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89話 魔王は死なず、ただ眠るのみ とはいうけれども

 魔方陣が作れないから魔界に帰れない、ということらしい。


 話が違う!

 なんて言ってる場合じゃない。


 何にせよ、傷を診なかったのは失敗だった。

 魔女のワタシがそれを避けてはならなかったんだ。


 となれば、やることは単純だ。

 まずは観察する。しかるのち止血、異物があれば取り、消毒。必要ならば縫合。そして薬を塗布して傷口を保持、安静にさせ経過観察。たったのそれだけ。


 みだりに動かすことは身体損傷を進めるため、できるだけ避けたい。


 ワタシは、膝の上のアスタフェルの頭を動かさないように気をつけながら、剣をワタシの首筋に据えるエンリオを見上げた。


「それ、貸してくれるか?」


 彼の鎧の腰帯に短刀を顎で示す。この短刀は、通称『神の慈悲』という。苦しむ敵にとどめを刺し、安寧の世界へと強制的に旅立たせるための武器だ。

 だが、たまには人を救うために役立ったっていいだろう。人ではなく、魔王だけどさ。


「なに?」

「服を切る。傷を診るのに邪魔だから。ワタシは刃物を持ってない。だからその短刀を貸してくれっていってるんだ」

「……この状況でそれを言うか」

「いついかなる時でも言うさ。それが人の命を診るってことだ」

「しかし、相手は魔王――」

「いいから貸せ!!!」


 一喝したが、エンリオは首を振った。


「これはただの短刀ではない、我らのシフォルゼノに祝別されたもの。信仰のための道具だ。魔王に使うことは赦されない。それに、もう――」


 ああ、エンリオってわりと表情あるんだ。

 無表情を装ってるくせに……相手は自分を騙した魔女と魔王だっていうのに。

 ワタシのこと殺そうとしてるっていうのに。

 望みどおり、魔王が死のうとしてるのに。


 なのにこんな気まずそうな顔するんだ。

 顔も外面も何もかも、本当に甘ったるい奴。


「……手遅れだ」


 そんなこと、言われなくたって分かってる。

 これでも、死にゆくものを今まで何人も看取ってきたんだ。


 奥歯を噛み締め、悔やむ。

 ワタシはただ、いたずらにエンリオと長話しただけだった。

 その間に手当していれば、あるいは。

 こいつが、こいつが長話に乗ってなんかくるから……!


