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81話 嫌われても、好きだ

今回は2話更新です。

 通されたそこは、いつか来たことのある部屋だった。


 王子のハープ練習室だ。

 以前は通されたときにはハープが中央にあったが……。

 しかし今はハープはなく、かわりに部屋には甘さを含んだ爽やかな匂いが充満していた。


「これは……」


 従事に案内され独りそこに残されたワタシは、部屋のあちこちに飾られたその新緑の葉に目をやった。


 そりゃあ、匂いも充満するはずだ。

 もともとこの薬草は香りが強い。

 それがあちこちの花瓶に活けられたり、輪にされていくつも壁に吊されているのだ。


 それは、オリゲナ・メジョイラという薬草だった。

 系統が同じとされるミンシアが断罪を思わせるほどのきっちりとした爽やかな香りであるのに対し、オリゲナ・メジョイラはあくまでも優しい、甘差を基準とした爽やかな香りだ。その清楚な香りは人の心を鎮め、頭痛や歯痛に効く。また、食欲増進、消化促進をもたらす。

 師匠と旅をしていたころはよく使ったものだ……。


 そして、オリゲナ・メジョイラには制淫作用がある。人に邪な心を抱かさせない香りなのだ。

 手っ取り早く言うと、ムラッときた心を鎮める効果がある。


「王子様……。本気、ということか」


 思わず独りごちる。


 香りの勉強をしている王子様らしいではないか。


 昨夜あんなことがあった女性を呼びつけて、これからの真面目な話をしようというのだ。自らの欲望に負けている暇はない。


 また、薬草の知識のあるワタシへのメッセージにもなる。

 もうお遊びの時間は終わったのだ、と。


 王子の薬草選択の正しさには舌を巻く。


 ついでに、これだけの薬草を半日で用意する王子の手際にも感心する。


 昨夜、王子様は飲んだくれたところをアスタフェルに後ろからぶん殴られて気を失ったわけだが……。

 どうやら体調は大丈夫なようだ。


 意識も明瞭。それどころかかなり冴えているはず。

 たんこぶの一つくらいならあるかもしれないが、これだけの薬草の知識があるのならたんこぶに効く薬草も分かるだろう。自分でなんとかしているはずだ。


 ……それだけに、自分が王子の手のひらの上で転がっているような感覚が湧いてくる。


 人妻好きのグズグズ不倫野郎の癖に妙に聡い王子様。

 あのクズ王子、どこまで計算しているのだろう。


 そう思うと、なんだか王子のことが好きになってくるから不思議なものだ。

 相手にとって不足なし、という部類の好意だが。


 まあ、これから全部直に問いただしてやるさ。

 アスタフェルのことも、ワタシのことも。


 そう思いながら、ワタシはソファーに座った。目の前に置かれたティーセットには手をつけない。


 当たり前だ、何が入っているか分かったものではない。

 相手は薬草の知識のある王子なのだ。


 荷物はソファーの上に置いた。

 ここに入っている物は返せるが、アスタが持っていたものは、さてどうするか……。

 人間であるワタシでは、アスタフェルのいる魔界に行くことはできないし。借りたままになってしまうのか……?


 風の魔王アスタフェル――創世神話にすら登場する伝説の存在。

 それが目の前にいて、しかも力無き魔女であるはずワタシが使役しているのだ。

 魔女ごと利用しようとするのが道理である。

 魔王を使役するワタシに忠誠を誓わせるためなら、領地の一つや二つくらい惜しくないだろう。


 武力として迎え入れるか、魔力や魔物、引いては魔王・神族を研究する材料にするか。

 いずれにせよアスタフェルという個人ではなく、魔王として扱われることになるだろう。


 あんなに抜けててアホで、可愛らしいところがあるのに。

 そのくせ本気になればちゃんと強くて、ワタシを守ってくれるのに。

 ワタシの目を見て、微笑んで。好きだと言ってくれる人なのに……。


 アスタ……。


 別れたときのことを思い出す。

 今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 手紙はアスタフェルも読んだ。だから内容は理解しているはずだ。


 ワタシがしたことも理解してくれ、というのは我が儘だろうか。


 実家に帰れ、跡形もなく消えろ。

 ――思い返すと、我ながら酷いことを言ったものだ。


 今になって思う。

 何故、アスタフェルを逃がしたのだろう、と。

 アスタフェルと一緒に王子と直談判することだってできた。そちらのほうがよかったかも知れない。

 魔王という存在が共にいれば選択肢は広がるし、いざとなれば魔王の力を使って逆に王子を人質にとることもできたはずだ。

 ここぞとばかりにワタシの野望を……薬草薬を広めるための策を交渉することもできただろう。


 でも、咄嗟に……。

 王子に会わせるわけにはいかない、アスタを人間に使われる訳にはいかない、と。思ったんだ……。


 ワタシだってアスタを使おうとしていたっていうのに。なのにアスタが王子に使われるのは……人の世の些事に巻き込まれるのは、嫌だった。


 アスタを守りたい、と思ったけど。

 それは単に、『ワタシだけのアスタ』を守りたかっただけだ。


 結局、ワタシはアスタを自分だけのものにしておきたかったんだ。王子に取られたくなかった。好きな人を独り占めしたいだけの、ただの独占欲。


 こんな感情、知らなかった。

 ワタシって存外、子供っぽいんだな。


 でも、だからって……アスタフェルにあんな酷いことを言って、魔界に帰らせてしまった。

 あんなことを言われれば、アスタももうワタシへの愛も冷めただろう。

 それだけのことを言ったという自覚はある。


 ワタシは独りになった。

 いや、元に戻っただけだ。

 アスタフェルを召喚する、その前に。


 王子様を籠絡したくてたまらなかった、そのために聖騎士エンリオが邪魔で邪魔で仕方がなかった、図書館に行けば友人の司書騎士ユスティアがいた……あの頃に……。


 ああ、なんだか胸が苦しい。

 自分がしでかしたことなのに。

 なんでこんなに……辛いんだ。


 アスタフェルがいなくなっても、彼がいたことは、夢なんかじゃない。

 この半年間、ワタシは確かにアスタフェルと一緒に生活したのは事実だ。


 アスタフェルがいたのは事実。食事を作ってくれたのは事実。アスタフェルがワタシを好きでいてくれたのは事実。結婚の約束をしたのは事実。一緒に旅をする約束をしたのも事実。キスしたのは事実。

 ワタシがまだアスタに恋をしているのは事実。


 だから、ワタシは。

 事実を……大事にするんだ……。


 なんだか胸が詰まって、目頭が熱い。


 自然と涙が溢れてきて、ワタシはそっと袖で涙を吸った。

 ……泣いてる暇なんかない。

 これからワタシは独りでやっていくんだから。

 以前のように……。


 と、そのとき。

 部屋のドアがゆったりとノックされた。






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