろうその邂逅は、私の人生を変えるきっかけとなった。


 恋をすると世界が変わるなんてよく言うがそんなものは有り得ないと思っていた。世界は変わらない。人が一人死んでも、紛争で多くの人々が命を落としても、何も変わらず夜は更けて朝を迎える。残酷だなと思っていた。人が死んでも死ななくても、地球は回り続けるし衛星は地球の周りを旋回して星を映し太陽を隠して月を照らす。結局私達は地球という星に住み着いただけの下等な生物なのだ。その生物が死んだ所で衛星周期は変わらないし変えられもしない、奇跡すらも起きやしない。星の瞬きにすら満たない一生を過ごす下等な生物が恋をした所で世界は変わらない。


 そう思っていた。


 文字通り私の世界には暖かな春風が吹き、灰色だった世界は豊かな色彩を描き始めたのだ。寝ても覚めても君の事ばかりだった。習い事は身に入らず、問題を解く手は止まり、桜咲く窓の外を眺め、散らなければいいのにと願うようになった。つい先日まで桜が嫌いだと言っていたくせに酷い変わりようである。

 心臓は激しく脈を打ち、苦しみを紛らわすように溜息を繰り返す。帰り道の足取りはいつの間にか軽くなり、いつもより周りを見るようになった。こんなにも浮足立ったのは初めてだった。


 帰り道、少しだけ遠回りをして水縹公園の前を通る。そこには君が友人達と一緒にボールを蹴っていた。その様子を木の陰から見つめる事しか出来なかったのは、この気持ちの正体を私がまだ気付いていなかったからなのか。


 キラキラ輝いていた。陽に透ける髪も、滴る汗も、泥だらけの姿も。誰かをこれほどまで綺麗だと感じたのは初めてだった。君の周りだけ世界が輝いていて心臓は高鳴り続けた。声をかけようとして止めたことは何度あったか分からない。しかし、忘れられていたらと不安になり声をかけられずに時間だけが過ぎ去った。そのうち桜は散り、季節は移ろいを変えた。君は変わらず公園で遊んでいた。そんな事を何度か繰り返している間に、ふと一人の子が目に入った。短い髪を靡かせた快活そうな女の子だった。その子は君にいつも笑いかけていて誰よりも近くにいた。


 君の一言に一喜一憂する彼女を見て、その感情の意味を知る。赤の他人から見ても分かるような態度だった。君に話しかけている時だけ、その子の笑顔は花が咲くように美しくなっていた。


「好きなんだ」


 何気なく呟いた一言に胸が締め付けられた。不思議に思って胸の前に握りこぶしを作って叩いてみる。その痛みは消える事は無く、何度も締め付けるだけだった。彼女と話す君は楽しそうで、私は声をかける勇気を捨てた。今更何を話せばいいのかも分からなくなった。


 私は恋をしていた。


 笑いあう二人を見て、ゆっくりと帰路につく。ぽっかりと空いた胸の穴に何を埋めればいいのかも分からずアスファルトを眺めていた。その日から、私はあの公園に寄るのを止めた。


 そして四季は何度も繰り返され、中学生になった。


 お姉ちゃんだから我慢できるよね?という言葉は耳にたこが出来るくらい聞いてようやく受け入れられるようになった。一瞬だけ色づいた世界は灰色に戻り、君を知る前と同じ日常を続けていた。特にやりたい事もなく、叶えたい夢もなく、親の敷いたレールの上を走り続けた。


 ある朝、教室に入ると男子たちが騒いでいた。どうやら隣町で事故があったらしい。隣町の中学生が巻き込まれた交通事故は、死者が出たわけではないのにも関わらず大事になっていた。話を聞くに巻き込まれた男子は二人。どうせ不注意で道路に出て巻き込まれたのだろう。私には関係のない事だ。そう、思っていた。