 なんて、これは八つ当たりだ。八つ当たりしてる暇なんてない。


 その分を、取り返さなくちゃ。


「助けるんだ!」


 ワタシは噛みつく勢いで言った。

 小さな子供が我が儘を押し通そうとするように……。


「ワタシは魔女だ。助けられるに決まってる!」


「……お前が真にその魔王を愛するというのなら、あれこれ弄りまわすよりも、ただ手を握って寄り添うべきではないのか。それだけでも死への旅路への――」


「こ、殺すな……勝手に……」


 ワタシの膝の上で力ない声がした。


「アスタ! しぶといな、さすがワタシの魔王だ!」

「お前……それ、言いような……考えて……」


 魔王は空色の眼を細く開けてワタシを見上げていた。


「だが合ってる……しぶといぞ、俺……基本、死なないしな……」


 死なない……? そんな生物がいるのか。

 いや、生物じゃなくて魔王か。


 そういえばアスタフェルは歳もとらないらしいし、つまりは不老不死なんだ。それでこそ、創世神話から存在し続ける神崩れの魔王たり得るということなのだろうけれども。


 ――けれども、だ。


「そんなこといったって、オマエ今にも死にそうじゃないか」

「だ、大丈夫。肉体が……構成しきれなくなっただけ……。なけなしの剣崩して、幻素補填したから……あと少し持つし……」


 そういえば、彼の華奢な剣がなくなっている。

 あれを使って補填したというのの意味はよく分からないが……。


「ただ、やっぱキツい……。これだと、魂だけで魔界戻ることになる……それでちょい寝る。……そしたら回復する……から……」

「な、なんだそうなのか。ほんと、いらん心配させることに関してだけは天才だなオマエは」

「……この感じだと、千年くらい……かかるけどな……」


 その年月を思い、思わず絶句する。

 不老不死の魔王にとっては千年など取るに足りない月日だろうが、ただの人間であるワタシにとっては……。


 ――でもそれは、おかしなことにワタシが望んだことに似ていた。

 アスタを酷い言葉で追い払ったのは、彼を王子の手の届かない場所に逃がすためだった。

 二度と会えなくなることよりも、アスタフェルが誰かのものになることを避けたかった。


 正直、もう二度と会えないと思っていた。それがまた会えて……もう、離れたくないと思ってしまう。


 ワタシはいったい、何がしたいんだ。


「……ワタシは付いていけないのか?」


 せめて近くにいれれば……と聞いたら、アスタフェルは息を呑みこんだ。


「お、ま……魔法陣……ないと、お前連れてけない……俺もお前のそばにいたいのに……吸い込まれる……」


 アスタの震える白い手が、ワタシの頬を触った。

 血に濡れたそれは嘘みたいに冷たい。


「……ごめんな、ジャンザ。ごめんな……。俺のことは、もう忘れろ。お前は本来の運命を生きろ……悪かった……ジャンザ……」


 涙が込み上げてくるが、ぐっとこらえる。


「……アスタ」


 ようやく振り絞った声は、震えていたけれど。


「し、真の名を……使ってなんとかしたら、助かる方法にならないかな……」


 アスタフェルは無言でゆっくりと首を振った。

 ……分かってる。いくら真の名による束縛が次元を超えるといっても……本人が深い眠りについていたのではどうしようもない……。


 一度は自分から切り離そうとした癖に。

 ワタシは今更、アスタが惜しい……。なんで……。


「せっかく、また会えたのにさ。オマエに酷いこと言って、傷付けて、それでもオマエは帰ってきてくれたのに。また会えて、嬉しくて……なのに……」


 胸が詰まって、痛い……。


 ワタシの頬に当てられたアスタの冷たい手に思わず手を添えると、こらえていた涙がぽろりと零れた。


「もう離れたくないよ。魂だけでいいから、一緒にいてよ……アスタ、頼む……」


 伝っていった熱い涙の玉がアスタの手のひらに滲む。ピクッ、と魔王の長い指が反応した。


「こ、これ……。もう俺……嬉しすぎて死ぬ……。もう思い残すことないわ……」


「アスタ!」


 ひときわ安らかな表情で目をつぶり、不穏なことを呟くアスタフェル。

 やめてくれよ、冗談でもこんな時にそんなこと言うなよ……。あとこんな時になんだけど死因『嬉しすぎ』ってなんだよそれは新しいな。


「どけ、魔女よ。死ぬことのない遷移(せんい)の魔王ならば、せめて私が神の愛の(なか)に封じよう」


 エンリオが、自らの胸の宝石(タリスマン)――薄緑色に淡く輝く『風の聖妃(スフェーネ)の涙』に指をかけ、言う。


「愛を(もっ)永久(とわ)に安らげ、風の魔王よ」


 詳細はよく分からないが、どうやらアレにアスタを封印するつもりらしい。

 多分アスタが復活できなくなるとか……そういう感じのやつだ、あれは。


 ワタシが死んで千年してから目覚められるのは悲しいが、そもそも復活できなくされてしまうのはもっと悲しい。


 何より、アスタフェルは風だ。風は吹いてこそ風。

 ひとところに封印されるのは彼らしくない、という本能的な禁忌も感じる。


 そんなことを感じ取ったワタシは慌ててエンリオを制した。


「ま、待て、エンリオ」


 そして、ふと思い立つ。


 アレを使ったら、風の幻素を供給して……アスタフェルの身体を……治せるんじゃないか?







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