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72話 踊らない魔女は、舞踏会の片隅で甘く囁く

 結局、ワタシは家には帰らなかった。

 アスタフェルに押し切られて、舞踏会会場へと舞い戻ったのである。


 エベリン夫人への挨拶しなきゃ……という義務感で、ここまで来たのだが……。

 実際に会場に着くとどっと疲れが押し寄せてきて、ワタシはソファーに座り込んでしまった。


「大丈夫か?」


 たくさんの人が踊る会場で――外であんな物騒なことがあったなんてまったく知らなそうな――それとも知らないふりをしているのか――何にせよ笑顔でいる貴族たちのなか、アスタフェルが水を持ってきてくれた。


「ちょっと顔色が悪いな」

「……ありがとう。だから言っただろ、家に帰りたいって」


 愚痴ってから水を一口飲む。

 冷たい水がすーっと食道を通って胃に落ちていく感覚が、なんともいえない快楽を生む。


「存外体力ないな。やっぱり女の子なんだな、お前」

「男の子ならあんなことしても疲れないというのか?」


 聞いてからアスタフェルの様子を確認する。


 主体的に動いていたのはワタシとはいえ、アスタだって殴るわ暴走するわしていたのに。

 動きに乱れたところがない。


 年の頃はワタシより少し一つか二つ上なくらいで、ほぼ同じ。同年代といっていいだろう。先程もエンリオに明らかに年下扱いされていたくらいだ。

 真っ黒い、下士官服ような飾り気のない礼服。白銀の長髪を高いところで一つに結って背中に流している。美しい切れ長の瞳には楽しそうな輝きがあり、疲れなど微塵も感じさせない。