 名前を聞くまでは。


「事故に遭ったのって白藍中の新藤と矢田だろ?」


 教室にて窓の外を眺めている時、それは聞こえてきた。


「え、新藤って白藍中サッカー部エースの新藤蒼也?」


「そうそう、強すぎて勝てなかったあの新藤」


 新藤蒼也。聞き覚えのある名前だった。私が隣町の男子の名前を知っているなんて不思議だ。交友関係が狭いためである。しかし、その名前は大事な名前の気がした。遠い昔、もう思い出す事も難しくなってしまった名前だ。そういえば、桜の季節にその名前を聞いた気がした。遠い昔の春の日にボールを蹴っていた蒼色の名が入っていた、輝く髪の少年はきっとそんな名前だった。


「いや新藤さ、怪我しちゃって…」


「その話、詳しく聞かせて」


 気付けば私は立っていて、その話をしていた男子達に詰め寄っていた。


「た、立波…?どうしたの?」


「突然ごめんなさい、でも今の話教えてくれるかしら」


「新藤の知り合いだったの?」


「…そんなところ」


 嘘はついてない。一度だけの邂逅だが、知ってはいる部類に入るだろう。


「えっと、事故にあって一緒にいたやつを庇ったらしくてさ。俺試合でよく話してたから知ってるんだけど、この前あいつ部活辞めたんだって。理由が事故に遭った時に膝を怪我したみたいでさ、リハビリすればボールを蹴られないわけじゃないみたいなんだけど」


「新藤凄い強かったのにな。あいつ強化選手とかに選ばれてたくらいだし」


「なんだけどなあ」


 あの春の日、ボールを蹴っていた男の子は、私の世界を変えてくれた男の子は、蒼色の名前が入っていて輝く髪を持った男の子は、私が恋をした男の子だった。


 気付けば私は教室を飛び出していた。季節は二月。頬を掠める風は痛いくらいに私を襲う。それでも構わず走り続けた。まだ桜の咲かないあの場所へと全力疾走で向かった。


 上がった息は上空で白く染まる。鼻が痛い、耳が痛い、気管が苦しい。それでも着いた先に君を探した。視界の先で暖かそうなコートを着た少年が、松葉杖をついている。その髪色に見覚えがあった。姿は随分と変わってしまったが、間違いなく君だった。


 話しかけようとして立ち止まる。君の足元、薄汚れたサッカーボールが転がっている。蹴ろうと足を動かして、空ぶってを何度も繰り返していた。君は諦めてベンチに腰掛けた。その目はあの日のように、輝いてはいなかった。


 私の足元、風に揺られたボールがやってきた。


 あまりにも虚しい場面を見てしまった私は何も言えなかった。涙が溢れそうだった。自分には関係のない話であったのに、絶望を映したその瞳があの日の君とはかけ離れていたからだ。


 使い古されたそのボールを持ち上げてみる。軽いボールになぜか重みを感じた。君はこちらに気が付かず拾いにも来なかった。


 絶望を体現するのなら、今の君のような形をしているのだろう。私はただ、君を見つめる事しか出来なかった。かける言葉一つすら思いつかない自分が嫌になった。


 私は、今まで何をしてきたのだろう。他人と一線を引いて、両親の期待に応えるために必死に頑張ってきた。しかしそれだけであった。こんな時隣で寄り添い悲しみを共有する事も、救いの言葉すら見つけられない。何も出来なかった。圧倒的な絶望を抱いた君の前で、圧倒的に無力の私は立ち尽くす。あの日芽生えた恋心は消えたはずだった。しかし、今君を見てどうしようもなく涙が出そうだった。その手を取って大丈夫だと声をかけてあげたかった。けれど、そんな事出来るはずもなかった。


 ボールを君に向かって転がしてその場を去る。何も出来ない私は君から離れる事しか出来なかった。


 ***


 いくつかの冬が過ぎ、季節は春を迎えていた。今日から高校生になった私は真新しい制服に袖に腕を通す。汚れ一つないブレザーはまだ身体には馴染んではいなくて、動く度に軋む音がした。


「行ってきます」


 返事を待たないまま外に出た。街は薄桃色に染まっていて風と共に桜が舞っている。桜は変わらず春を彩っていた。入学式に向かう生徒の中に紛れ歩く。歩く度に刺さる視線に気づかない振りをして靡く髪を抑えつけた。歳を重ねる毎に成長していった身体とこの顔は、どうも他人の目を惹きやすいらしい。妹に言わせたら自分は可愛いと言うのだろうけど、生憎そんな事思った事も無かった。けれども高校生ともなれば、見た目の格差が浮き彫りになってくるのもまた事実だった。


