94話 暴走疾走、魔女の乱
アスタの胸に羽交い締めされて空を運ばれながら――これを空を飛ぶなんてロマンチックな言葉で言い表したくない。これは苦行である。
だが落ちたら死ぬという恐怖はなかった。アスタフェルがワタシを落とすとは考えられないからだ。
そんななか、ワタシはとあることに気付いていた。
風に靡くお下げが濃い茶色に戻っていたのだ。
いつの間に戻ったのだろう……。
検証しなくては、とアスタフェルの腕が腹に食い込むのを感じながら思った。
これは、ワタシの武器になるのだから。
システムを完全に把握しなければならない。
幸い、『風の聖妃の涙』は持ってきてしまっている。
……まあ、返すこともないのかな? どうやらワタシの涙らしいし。
片手に握りしめたままだから、落とさないように気をつけないと……。
◇ ◇ ◇
ワタシたちは家の前に降り立った。
何か言いたそうなアスタフェルを背に、ワタシは家の中に急ぐ。
今回の空の旅は、それほど内蔵にダメージを与えては来なかった。あっち行ったりこっち行ったりはしなかったから。昨夜のあれは、アスタフェルが酔っ払っていたかららしい。
それでも墜とさないようにとぎゅぅっと力づくで抱きしめられていたから、体のあちこちがじんわり痛い。
が、それには構わず、ワタシはあるものを探した。
そして……ようやくそれを見つける。アスタの私物が散乱するテーブルの上に、それはあった。
手鏡だ。
本当は姿見がいいんだけど、そんな洒落たものこの家にはないし。
テーブルの上の鏡を手に取ると、椅子にも腰掛けず立ったまま、ワタシは自分の顔を映し込んだ。
やはり濃い茶色だ。元に戻っている。
では、またこの宝石を使えば……?
宝石部分を触っただけでは駄目。
では、と両手で握りしめ、瞳を閉じて念じた。
のだが、こういう場合なんと念じればいいのか……。
とりあえず、変身! とか思っておけばいいのかな?
うーん。ちょっと恥ずかしい感じがするけど、まあ……仕方がない。
――変身! スフェーネに変身!
ワタシの思考に合わせて、手の中から緑の光が溢れていく……。
さっと光が引き、ワタシは鏡で確認する。
淡い白金色の髪になっていた。
……それどころか、瞳の色まで変わっていた。
鏡のなかにいたのは、柔らかい色合いの金髪に淡い翡翠色の瞳をした、見たこともないような――ワタシだった。
うん、ここまでは先ほどと同じだ。さっきは瞳の色は分からなかったけれど。自分では見ることができないだけで、きっとこうだったのだろう。
ここまでの追試はできた。
あとは、何故これが解除されたのか、ということを検証しなければ……。
「ジャンザ……」
気まずそうな声がして、アスタフェルがワタシの肩の後ろに立った。
「あの……いろいろとあって、何から話したらいいか。その、まずはだな……」
「ワタシはいつ元に戻った?」
他人に聞くのが一番早いだろうとアスタフェルに聞けば、アスタフェルは怪訝そうな顔で答える。
「その護符から光が出たとき、だが」
「それは聖妃になったタイミングだ。ワタシが普段のワタシに戻ったのはいつだ?」
「……悪い、ちょっと話が早すぎて付いていけないんだが」
「茶色の髪に戻ったのは? オマエ見てたんだから分かるだろう?」
「ああ、それならお前が俺を治したときに……」
「具体的には?」
「ええと、だから、こう……」
と彼はワタシの手を取り、自分の額に当てた。
「こんな感じで、俺のおでこに手を当てて……」
「戻った」
「は?」
「金髪がオフされた」
「は?」
「オマエに触れることが鍵かな」
「は?」
鏡の中のワタシは、濃い濡れた土色の髪と黒い瞳に戻っている。
特に力を使った感覚もないから、『魔王に触れた』ことが変身解除の鍵になっていると推測される。
しかし、元に戻るのは特に光ったりもなにもないのか。これでは気がつかなくて当然だ。
もう少し追試したほうが、より確証性が高くなるだろう。
「よし、通しで最初から実験してみよう」
「え、ちょっと待て。実験???」
ワタシはもう一度宝石を光らせて変身し、それから手鏡を見ながらアスタフェルに触れる。
魔王の異国風の長衣に指先を触れさせたが、結果は変わらず。ワタシは金髪のまま。
それからアスタフェルの素手に自分の素手を重ねる。結果は、手鏡の中のワタシの色がすっと元に戻った。
「やはり、オマエだな……」
「え? なに?」
「ワタシが聖妃の色になるのは、この宝石を自分で発動させたとき。そして元に戻るのはオマエの素肌に触ったとき。――という結果を、今得た」
「え? なにしてんだよ?」
「実験だ。変身の」
「えー……」
アスタフェルは何故か引き気味である。いやこれは、ドン引きといっていい。
「自分が風の聖妃だという衝撃発表くらった直後にすることが、金髪になるタイミングと茶髪に戻るタイミングの実験なのか?」
「気になったんでな」
「へ、変な奴」
「そうでもない。武器の使用方法を把握するなんて当たり前のことだ」
「それ武器じゃなくて護符だなんだが」
「武器だよ」
ワタシはその宝石を……『風の聖妃の涙』を、アスタフェルにもよく見えるよう、指で吊して奴の顔の前に掲げてやった。
「これはワタシの野望を叶えるための、最後の武器だよ」