出会い (1)
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アカリと僕の出会いは大学三年の夏だ。
いや、正確にいえば大学一年の時から僕は彼女の存在は認識していた。学部は同じだったけれど所属しているクラスが違ったし、時々すれ違うことがあったとしても、挨拶をしたり話をしたりするような関係ではなかった。大半の人間がそうであるように、大勢いる同じ学部のうちの、ひとり。僕にとっての彼女はそうだったし、彼女にとっての僕もおそらく同じだった。
同じ場所で長時間過ごしていても、関わり合うことができる人は少数だ。何かきっかけがなければ話すこともない。だから、僕と彼女は同じ学部に所属しているものの、違うクラスであり、接点もなくただ何となくお互いを認識しているだけの存在だった。
いや、僕は彼女を知っていたけれど、もしかしたら彼女は、僕のことを誰かに知っているか尋ねられたとして、誰のことを指しているかわからないかもしれない。自分の世界の範囲外の人間に対する認識なんて、結局その程度だ。
それが、急に同じ学部という括りで飲み会をすることになった。それもそうか。大学三年になったら浪人生でなくても全員が二十歳を越えている。だから、そんな話になったのかもしれない。それに、大学三年になったら授業で実習がある。実習はクラス関係なく学部全員で同じ時間を過ごす。それをきっかけにして、それぞれ関わりのなかったクラス間で仲良くなった人たちが、ノリで企画したような雰囲気だった。それでもそういう活発なことができる人のことを僕は密かに尊敬する。僕とは正反対の明るい場所を生きている人は、どの環境においてもいつでも存在する。
その頃の僕は、大学生活三年目にしてようやく友達と呼べる存在がちらほらとできた頃だった。元来、僕は人と付き合うのが苦手だ。大学は様々な人間が集まる場所だ。ちゃんと授業に出てさえいれば、無理に群れずとも困ることはない。でもそんな僕にも話しかけてくれるような人が何人かはいた。僕は人付き合いが苦手だとはいえ、話しかけてくれる人に対して冷たくあしらったり無碍にするような度胸もない。そういって会うたびにお互いの会話を重ねていき、少しずつ理解を深め合って、いつしか自然と友達だと思えるようになっていた。とはいえ、僕は自分のことは深く話さなかった。相手がどのような考え方をして、どんなふうに付き合えば自然に思われるか、注意深く接していた。僕にとってそれが、普通に人と接する際に必要な距離を測るための、一種のやり方だった。もしそれを知ったときに相手がどう思うかまでは、僕の責任の範疇ではない。
企画された飲み会には四十人くらいが参加した。僕らの学部の総勢半分くらいだ。もちろん、顔は知っているけれど話したことがない人が大半だ。気が合うかもわからない、ただ共通の話題は授業のことか、先生のことか、将来に進む道のことくらいだろう。
当たり障りがない話題から話を始めなきゃいけないルールなんて存在しないのに、なんだか自分の選択肢に思わず口元が緩んでしまった。でも僕は例えお酒を飲んでいる場であろうと、進んで自分の好きなことや趣味を話すようなことは、やっぱりできない。決して人に言えないような趣味ではないということは言いきれるけれど。
はて、どうして僕はこの飲み会に参加しようと考えたのだろう。どうして今日、きちんとこの場まで来てしまったのだろう。 そうだ、確か最近よく話をする友達に、好きな人ができて、その人と仲良くなりたい、まだゆっくり話したことがないから遊びに行く口実を作りたい、一緒に参加してくれと頼まれたような記憶がある。でもそんなきっかけはこの際どうでもいいんだ。僕はこの集まりに行くと言って実際にここまで来てしまったのだから。
僕はお酒が好きだ。僕の母は「悪いことをするならわたしの目の前でやりなさい」と言って家ではお酒を飲むことが許されていた。僕の母はよくわからない人だ。でも、母のそういうところは僕は悪くないと思っている。気に入っていると言ってもいいくらいだ。僕の母はお酒が好きというほどではないと思う。でも食事に合わせて日本酒やワインを飲んだりする姿は見かける。ちょっとしたつまみを用意してお酒だけを嗜む、ということをしている姿は見かけたことがない。母が飲むのが日本酒やワインだから、家にあるお酒と言えばその辺りだ。だから僕は時々それらを拝借して少し、飲んでいた。初めてお酒を口にしたのが何歳の時かは覚えていないけれど、その時はお酒を美味しいとは思わなかった。なんだか口の中が渇くし、それに、喉も体も熱くなる。でもお酒を飲んだあとにゆっくりやってくる、体がふわふわとする感覚が気に入った。そうやって僕は、母の前で何度かお酒を飲んだ。今は日本酒とワインなら美味しいと思えるようになった。これが大人になるということなのだろうかと、漠然と思った。僕は去年の十月に二十歳を迎えたから、今は合法でお酒が飲める。もう母の前だけではない。
飲み会が始まる。僕の友達は、まだ僕の隣にいる。その友達が好きな人は隣のテーブルにいる。少しでも近づけるように、僕も何かしなければと考えてしまったけれど、人付き合いが苦手な僕に何ができるのだろう。まだ始まって間もないのに突然明るいキャラになって積極的に場所を移動し始めても、この場ではもう酔っぱらっていると思われてしまうじゃないか。みんなが自然とそういう雰囲気になるまではまだ時間があるだろう。おとなしくしていよう。
そこはチェーンの居酒屋だった。僕らは普通の大学生の集まりだし、今日は人数も多い。当然の選択だろう。席もありがちな宴会用の座敷だ。出てくる料理をつまみながら、僕は日本酒を飲んでいた。友達は至って普通にしていた。彼はこれから好きな人と遊びにいく口実を作ることができるのだろうか。内心ではそんな心配をしながら話を続けた。
僕らは友達といえど共通の話題が多いわけではない。最近は流行りのポータブルゲームの話をよくしている。武器がどうとか、あの動作の有効活用はどうだとか、新しいイベントが始まったからまた協力してやろうだとか、そんな話を繰り返していた。ゲームの話をしていると、僕と話したことがない人もちらほらと周りに集まってきた。みんなやっぱり流行りのゲームには興味があって、プレイしているようだ。どんどん話題が広がっていく。僕は途中から話には参加せず、みんなが楽しそうに話している姿を眺めながら時々相づちを打ったりして、その間ずっと日本酒を飲んでいた。ふと隣を見ると、僕の友達はいなくなっていた。周囲に視線を走らせると、そこにはしっかりと狙っている女の子の隣を陣取った友達の姿が見えた。さすがだ。僕にはそんな度胸はない。
飲み会全体がそろそろ盛り上がってきた頃、いつの間にか僕の目の前に女の子が座っていた。視線を向けると、そこにはアカリがいて僕をまっすぐに見ていた。