「どうだろうな。女よりは体力あるんじゃないか?」


 我がことであろうに、妙に曖昧な――そうか。こいつは人間じゃないんだった。

 あれっぽっちじゃ息も上がらないか……。


 ワタシはふっとため息をついた。


「オマエと人間を同一基準で比する愚かさを、もっと我が身にたたき込まないとな……」

「あはは。俺は結構楽しかったぞ」

「勘弁してくれ……」

「すまんすまん。けど楽しくてさ、なんかこのまま終わらせるのがもったいなくて。少し休んだら夫人に挨拶して、もう帰るか。借りてる服も返さなきゃな……」


 彼はワタシの横に腰を下ろした。意外に近くに座られて、そちら側にクッションが沈み込み、なんとなくワタシは彼の肩にもたれる格好になってしまう。


「そういえばオマエ、なんで目は平気だったんだ? 目にゴミが入っても平気ってわけじゃないだろ。以前目に入ったまつげを取ってやったときは、死ぬ死ぬ大騒ぎしてたのに」


 エンリオは目隠しされていたから助かっていたが、ユスティアでさえ灰の餌食にはなっていたというのに。


「ちゃんと目をつぶってたからな。あ、これ『奥の手』を使う流れだなって……」


 そうだった。こいつにはちゃんと奥の手の内容は説明してあったっけ。


「ジャンザは、俺の目も潰れると思ってたのか?」

「いや……」


 反射的に否定し、なんとなく思い出す。

 そういえば、アスタがアレに()()()だなんて、考えもしなかった。

 彼の目が一時的に使えなくなろうが知ったこっちゃなかったのか、それとも――アスタなら、ワタシの意図を理解して、ちゃんと自衛すると無意識に信じていたのか……。


 もし後者だった場合。

 なんか、ちょっと、恥ずかしい。


「それ聞いて安心した。俺のこと、少しは信用してくれてるんだな」


 少し、だなんて。こいつがワタシの心を知ったら驚くだろう。どれだけアスタフェルを思っているか……。


 それでも、心をそのまま言うのも恥ずかしい。

 押さえた声で、ワタシは言った。


「……オマエにしてはよくやったと思うよ」

「意地っ張り」


 爽やかに笑うと、アスタは手に持った細長いグラスに口を付けた。


 少しだけ黄金がかった透明な液体が、揺れる。


「……ああ、これ? シャンパン。水の方がいいかと思ったんだけど、飲むか?」


 ワタシの視線に気づいた彼は、聞いたこともない名の酒が入ったグラスを差し出してくる。

 飲みさしか。そんな仲でもあるまいに……。いや、そんな仲になるのか、これから。


 細長いグラスの底から際限なく生まれくる繊細なレースのような美しい泡を眺めたまま、ワタシはそれだけで酔っ払ったような気分になる。


「酒は嫌いか?」


 じっと見たままの動かないワタシに、彼は語りかけてきた。

 ワタシはぷいと横を向く。


「心を惑わすものはみんな嫌いだ。いざというときに使い物にならなくなる」

「あはは、ジャンザらしいな。じゃあ……、本当は、惚れ薬も嫌いなのか……」

「嫌いだね。頼まれたから作ったけど」


 きっぱりと言い切る。惚れ薬――といっても、ワタシが作るそれは肉体的な作用しか催さないが。

 その作用は薬として認めるし利用もするが、そういう薬自体が好きではない。そんな距離感にある薬だ。


「……恋も、嫌いなのか?」


 そっと呟かれた彼の言葉に、なんと返したらいいのやら。


「概念として? それとも単に、オマエのこと?」

「いや――あはは。やっぱり、いいや」


 笑い上戸なのだろうか? アスタはさっきから笑ってばかりいる。


 もう一度、彼は発泡酒に口を付けた。なんといったか、聞き覚えのない名前の酒……。


 こいつは珍しいものを、ワタシの知らないものを、知っている。


 ワタシは知識には自信がある。

 だが、世の中というのは無限にページ数のある書物を納めた、永遠に続く図書館のようなものだ。読み切れるものではない。

 ワタシの知識など、本当は誇れるものではないのだ。


 相手が魔界に棲む魔王なら、尚のこと。

 人間が知識でかなうなど、幻想にすぎない。 


 なのに。そんな凄い相手なはずなのに。

 なんでこいつは、こんなに――。

 ワタシと、親しくしてくれるんだろう。


 魔力が極端に低い、出来損ないの魔女なんかと……。


 彼は、白銀色の長いまつげを伏せ気味にして、黄金の発泡酒を見つめていた。


「ジャンザ……。俺、嬉しかったんだ」


 ぽつりと言う。


「婚約者だって、はっきりとエンリオに紹介してくれて」

「事実を正確に説明しただけだ」

「うん。だから、それが……嬉しかった」


 彼はワタシに笑顔を向けた。

 美しい魔王。何物にも代えがたき、神代より続くその麗容。風の魔物たちの長、翼の王。美しくて当たり前の元神族の青年。


