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77話 絡めとってでも

「あだっ」


 額を弾かれ火花が散った視界の向こうで、アスタフェルが何故か照れていた。


「でもそういう腹が据わってるところ好きだぞ! それに寝耳に水みたいな顔しやがって。可愛すぎ。ああ可愛いさ、俺の嫁だからなっ」


 彼は手首の(いまし)めをすんなりと振りほどくと、何を思ったか今度は両手でワタシの頬をつまんで引っ張ったり押し込んだり揉んだりはじめた。


「本当はもう少し怒るつもりだったんだがな。惚れた弱みにつけ込んで許させるとは、この男泣かせの変顔悪女め。ただ今回だけだぞ。二度目は殺す」


 ……現場を押さえられた手前、言い返せない。

 それにこれくらいで許してくれそうな空気を出しているのだから、蒸し返すのはきっとワタシのためにならないだろうし。


 あと揉み方がけっこう荒っぽい、そこそこ痛い。許す気ではあるがやはり怒ってはいるようだ。


 しかし……ワタシ、王子のことクズクズ言ってたけど、ワタシ自身がクズだったってオチだよな、これは……。


 だが、それならどうしたらいいんだ。


 王子様を、諦める……?

 野望は王子様の力を使わずに叶えればいい。

 王子と縁ができる前は、実際そうしていた。地道に人々に薬の作り方を広めていたのだ。

 それを、またするのか?


 それとも、野望自体を、諦める……?


 ワタシは頭を振って頬から手を離させると、痛い頬と額をさすってぶつくさと文句を口にした。


「惚れてるとデコピンかまして頬を揉むのか。変な性癖だな、まさに倒錯と呼ぶに相応しい」

「何とでも言え。とにかくお前は連れて行く。ここに置いてはおけん」


 アスタフェルの意思は堅いようだ。

 だが浅はかなり、風の魔王よ。こんな問答はもう何度も経験してきている。


「残念だが魔界には行かないよ、それに殺されてもやれない。ワタシはオマエの真の名を知っているんだ。お前が強硬手段に出るというのなら、いつかのように我が名をもってオマエを束縛してやる」

「束縛上等! むしろ束縛してくれ。好きなんだ」


 熱心な空色の瞳に見つめられてしまった。こういう場合、たじろぐ以外になにをすればいいというのか。


「……あ、いや、あのな、束縛したらワタシは魔界行かないけど、いいのか?」

「嫌がるのを無理に連れて行くのならな。だがお前は自ら動くんだ、それなら話は別だろ」

「ほう、考えがあるようだな。ワタシをどうしようというんだ?」


 自慢じゃないが自分が石頭であることはよく分かっている。ちょっとやそっとじゃ動かない自信だけなら大地のごとくある。

 それをこの魔王は得意げに、自ら動くと言い切ったのだ。

 彼は一体ワタシのナニを掴んだというのか。


「なに、俺の領土の西の果てにえらく強い魔物がいるって話があってな」


 彼は澄ました顔でそう告げた。


「近くを通りかかる魔物を片っ端から襲ってるんだそうだ。なんとかしてくれって陳情が来てた。まあ、いくら強かろうが俺が行けばあっという間に殺せるが」

「勝手にしろよ。オマエが魔界に帰ることは禁じてないんだから」

「そいつ銀色をした大鴉なんだと。墓守をしているらしいぞ」


 うっ。


 銀色の大鴉で、えらく強い魔物……。近くに来た魔物を襲ってる。しかも墓守。

 心当たりが……。


「人間世界から魔女の遺体を持ってきて埋葬したらしい。ずいぶん魔女に懐いてたらしいが、まあ危険なことに変わりはないよな」


「……何が言いたい、アスタフェル」

「いやあ、俺のこと止めたいんじゃないかなーと思ってさ」

「その魔物の名前は? それ如何による」


 フィナじゃありませんように、フィナじゃありませんように。


風鴉(ふうあ)のフィナだ」


 ああ……。


「なるほど、ワタシの過去を調べて利用してきたか。オマエにしては上出来だよ」


 人質を取られたということだ。いや、魔物だから魔物質?