 良い方なのだろう。集まった他人の視線が冷たいものではないのだから。でもきっと、ここにいる誰よりも私は人間味が無いのだろう。今だって刺さる視線、好奇の目にすら関心がない。


 あれから三度目の桜を眺めながら、何度も幼い頃のあの日を思い出す。何度も、あの輝く髪を思い出す。そしてくすんでしまった瞳を思い出す。記憶の中の君は絶望を体現したままで止まっていた。もう二度と会う事もないのに、何故か頭は君でいっぱいだった。


 胸元のネクタイを締め直して舞台に立つ。


「新入生代表、立波緋奈」


「はい」


 新入生代表。何て面倒なのだろうと思いつつ前に出て白い紙を広げる。進学クラスで一番の成績を取った人間が壇上に立たなくてはならないシステムに溜息をついた。紙に書き綴った綺麗事を述べながら上手になった愛想笑いを浮かべた。


 入試の際、トップで試験を通過した私を悔しそうに見ている次席の男の子が目に入る。変わってあげたいくらいだ。むしろ変わってほしい。黒縁の眼鏡に細い骨ばった身体を見て、ああ、あの人の方がずっと格好良かったと思った。今はどこにいるのだろう。何をしているのだろう。きっとずっと成長している。素敵な女の子を捕まえてどこかで平凡な幸せを送っているのかもしれない。あの日の悲しみも消し飛ばしてくれるような子の隣で笑っていてくれたならそれで充分だと思った。


 ***


 それは九月に入った頃の事だった。相も変わらず私は一人で、進学クラスの雰囲気に馴染めずにいた。時折普通科の生徒を見ては、羨ましいなと思うくらいで友達は出来そうにもなかった。この状況は今に始まった事ではないが、高校生になって進学クラスという事もあってか悪化した。皆自分よりも成績がいい人間が嫌いなようだ。妬み嫉みの対象となった私に、特定の友人が出来る事はなかった。