 だが、そんな彼の生きてきた道よりも、ワタシは……。


 ワタシとほとんど歳が変わらないように見える、今確かにここにいるアスタフェルの、照れた優しい笑顔が心に染み入った。


 今だけは、王子との因縁は忘れていたい。ただアスタの笑顔の中だけに生存していたいと心から願う。


 楽団が新しい曲を奏ではじめた。


 楽しげなのに、どこか哀愁を帯びた曲調。土着的な匂いを感じる旋律。懐かしい気がした。

 もしかしたら、師匠と旅してきたどこかの街で聞いたことがあるのかもしれない。


 師匠……。人々のため魔力を使い果たし、若くに亡くなった、ワタシの育ての親……。


「踊ってきていいぞ」


 ワタシはそれだけ言って、また水を飲んだ。

 アスタはこういう場が好きなようだし、たぶん踊ること自体に悦楽を得るタイプだろうから。それを止めるのもかわいそうだ。こんな機会はそうそうないのだし。


 それに、ワタシにはワタシの――『するべきこと』がある。


「え、でも」

「オマエが踊るところ、見たいんだ」

「踊るならジャンザと踊るよ」

「ワタシはまだ休んでる。オマエなら踊る相手くらいすぐに見つかるだろ? それだけ綺麗なんだから」

「そうやって俺のこと口説くだけ口説くんだからな……」

「馬鹿。こんなの口説いたうちに入るか。口説くってのはな、こうやるんだよ」


 ワタシは背筋を伸ばすと彼に向き直り、片手をアスタの顎に添えた。


「――え?」

「アスタ……」


 きょとんとした明るい空色の瞳を、じっと見つめる。

 アスタフェルの顔が次第に赤く染まっていく。


 日頃の感謝を込めて。

 身体の奥底から沸き上がるこの気持ちのままに、誠心誠意、アスタフェルを口説いてやる。


「アスタ、ありがとう」


 心を込めて、優しく囁くことから始めた。


「え、あ、水そんなに気に入ったんならお代わりもらってこようか」

「水じゃないよ。さっき、剣で切られそうになったのを助けてくれただろ」

「ああ、あれは。当たり前なことをひた、しただけだ」

「それに、その前も。貴族たちに絡まれてたのを助けてくれくれた……」

「ああああれは、ほら。俺が助けたいから助けたっていうか」

「オマエはワタシを守ってくれる……」


 自分の身は自分で守ってきた。

 だって、師匠が死んでから、ワタシは一人だったから。

 すべてを一人でこなすしかなかった。


 だがアスタフェルと一緒に生活するようになって、それが変わった。


 いつなにが起こっても対処できるように、常に落ち着こうと自分に言い聞かせてきたのに。

 こいつを前にすると、たまに心臓が暴走する。今もそうだ……。


「今日だけじゃない。いつも、オマエはワタシと共にいて、ワタシを守ってくれる」


 食事を作ってくれるし、掃除も洗濯もしてくれる。それだってワタシを守るということだ。

 なにより、いつもそばにいてくれる。


「それは、その。おっ、お前の事好きだし、一緒にいたら楽しいし、変なこと言ったら突っ込み入れてくれるのが楽しくて……」

「あれはわざとやってたのか?」

「は、半分くらいは。迷惑ならやめる」

「半分残っても仕方ない。それならオマエの全てを受け入れるよ」


 いつも、本当に、オマエには言葉にならないくらい感謝してるんだ。


 アスタの頬に添えた手を滑らせ、頬を片手で包み込む。

 そうしておいて、顔を引き寄せなければ聞こえないくらい、小さな掠れ声で囁いた。


「ありがとう、アスタ。……愛してる」


「……かはっ」


 アスタフェルは吐血したかのような声を出し、背筋をぐるりと回してワタシに背を向け、さらにソファーの背もたれにグラスを持ったまま起用にしがみついた。


「やばい。やばいって。くそぅ……本気のお前がこんなにも恐ろしいとは……」

「喜んでもらえて何よりだ」

「よっ、喜んでなどっ……!」

「気付いてないのか? オマエさっきから顔がニヤけてるぞ」

「だからそういう言い回しが――」

「強がり。でもそういうところ、可愛いよ」

「……………………ふふっ」


 アスタフェルの肩が微笑に揺れる。


「追い打ちか。癖になるな。癖になるうううう……」


 あ、なんか魔王が壊れた。


「お前、心を惑わすものが嫌いといってたくせにぃ……。自分は十分俺の心を惑わしてるぞ……」


 背もたれにしがみついたまま(とろ)けていくアスタフェル。

 ワタシは静かに頭を振った。


「こんなの大したことないだろ。オマエの気持ちはもうにそこにあったのだから」

「……? 意味がよく分からんが……」


「ワタシはオマエを惑わしてない」


 アスタフェルの背に流れる美しい長髪を、手でさらりと払う。

