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73話 薔薇部屋

「これは……!」


 王子の部屋に入ったワタシは思わず目を見開いた。


「これをジャンザさんに見てもらいたくて」


 王子のにこやかな顔よりも、そして彼の部屋の広さや豪華さよりも。

 そこにあった大量の植物と、何よりもこのむせ返るような華やかな芳香……。


 シャンデリアの光に浮かび上がるのは。

 今ワタシが住んでいる『魔女の家』がすっぽり入りそうな広い部屋のいたるところに活けられた、尋常ではない量の色のとりどりの花の女王――薔薇だった。


 異国情緒溢れる艶やかな唐草模様の壁にはわんさかと籠が吊されて、そのどれもに溢れんばかりの様々な色の薔薇が差し込まれていた。


 本棚や飾り棚のあちこちに置かれたガラス製の花瓶には、濃い赤、艶やかな桃色、そして白に近い薄紅色の薔薇が活けられていた。

 絨毯の敷かれた床のあちこちに置かれた華美な装飾を施した壺状の大きな花瓶には、黄色と白の系統色の薔薇が勢いよく吹き出す噴水のように、煌びやかに活けられていた。


 ソファー前のローテーブルには、テーブル自体を覆い尽くすほどに巨大な伏せた楕円(オ  ー  バ  ル)型のアレンジが鎮座していた。これにはオレンジ系統の薔薇が使われており、シャンデリアの光に(かんばせ)を輝かせて咲き誇っていた。

 かと思えば部屋の片隅にある書き物机の上の一輪挿しには柔らかい色合いのピンクの薔薇があった。


 そして天蓋付きの広いベッドには、一面に真紅の薔薇の花びらが散らされていた……。


「ですが、必要なかったようですね」


 王子はにっこりと微笑んだ。一見裏のない、優しい笑顔で。


「来てくれて嬉しいです、ジャンザさん。舞踏会には来ないかと思っていました」

「それは……」


 思わず言いよどむ。

 舞踏会に参加したくなかったのは王子に会いたくないからだった。

 それでも今夜城に来たのは、ユスティアを見張るため。


 それだけだった筈なのに、妙にいろいろな事に巻き込まれてしまった……。

 本来の意義に立ち返らなくては。

 結局ワタシにとっての舞踏会とは、王子との一騎打ちを意味するに他ならないのだから。

 そこにアスタフェルの手助けを期待するような真似は、しない。


「ジャンザさん、あなたにもいろいろとお考えがあるのでしょう。あなたのことですから、甚大なる深き水底のような、静かで広大なお考えがね。僕なんてあなたに比べればごく単純なものですよ……」

「ワタシと性交したいだけからワタシにする気があるのならそれで結構、何で急に信条を変えてきたのかは不問にする。ということを言いたいのですか?」


 問いただすと、王子は笑顔のまま注意してきた。


「その通りではありますが、いくらなんでもそのまますぎますよ。もうちょっと詩的な表現で、婉曲にお願いします」

「婉曲ね……」


 以前、何かの拍子にアスタフェルにそんなことを言われたような記憶がある。アスタフェルがフォローしてくれたような気もする。

 アスタなら……、この場合、なんて言うんだろう。


「でも王子様だって十分直接的だと思います。この部屋いっぱいの薔薇ですが――」


 とりあえず、ワタシらしく知識で攻めることにした。


「薔薇の香りは、主に女性の愛の感受性を高める働きがあるとされています。この香りに包まれた女性は知らず甘い雰囲気に酔いしれ、無意識に異性の肉体を求める。つまりこれはあなたを受け入れるのを拒否するワタシをとりあえずこの部屋に誘い込み、自らあなたを受け入れるよう仕向けた、一言でいうと香りの罠です。これは十分直接的な方法と言っていいでしょう。ワタシから見れば、あなたはとても下心に忠実でいらっしゃいます」


「まあそうなんですが。もうちょっとこう……」


「アス……アフェルが来る以前はよくあなたと会って、薬草や香りの効能について教えていました。ですが薔薇の香りについての効能を教えた覚えはありませんので、ご自分で学習なさったのだと分かります」