 そんな時、ある人に声をかけられた。


「立波緋奈」


 廊下を歩いている際自分を呼ぶ男性の声が聞こえて振り向く。そこには日焼けした肌と短い髪が印象的な明るそうな少年がいた。


「あーやっぱり!!立波緋奈だ!!」


 笑いながら歩いてくる彼に、私は戸惑いを隠せなかった。私の知り合いにこんな人はいないはずだ。


「…どこかでお会いしましたか?」


「してない!!でも俺は知ってる!普通科で噂されてたから」


「噂…?」


「そう、中間も期末も相変わらず首席の超絶美人なのに超冷たくて絡みにくい立波緋奈って」


「それけなしてませんか」


「後半は確かに馬鹿にされてるよな」


 慣れ親しく話してくるこの人は同じ学年の普通科に所属する生徒なのだろう。こんなにも距離が近い人と会うのは初めてで思わず眉間に皴が寄ってしまった。


「あ、ごめん名乗って無かった。俺C組の矢田翔!サッカー部で既に選抜入りを果たしてます!」


「後半の自己紹介は要らなかった」


「突っ込んでくれた…無視されるかと思ってた」


 矢田翔と名乗った彼は握手を求めて手を伸ばしてくる。私はその手を一瞥して握ろうか迷ったが止めておいた。矢田という苗字はどこかで聞き覚えがあった。


「いやー蒼也にも突っ込まれたんだよね、その紹介いらねえだろって」


「蒼也?」


「ああ、俺の大切な友達、新藤蒼也」


 新藤蒼也。思い出した。彼はあの人と一緒に事故に巻き込まれた人だ。そして今彼が言った名前は。


「俺の大事な親友なんだ。クラスも同じ」


「…新藤…蒼也」


 君の名前だった。


「もしかして知り合い?」


 驚きを隠せないまま固まってしまう。まさか、同じ学校に君がいるとは思わなかったのだ。もう会えないだろうと思っていた。しかし、何の因果だろうか。


「違うわ」


 嘘をついた。知ってはいる。しかし知り合いと言っていいかは定かではないだろう。彼はつまらなそうに相槌を打った後わざとらしく咳払いをした。


「なんだ。で、立波、本題に入っていい?」


「ええ、どうぞ」


「俺と付き合ってください」


「頭までおかしな人なのね、貴方は」


 思わず本音が零れた。正直、高校生になってから告白されたのはこれが初めてではなかった。しかし、こんな軽く言ってくる人間は初めてだった。


「いや、俺は本気だ。立波を見た瞬間から好きなんだ、これはもう一目ぼれなんだ」


「知らないわそんなの」


「俺は俺の直感を信じてる。だから俺と付き合ってください」


「拒否するわ、さようなら」


 私は背を向けて歩き出す。これ以上構っていたらろくな事にならないだろう。こういった人間は無視するのが一番だ。ほどほどに距離を空ければ諦めてくれる。しかし、彼は諦めなかった。


「知らない人間と付き合うわけないでしょう。ちょっとは考えて」


「サッカー部期待の星、矢田翔聞いたことない?」


 サッカー部期待の星、自分で言うものなのだろうかと心の中で突っ込んだが面倒なので口にはしなかった。しかし、サッカー部に格好良くて上手な一年生がいるとはクラスで聞いた事があった。


「そういえばクラスの女子達がキャーキャー言っているのを聞いたけど私にはその良さが分からないみたい。それに貴方女の子をとっかえひっかえしてるって言われてるの知ってるの?」


「あ、それについては否定しない。俺は確かに告白してきた女の子と付き合っては別れてを繰り返してる」


「尚更最悪じゃない、有害ね」


 史上稀に見る最低な人間かもしれない。近づくのもよした方がいいだろう。眉をひそめてもう一度歩き出す。しかし彼は距離を詰めてきた。


「でも俺が惚れたのはこれが初めて!!」


「信じられないわ。信じても貴方の事は好きになれないけど」


 階段を降りる。いまだついてくる彼と小さな応酬を繰り返していた。


「それとも何、好きな人でもいるの」


 その言葉に足が止まった。私は振り返って彼と目を合わせる。確かに整った顔立ちの人だった。騒がれるのも分からなくはない。しかし、私には君の方がずっと格好が良かった。


「いるわ」


 思い出すのは輝く髪。太陽のような笑顔。絶望を宿した瞳。


「だから貴方とは付き合えない」


 忘れられないのは、今でもまだ好きだからだ。誰かと幸せになっていてくれればいいと思いながら、その役割を担いたいと思ってしまうのは、彼のように一目惚れしてしまったからなのだろう。


 彼は黙って俯く。すると突然うめき声を出して顔を上げたかと思えば私に向き合った。


「振られたの初めてなんだけど」


「そうなの、それで?」


「うわあ冷たい…。じゃあさ、普通に友人になってよ。俺立波と話して見たかったんだよね」


「…それだったら構わないけど」


 九月。階段の踊り場にて知り合った人は随分と軽い人間であったが、悪い人ではなかった。それからというもの、矢田翔という人間は私の日常に関わってくるようになった。進学クラス校舎は遠い。普通科の校舎とは渡り廊下でつながっているだけの離れだ。そのため普通科の生徒に会う事は少ない。わざわざ、こちらに来ない限りは。


「お、立波おはよー」


「わざわざ渡り廊下で待ち伏せしないでくれるかしら」


 渡り廊下の先、扉の所に寄りかかって手を振っている彼に思わずため息が出た。季節は冬なのに、彼は薄手のカーディガン一枚を羽織っているだけだった。


「サッカー部の朝練終わりでさー。立波学校に来るの早いんだな」


「家にいたくないから早めに出るの」


「…反抗期ってやつ?」


「貴方と同じにしないでくれる?」


 反抗なんて出来た試しがない。いつだって私は敷かれたレールを歩くだけの人形だ。


「どうした?具合悪い?」


「悪くないわよ、どうして?」


「思いつめすぎは身体に悪いぞ」


 彼は何も知らないのに、全てを知っているような顔で渡り廊下の壁から校庭を見つめている。馬鹿なのに、私より馬鹿なのに、運動しか出来ないのに。私に告白してきたのにも関わらず彼は女の子をとっかえひっかえしていた。多分話題だったから声をかけてきただけなのだろう。そこに思慕がないのはもう気づいている。

