85話 会いたかった人に会う:アスタフェル視点3
聖神のまとった白いマントが強くはためき、魔王の白銀の長髪が舞い狂う。
だが荒れる風など気にも止めず、風の聖神と風の魔王は息を詰めて対峙していた。
二人を見た者は、記憶の奥底から沸き起こるままに創生神話を思い描いたことだろう。
この世界に生まれた全ての生命が持つ、それは神聖なる記憶だから。
だがこの場に目撃者は誰もいなかった。
聖神シフォルゼノが世界から空間を切りとったのだ。
故に、神と魔王がいるここはもはや外からは見えない。
誰もおらず、まったくなんの異常もない、平穏な空間があるように見えるだけ。
自分たちが戦っても人間の世界に被害が出ないよう、シフォルゼノが気を回したのだ。
「ほう、今度こそ本気で戦えそうだな。まあいい――俺はなんだっていい、ジャンザにこの想いをぶつけるのみよ!!」
「熱いね。けどそういうのは属性違いだね。君も風属性なんだからもっと軽やかにいかないと」
「ほざけ!」
アスタフェルは駆けだした。
風から取り出した魔剣を構え、目の前の風の神に狙いをつけ、体当たりのつもりで身体ごと――、
「アスタ!?」
一番聞きたかった女性の声がして、アスタフェルは行動を止めてしまった。
えっ、と我が耳を疑ったのと、胸に強烈な痛みが生まれたのはほとんど同時だった。
胸を見下ろせば、中央あたりから鏃が生えていた。
見る間に赤い染みが広がっていく。
(抜かった……!)
アスタフェルは悔やみながら膝をついた。
シフォルゼノと戦うために張っていた気が声で乱されてしまった。おそらくそれはシフォルゼノにしてもそうだったろう。
当たり前だ、決闘する二人のためだけに聖神シフォルゼノが神の力で切り取った空間である。
外から声が聞こえようはずがない、見えるはずもない。
なのに、声が聞こえた。名を呼んだということは見えているということの証左でもある。
見えぬはずの閉じた空間にいるものを認識し、あまつさえ声すら届かせるものは、もはや人間にあらず。
故に聖神は驚き、空間の支配を手放した。
その時ちょうど矢が飛んできたのだ。
それが、偶然……。
一見何もない空間へ、どこの誰が何を目的として撃ったのかは知らないが――シフォルゼノへと全ての注意を向けていたアスタフェルの防御障壁は、背後からのたった一本の矢を防ぐことができなかった。
「う……、アス、アスタ!!!!」
駆け寄ってくる黒ローブ姿の愛しい女性。
彼女には、言わなければならないことがある。
「ジャンザ……」
地に膝をつき、それでも倒れないようにと剣を杖のようについて身体を支えたアスタフェル。
ジャンザも膝をつくと、戸惑いながら肩を掴んできた。
もう、大丈夫。――そんな根拠のない安心感が魔王を満たす。
アスタフェルは、ゲホッ、と咳をした。
口から少し血飛沫が出て、ジャンザの顔と黒ローブにかかる。
「アスタ! すっ、すぐ手当を……」
「あ、あのな、お前、いいか。ああいう言い方、俺はどうかと思うんだ――」
「え? 言い方? なに……あ、ああ、あれ。えっ、今それどころじゃないだろ!?」
それを横目で見る間もなく白騎士姿の聖神が消えたことに、二人は気づかない……。