 まだ王子がクズだと知らなかった頃は彼を籠絡するのに必死で頭を使っていて、いつか媚薬効果のある香りを使うかもしれないと思っていた。

 だから教えていなかったのだ。


 なのに王子がこの罠を仕掛けてきたということは、目的はどうあれ彼は勉強を続けていた、ということだ。その勤勉さはとても素晴らしいことである、たとえ目的が人妻を落とす罠を作るためだったとしてもだ。


「欲望に素直なその知識欲はあなたの長所です。人の上に立つに相応しい素直さといえるでしょう」


「結論、それなんですね。それにしても噛み合わないな……」


 ぶつくさと独りごちる王子様。


「まあ……、立ち話もなんですし、ワインでもどうですか?」


 と、ソファーを示した。オレンジ系統の薔薇に彩られたローテーブルには、確かに赤ワインのボトルとワイングラスが二脚並んでいる。


 今夜はやけに酒を勧められるな……。舞踏会だし、仕方がないか。


「いりません。いつ何が起こるか分からないので、酒は飲まないようにしています」

「ええっと。飲まないと辛いかもしれないんですが……主に僕が……」


 最後の部分をごく小さな声で呟く王子。


「どういうことですか?」

「僕は飲んでいいですか?」


 質問がかち合った。

 まずはワタシが頷く。


「どうぞ。人が飲むのまで拒否したりはしません」

「あ、どうも。……ええとですね、なんといいますか。僕は雰囲気というものを大事にしていまして」

「よく分かりません」

「でしょうね。……座りましょう、とりあえず」


 と、彼から率先してソファーに座ってしまう。だからワタシも彼の隣りに座らざるを得なかった。


 そして、王子は手ずから赤ワインをワイングラスに注いだ。

 それを見ていてハッとする。


「ワタシが注いだほうがよかったですか?」

「え、何をです?」

「ワイン」

「……ジャンザさんは飲みませんし、いいですよ、別に。あ、でも……」


 と王子はもう一脚のワイングラスに水差しから水を注ぐとワタシに差し出した。


「どうぞ。乾杯くらいは付き合ってくださいね」


 思わず受け取ってしまってから、ワイングラスの水をじっと見つめる。

 先ほどまでワインに入れた媚薬がどうとかいう事件のまっただ中にいたため、これにもなにか入っているのではないか……と、どうしても疑ってしまうのだ。


「警戒しなくて大丈夫ですよ。怖い毒も、甘い毒も、何も入ってないですから」


 ワタシの心を見透かしたような王子の言葉である。

 そうだった、王子は王子で裏でいろいろとしていたんだった。

 ユスティアのことを彼なりに考え、行動してくれていた……。


 そのことについてはちょっと聞きたいな。


「では、乾杯」

「……乾杯」


 王子の音頭に合わせて、ワタシも王子もワイングラスをちょいと持ち上げる。

 ワイングラス越しに彼は微笑むと、形のいい唇にワイングラスを付けた。

 ワタシも真似をして――それでも警戒しつつ、水を口に含む。

 味は普通の水だった。体内に入ってきても特に何もなし。本当にただの水らしい。


 だが、さきほどアスタフェルが持ってきてくれた水のほうが美味しく感じられた。


「……ふう。今宵は素晴らしい夜だ」


 ワイングラスのワインを飲み干した王子は、前を向いたままにっこりと微笑んだ。


「宮殿を騒がしていたネズミも静かになったし、僕の前には美しいご婦人がいる。なんて満ち足りた夜なんでしょう……」


 王子は優しい微笑みをワタシに向ける。


「ジャンザさん、いつもの黒ローブもいいけど、そのドレスもよくお似合いですよ。とても綺麗だ。本当に。――その色が似合う人って珍しいんですよ。同じような色合いの首飾りをお贈りしたいんですが、そういうのは大丈夫ですか? 旦那さんに……アフェルさんにバレたら大変ですし……」


 その薄銀色の瞳にはどこか熱に浮かされたような、焦りのような光が滲んでいた。


 これがこの人の遊びなのだろう。

 決まった人がいる女性に餓えた心のまま猛進し、バレるかバレないかを楽しみながら欲望の飢餓を満たす。


 まあそれはいいんだ、別に。王子には興味ないし。


「王子様は知っていたんですよね? 王党派のことを」


「……食いつくのそっちなんですね。ええまあ、僕はここの管理者ですし」


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