 真っ赤になった鼻、口元から吐き出される白い息が、どうしてか似合っているような気がした。本来なら夏の暑い日差しの下で笑っているような人だが彼は不思議なくらいに冬の朝が似合った。


「風邪引くわよ」


 私はポケットに入れていたカイロを出して彼の真っ赤になった鼻に押し付ける。


「どうせ貴方の事だから私がここに来るまで待ってたんでしょ。下心が丸見えよ」


「はは」


「何笑ってるのよ」


「いや」


 彼は笑いながら鼻にカイロを押し当てた。嫌いではないが好きでもないだろう。友人関係とはこういった物の事を指すのだろう。


「立波は蒼也に似てるよ」


「え…」


 突然出てきた名前に驚いてしまうが、彼は気づきもせず話を続けた。


「何で立波の事気になったんだろうなって思ってたんだけど、今分かった。立波は蒼也に…俺の友達に似てるんだよ」


「貴方は…そのお友達の事が好きなの?」


「いやさすがにラブの方ではないけどね?そういう誤解よくない」


「だって貴方がそんな事言うからでしょ」


「確かに言ったけどさ」


 カイロを顔に当てながらまた校庭を見つめる彼はとても寂しそうだった。きっと誰も知らない、彼の弱い部分なのだろう。いつもは中心にいるような人間なのに本当はいつだってそれを怖がっているような、そんな人だと思った。


「蒼也も立波も、いつか消えていなくなりそうで怖い」



 その言葉に私はなにそれ、と言って笑った気がする。消えていなくなるなら、それが分かっていたら何をするかと彼と二人で話した。彼は女子更衣室を覗きたいという最低な望みを口にしたのでしばらく口を利かなかった。私は何をするだろうかと考えたが、答えは出てきそうにもなかった。


 しかし、今。この瞬間、答えを出さなくてはならなくなるとは思いもしなかった。三月末、桜が咲き始めた春休みのある日、私は父の部屋を訪れていた。父の部屋の本棚に入っている小説が読みたかったからだ。紅茶を入れて窓を開け、桜を楽しみながらゆっくりとした休日を過ごすはずだった。


 そのパソコンを見るまでは。


 父は医者だった。今世界で流行している、無彩病という名の病気を研究している。無彩病とは、視界からある一色が消え、約一年をかけて視界が白黒になり死に至る病だ。原因は不明。父はその治療と研究に携わっていた。


 無彩病に恐怖した世界は学校や会社などの機関で一年に一回のペースで色彩感知テストを行うように義務付けた。パソコンの画面上に現れる色を見て、見えれば○、見えなければ×をつけるだけの簡単なテストだ。その結果は父の元に届く。リスト化されたその結果は、無彩病患者の名前を記していた。


 これは見てはいけないものだろう。個人情報に関わる問題だ。私はその前を通り過ぎて本を手に取るはずだった。


 視界の先、よく知った名前を見つけるまでは。


「え…?」


 思わず足を止めた。その画面を注視して指でなぞる。二人の名前が書かれていた。


 新藤蒼也 04/07

 立波緋奈 04/06


 仲良く並んだその二つの名前は、どちらも私が良く知る名前だった。隣に並んだ数字に思わず笑いが込み上げた。これは何だろう。私の知る限りでは死の時間だ。息が止まると推定されている瞬間の時間だ。


 突然告げられた死の宣告に私は笑ってしまった。生きていたいわけではなかった。死んでもいいと思っていた。変わらない日常が繰り返されるのなら、いっそ息を引き取った方がよほどいいと思った事もある。しかし、これは何だ。


 散々期待に応えるために頑張ってきた。願望が無くなるまで言う通りにしてきた。しかし、もう時間がない。記された時間は約一年。死へのカウントダウンが始まってしまった。


 これが最期だ。私は何がしたい?


