僕とアカリ (3)
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美術館への最寄り駅に着いて、近くの公園まで歩いて行くと、彼女は驚いた顔で僕のことを振り向く。
「東京にも、こんな場所があるのね。」
「アカリさんは東京を勘違いしていない?」
僕は笑った。
「わたし、田舎から出てきたから。東京なんてどこに行っても人が多くてビルの塊が見える場所だと思っていた。」
「ここは海も近いし、周りは工場ばかりだよ。でもこの場所、いいでしょう? 」
「うん、とてもいい。やっぱり美術館はこういう場所にあるのが正しい気がする。もちろん、上野が間違っているとか、住宅街にある美術館が間違っているとか、そんなことを言うつもりはないけど。」
まだ目的の美術館にすらたどり着いていないのに、僕は彼女の言葉がうれしくて、少しだけ得意な気分になる。
公園をゆっくりと歩いて美術館まで向かう。彼女はしきりに周りを見渡して感心していた。足元に花を見つけては止まり、公園の噴水を眩しそうに見つめ、遠くの子供に手を振ったりしていた。なるほど、僕は何度もこの場所に足を運んでいるけれど、そんなふうに景色を楽しんだことはないかもしれない。彼女はこの景色や出来事を僕の何倍もの感性で受け止めている。僕はこれまでこんなふうに目の前の景色をきちんと見ていただろうか?
そんなことを考えていたら美術館の入り口に着く。それぞれ常設展のチケットを買い、中に入る。
「僕は何度も来ているから、アカリさんは自由に観て回って。僕も観ながらついていくから。」
そう伝えると彼女はまたうれしそうに笑った。
「ありがとう。話しかけたくなったら、話して。わたしもそうするから。」
彼女は僕の少し先を歩く。僕は彼女のペースに合わせながら、展示を観て歩いた。
その美術館の常設展は誰もが知っている有名な芸術家の作品はほとんどない。でも、現代美術館というからこそ、最先端の現代アートが飾られていた。おそらく彼女がこれまで見てきた芸術に比較したらかなり目新しく、もしかしたら奇抜に思える作品もあったかもしれない。僕らは度々作品についての意見を交わしながら、ゆっくりと回った。そして。
「わあ、大きい。」
彼女が感嘆の声を上げた作品は岡本太郎の「明日の神話」だ。この作品は彼のあの有名な大阪万博のシンボルタワー「太陽の塔」と対をなす作品であると言われている。メキシコで壁画として制作され、彼が没したあと、秘書によって発見された。この作品は発見から二年ほどかけて修復され、この度ようやく美術館に展示されることとなり、それを知った僕はこの作品が公開されてから、何度かこの美術館を訪れている。この作品は縦五・五メートル、横三十メートルもある。彼女が声を上げるのも無理はない。それは間違いなく壮観だ。
「すごい。なんだか圧倒される。」
彼女は隅から隅までその作品をじっくりと観ていた。この作品は岡本太郎が原爆をテーマに制作した作品の一つだ。暗い背景の上に色鮮やかな赤やオレンジで原爆の悲惨さが表現されている。壁画の中央に配置されている骸骨は間近で観察してみると立体になっている。細かい解釈は専門家に任せるとしよう。これ以上分析するには僕では明らかに知識が足りない。そんなことを考えていると、僕のすぐそばで彼女は壁画に近づきすぎて、係員に注意されていた。それに謝る様子がまさに僕の想像通りのアカリで、こっそり笑ってしまった。
僕は笑いをこらえながら、彼女に声をかけた。
「ね、すごいでしょう。」
「うん、これはすごい。簡単には作れないことがよくわかる。あの骨の部分、立体だったけれどどうやって立体にしているんだろう。それにタイトルがいいね。「明日の神話」か。考えさせられるな。」
そう言って色々な角度からその壁画を気が済むまで眺めていた。僕はその彼女の様子をずっと見守っていた。
美術館を出るともう夕方だった。秋になりつつあるけれど日が長いから、まだ太陽は沈んでいない。風が涼しい。彼女は満足そうにしていた。
「来てよかった。ありがとう。」
「どういたしまして。」
「これは何度でも観に来たくなる気持ちがわかるわ。なかなか他の美術館ではお目にかかることができない作品がたくさんある。」
「現代美術はこれから作られていくものだからね。これまでに確立された美術もおもしろいと思うけど。」
「その通りね。未知の世界って感じがした。でも、あの壁画のテーマは過去を起点にわたしたちの現在と未来を描いている。」
「アカリさんが好きな時代の芸術家たちは原爆を知らない。」
「なんかとっても不思議な気分だわ。わたしにとって、過去に起こったことは全部過去だけれど、そうではない時代を生きていた人がいたってこと、なんだか身に染みて感じた。」
「僕らもそうやって過去に組み込まれていく。」
「残念ながら、その先を生きる人たちが今日、こんな話をしたわたしたちのことなんて全く知ることはない。」
「過去にもそういう人がたくさんいるってことだ。」
「それが、普通ってことかな。」
「そう、僕らはただの民衆だ。」
そんなふうに、僕とアカリは今しがた受けた刺激を消化するために、取り留めもない話をしながら、公園内の来た道を戻る。僕は誰かと一緒に美術館を回るのが初めてだったから、そうやって帰り道にすぐに意見を交わせることがうれしかった。インプットをしたあとの一定のアウトプットができることはいいものだ。
そうして僕らは、今日最初に待ち合わせした場所まで戻ってきた。僕はこれから帰宅して家事をしなければならない。アカリには帰らなければいけない時間を最初に伝えてある。彼女とまだ話したいと思ったけれど、それは僕の私欲だ。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。」
「こちらこそ、僕を誘ってくれてありがとう。また機会があれば他の美術館や展示も行けたらうれしい。」
「うん。また行こうね。それじゃあ。」
遠ざかっていく彼女の背中を見送り、僕は帰路についた。行く前はどう接したらいいかとすごく考えてしまったけれど、特に彼女は僕に気を遣わせることなくとても自然だった。過ぎてしまえばあっという間だ。充実した休日を過ごせて、楽しかった。
久しぶりに僕は心が満たされているのを感じた。