 アスタは今までどこかワタシの意志を尊重してくれるような感じだったけど、今回ばかりは強引にワタシを取りにきたようだ。


 わが師アリアネディアの使い魔だった、フィナ。

 銀の羽の大鴉の魔物。ワタシにとっては姉みたいな人……いや魔物だった。


 師匠が亡くなったとき、フィナは遺体を魔界に運んで、そこでお墓を建てると言っていた。

 魔女の遺体は魔物たちにとっては魔法の媒介になったり食べれば魔力が増幅するという貴重品で、師匠ほど魔力の高い魔女だったらそりゃあ遺体目当てに魔物が殺到するだろうけど、フィナはそれを蹴散らしてやるわって笑ってた……。


 フィナ本当にしてたんだ。墓守と、師匠の遺体を奪いにきた魔物を片っ端から殺すのと。


「いっとくが、本当はこんな方法とりたくはないんだからな」


 アスタフェルが恨めしげな眼でワタシをねめつける。


「お前には自らの意志で魔界に来てもらいたいんだ。だから本当ならこんな取り引きみたいなことはするべきじゃない、それは分かってる。だがお前は頑固だから……」

「アスタ、はっきり言ってくれ。つまり、ワタシが魔界に行けば良し、行かないならフィナの命はないと……そういうことだな」


「――そうだ」


 きっぱりと、彼は頷いた。


「悪い話じゃないだろ? フィナの命も助かるし、お前は俺と一緒にいられるし、俺だってお前と一緒にいられるんだ」

「……ワタシの夢と引き替えに、か」

「それはまあ、その。もちろんお前の夢を応援したい気持ちはある。だけどそれはアーク王子と叶えるんじゃなくて、俺と一緒に……叶えて欲しいんだよ」

「期限は? 回答の期限。フィナを助けるか殺すか、いつまでに決めればいい?」

「……そういうんじゃなくてさ」


 彼の美しい空色の瞳が悩ましげに揺れる。


「好きなんだ、お前のこと」

「知ってる」

「お前が言ってるのは情報としての『好き』だろ。もうちょっとこう、感情として『好き』なんだよ。どうすれば伝わるんだ?」

「情報で十分だろ。これ以上いろんな情報で惑わすなよ、こっちは考えなきゃいけないことができてしまったんだから」

「……フィナか野望か。どっちを選ぶかに頭を使いたい、と?」

「その通り」


 ワタシの薬草薬を広めたいという夢は、師匠の死を契機としている。

 もっというなら、フィナが師匠の遺体を伴って魔界へ去ってしまった時に言われたことが、ワタシの行動原理となっていた。


 フィナは言ったんだ。


 ジャンザ、アナタはアナタのすべきことをしなさい、と……。


 そのフィナを見捨てることは、できない。さりとて野望を諦めることもできない。

 どうしたら……。


 アスタフェルはため息をついた。


「そういうの一人で抱え込むのといいけどさ、俺たち夫婦になるんだぞ? 俺に相談してくれてもいいだろ」

「さあどちらかを選べと言ってきた奴に何を相談しろっていうんだよ。第三の選択肢を示せとでも言えばいいのか?」

「……好きだよ」


 突然だった。


 気がついたら、キスされていた。

 唇と唇が軽く触れ合う、軽いキス――。

 少し、酒の臭いがした。


「そういう分らず屋のところも、理屈っぽいところも」

「なんっ……」


 一瞬遅れて現状を把握し、全身の肌が粟立つ。

 キス……した!? 馬鹿な。アスタから……ええ!?


 彼はワタシの手を取ると指をからめ、それを自らのすべすべした白い頬に当てた。


「ずいぶん長く生きてるが、こんな気持ちになったのは初めてなんだ。だから、お前を逃さない」

「アス――」


 二の句が継げない。

 揺れる空色の瞳が麗しい。

 え、なにこれ。アスタフェルってこんなに色気あったっけ!?


「………………あ、ごめんもう限界だわ」


 その呟きを最後にして。

 彼はワタシにしなだれ掛かってきた。


 これはもしかして、そういう……流れなのか?