 不意に矢田くんとの会話を思い出した。いつか消えていなくなると分かっているのなら何がしたいか。私はその時、何も思いつかなかった。頭を捻って考えても、何も出て来なかったのだ。本当はしたかった事が沢山あったはずなのに、特にないと思っていた。しかし、今これを見てからやりたい事が思い浮かんで仕方がない。


 俯いたその時、脳裏には幼い頃の君の笑顔が浮かび上がった。


 顔を上げて涙をこらえる。そうだ、あった、一番やりたい事があった。私は君と話してみたい。また君の笑顔が見たい。あの日と同じ何の屈託もない笑顔の君が見て笑いたい。


 扉が閉まる音がする。振り返ればそこに父が立っていた。何も言わず真実を見た娘を見ていた。


「お父さん」


 夢は叶わない事がほとんどだ。君がすぐ近くにいるのにも関わらず、話す事が出来なかった。憶えているかと問いかける事も出来なかった。


 けれど今、それが間違いであった事を知る。夢は叶わない。そんなものただの言い訳だ。少なくとも、私の夢は一つくらい叶うだろう。私が動かなかっただけだ。恐れていただけだ。話そうと思えば話せる、笑わせようと思えば笑わせられる。忘れてしまったなら、いつか思い出してくれればいい。


 きっとこれが最初で最後のわがままだ。


「…何だ」


 父の声が震えている気がした。


「私、進学クラスを辞めて普通科に下がるわ」


 画面を見て君の名前をなぞる。脳裏に浮かぶのは、いつだって初めて会った日の君だ。


「…やりたい事があるのか?」


「あるわ!」


 私は笑いながら振り返る。父は涙を堪えていて、その姿が珍しくて眉を下げた。


「もう一度、笑わせたい人がいるの」


 記憶の中で生き続ける君の笑顔は一瞬にして絶望を宿す。


「私はそのうち、空の色が分からなくなる。木々の色も花の色も。愛する人が照れ笑いした、その赤く染まった表情さえ見えなくなる」


 沢山見てきたはずだった。灰色だと思っていた世界はいつだって色づいていた。しかし、ここから本当に灰色になっていく。好きだった青空がこの視界から消えるまであと何日だろう。名前に入っている緋色が見えなくなるまでどのくらいかかるだろう。耳元に刺した赤いピンを、きっとすぐに認識出来なくなる。


「だから、私は最期まで愛する人の隣で彼が見る世界を見ていたい。世界がモノクロームに支配されるその日まで、これが私のわがままだ」


 私は父を見て笑う。こんなにも心から笑った日があっただろうか。こんなにも父の目を見て言えた事があっただろうか。残り一年で死んでしまうのに私は初めて生を受けたかのように楽しい気持ちでいっぱいだった。


「私は今から365日分、自分の為に生きるわ」



 桜が咲いている。いつかは視界から消える色。君にはもう見えないであろう色だ。窓際二列目、前から五番目の席からは窓の下は桜に邪魔されているせいで真下にある校門すら目に入らない。それでもきっと、あの髪は輝いているはずだ。


 遠くから矢田くんの声が聞こえる。ああ、彼も同じクラスだったなと思いながら耳を澄ませた。扉を乱暴に開いた音がして、入ってきた彼と一瞬目が合った。彼は嬉しそうな顔をしたが友人たちの元へ駆けていった。


 君が近づいてくる音がする。そういえば私は何の色が見えなくなったのだろうか。それだけは父に確認をしなかった。実際目で見た方が早いだろうと思ったからだ。しかし、私の視界に入る色は皆色づいている。


 足音が止まった。私は隣を見る。そこには君が立っていた。こちらを見て固まっている。あの日よりもずっと精悍な顔つきで、伸びた身長で、私を見降ろしていた。そして、ある一点を見て私が見えなくなった最初の色に気付き思わず微笑んでしまう。


 ああ、神様は意地悪だ。世界で一番綺麗だと思っていた君の髪色を最初に奪うなんて。


 その瞳はまだ、これから訪れる絶望を知る前であった。


 そして、私は最初の嘘をついた。


「ねぇ」


「え?」


 久し振りに会った君に溢れ出る愛おしさが微笑みとなった。


「あなたの髪色、綺麗ね」


 もう見えるはずもないその色を思って。


 これが私の最期の一年の始まりだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしいです。 本編のほうも買わせていただいて読んだのですがずっと涙が止まらないほど感動しました。 [一言] 優衣羽さん これからも頑張ってください!
2021/10/30 11:24 サッカーさん
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