 さらさらと、まるで砂銀のように白銀の髪がワタシの手から流れ、下士官風の服を着た黒い背に落ちていく――。


「惑わしたんじゃなくて。……これが、オマエの本心だよ」


 実際に、ワタシは大したことはしていない。

 アスタの気持ちを知っているからこそ、なんの心配もせずにこんなことが言えたというだけのことだ。


 彼は背もたれを掴んだ腕の中に顔をうずめた。しばらくそのままピクリとも動かす、静寂が続く。


「……おい、大丈夫か?」


 さすがに心配になって声をかけると、彼はがばりと顔を上げた。


「お前の本気、しかと見届けた」


 口調はしっかりしているが、顔がもう無茶苦茶赤かった。もちろん明るい空色の瞳もかなり潤んでいる。


「これはもう動いて発散しないとやってられんわ。やっぱり踊ってくる」

「そうしてくれ。そういえば踊れるんだっけ?」


 勧めておいてなんだけど、魔界の風の王が人間のダンスなんか踊れるのか……。


「見てたら覚えた。そんなにパターンないし」

「……なるほど」


 こいつ楽器も弾けるし料理もできるし、なにかそういう、技工を習得するということに関しては才能があるのかも知れない。


 アスタフェルはグラスに残った黄金色の発泡酒の残りを一気にぐいっとあおった。

 勢いのまま、立ち上がる。


「……でも、またいつでも俺をくっ口説いてくれてもいいぞ、ジャンザ」


 視線は前に固定したまま、彼はそんな事を言った。

 なんだかんだ言って、結局は楽しかったのかな。目一杯口説いてよかった。

 ワタシはくすりと笑う。


「仰せのままに、我が王よ」

「うむ」


 空になったグラスを飲み物を配って歩いている従僕に渡すと、アスタは舞踏の場に歩み寄っていった。


 そして、本当にすぐに、あっという間、美しいドレスを着た女性に捕まった。

 その淑女はちらりとワタシに視線を送ってくる。


 アスタが笑顔で淑女に返しているのを見るに、彼女はいいんですか? とか女性に聞かれて、あいつは疲れたから休んでいるんだ、とでも返したのだろう。

 アスタの顔にやましさはない。まだ赤さが残っている頬ではあるが、単純に、踊ることへの楽しさで輝いていた。切り替えは早いようだ。

 少し寂しい気もするが、今はアスタの心の軽さがありがたい。


 彼らは互いに手を取り合うと、意気揚々と踊りの場へと入っていった。


 できればあのダンスのお相手がワタシだったらいいのに……なんて思うことができたら、ワタシにも少しは可愛げってものが生まれるのだろうか。


 そりゃあ、ほんの少しだけ、自分の判断に後悔もするが……。

 でもダンスのステップなんか知らないし。

 だいたいワタシはただの悪い魔女だ。

 悪い魔女には悪い魔女の役目があるんだ。


 それでも踊り始めたアスタが楽しそうなのを見ていると、こちらまで楽しくなってくるのは不思議な感覚だった。


 控え室で王党派とひと悶着したより前。控え室に行く廊下で不良貴族たちに絡まれるよりも以前。

 夫人たちと別れて、アスタを見つけて……ここを出ていったときのことが目に浮かぶ。


 女の子たちに囲まれて楽しそうに笑っていたアスタフェル。

 なんであんなに嫉妬したんだろう。

 アスタは、おそらく本気でワタシを好いてくれているというのに。


 だけど、ワタシは。その彼を利用すると、決めた。


 アスタとの交流でドキドキしていた気分を落ち着けるために一口水を飲むと、軽やかに冷たく食道を降りていく感じがある。


 アスタほどうまく切り替えられるかは分からないが、少なくともこれは、アスタに近くにいてもらうわけにはいかないのだから。


 ……さあ、以前のワタシに戻ろう。冷静さと理性で感情をねじ伏せる、いつも平常心であることが武器のワタシに。


 そう。


 いま、ワタシのから距離をとって隣りに腰を下ろした黒髪の青年とのあれこれを、アスタフェルに知らせることは、しない。それがワタシの下した決断だ。


「聞きましたよ、ジャンザさん。ご活躍だったようで」


 今宵、男性陣のなかでいちばん豪華な礼服を着た青年。

 彼の父親である国王がいる王都から遠く離れた、静養のための離宮でもあるこのリザ宮で、いちばん身分が高い青年。

 この宮殿における、最高権力者。


 彼の思い通りに、この宮殿は進む。


「僕のために人払いしてくれたんですか? 罪な人だ」


 くすくす笑う王子様。


 かつて、そして今も。

 魔力を持たぬワタシが権力を持つために――薬草薬を広めるために、籠絡せねばならぬ薄銀の瞳の男。


 権力を持った人妻好きのクズ。

 名を、アーク・レヴ・スティクス=エリウスという。





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