 細かい震えが身体の奥底からくる。それにドキドキしすぎて目眩がしそうだ。とてもアスタの顔なんか見れない。


 ワタシは目をつむった。

 王子にのしかかられたときは、こんなにドキドキしなかったはずだ。

 あの時ドキドキしたのもアスタを思い出したからで……。


 アスタフェルだとなんでこんなドキドキして、しかも全身に震えがくるんだ……!?

 夫婦なんだし、そういうのも遅かれ早かれあることじゃないか。……いや、まだ夫婦じゃないけど。


 嫌ではない。嫌じゃなくて、この気持ちは――嬉しい。

 何言ってるんだワタシは。


 いろいろ考えなければならないことはあるし、彼は取り引きでワタシを縛ろうとすらしているけれども……。


「ア、アスタ。あのな、ワタシもいろいろと行き過ぎてたのかもしれない。いろいろと意固地になってたのは事実だ。だからってこんなことでワタシの心が変わるとでも思ったら大間違いで――あ、いや、そうじゃなくて」


 彼は何も答えずワタシの肩に寄り掛かったまま、微動だにしない。


「ご、ごめん、言い過ぎた。そういうことが言いたいんじゃなくてだな、オマエの気持ちは凄く嬉しいし、ワタシも……オマエと同じ気持ちなんだと思う。それは分かってくれ。けどこういうのは経験がなくてこっ心の準備が、その」


 もう何を言っているか分らなくなってきたワタシの耳のすぐそばから、すー……と安らかな寝息が聞こえてきた。


「え?」


 ……寝てる?

 目を開けて自分の肩を見ると……。


 目をつむったアスタフェルが幸せそうな寝顔をさらしていた。


「……マジかよ。っと、重っ!」


 ワタシが動いたせいでバランスが崩れ、アスタフェルの身体がずり落ちそうになる。それを慌てて踏ん張り腕を回して抱き留めた。

 ……以前も思った記憶があるが、意識のない成人男性というのは結構な重さである。


 彼の唇に、ワタシの鼻が軽く当たる。

 アスタが起きていればドキッともするような接触だが、今のワタシはその臭いを分析するにとどめた。


「……ずいぶん酒臭いな。どんだけ飲んだんだよ……」


 ワタシも王子様に顔にワインをぶちまけられた身である。酒の臭いはしている。だから、それでマスクされて気付かなかった。

 こいつ相当酒の臭いプンプンさせてたんだ。


 そういえば様子が……というか、言動が変だった。アスタフェルのくせにワタシに脅すような取り引きを持ちかけてきたり。……キス、してきたり。


 酔うと気が大きくなるタイプなようだ。ただし、顔が赤くなったりはしないし、一見酔っているようには見えないという。

 そういう酔い方をする人もいる、とは知っているが……。


「まったく。分かりづらい酔い方をしやがって……」


 愚痴の一つもこぼしたくなる。

 こんな酔い方で泥酔されても対処が遅れて危険なだけだ!


 しかしこうなってしまった以上、アスタフェルのことは介抱しないといけない。

 いろいろと考えるのは、あとだ。


「おい、アスタ! 起きろ。ベッドに行くぞ」


 しかし反応はなく、ただ気持ちよさそうに寝ているだけだ。

 ……仕方ない。このまま、いつもアスタが寝室に使っているリネン室に連れて行こう。


「くそっ、このアホ。オマエ重いんだからな……!」


 人の肩で本気で寝入りやがって。


 彼と舞踏会会場で別れたときのことを思い返すと……、確か、本気で口説いたあとに、すぐ分かれたんだったよな。

 気分がよくて飲み過ぎた、というところか。それで気分いいまま踊って、気がついたらワタシがいなくて……。


 心配しただろうな、アスタフェル。


 ワタシのことは、人に聞いて回ったりでもしたのだろう。

 それであの緑のドレスの女は王子様と連れだって会場を出て行った、とか言われて。


 気が気じゃなくて探し回って、探し当てたそこでワタシが王子にのし掛かられていて……。


「……アスタ、ごめんな」


 彼を引きずるようにしてゆっくり歩くワタシの言葉を、寝ている彼は理解したのだろうか。

 彼の安らかな寝息に、穏やかさが加わった気がした。




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