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66話 焦る魔王

 噴水がきらきらと月の光を跳ねて輝いている。

 空を仰げば、そこには白く輝く円い月があった。今夜は満月だ。


 一人静かに佇んでいると分かる。中庭(ここ)の夜気には酒の匂いが滲んでいた。


 舞踏会会場である大広間からは結構距離があるのに。それともすぐ脇にたたずむ館から漂ってくるのだろうか。

 貴族たちが……いや、貴族に限らず、老若男女問わず。しっぽりと楽しんでいる、その場を提供する独立した棟……。


 ワタシはハイヒールに慣れるためにゆっくり歩きながら、なんの気もないふうを装いつ――突然植え込みにガサリと踏み込んだ。


 そこには特に誰もいなかった。

 耳を澄ましても何も聞こえない。


 やはり誰も潜んではいないか……?


「ジャンザ」


 と、偵察から帰ってきたアスタフェルがワタシの名を呼んだ。

 その彼の姿を見て、ワタシの心がゾクッとする。


 明るい月に照らされた、輝くような白銀の髪。そこだけ闇に沈むような、黒い立て襟の礼服。これをアスタフェルに見立てた人はなかなかセンスがある……。

 なんだか恥ずかしくなって視線を外してしまうワタシに、アスタフェルは言った。


「襲われなかったか?」


 いきなり何言い出すんだこいつ?


「なんの話だ?」

「さっきの奴らみたいなチンピラどもに……」

「特になにも。ご覧の通り、ワタシは無事だよ」

「よかった。腰の立たない女はああいう輩のいい標的にされるからな。本当に心配だったんだぞ」


 そういえば偵察の仕事を頼むとき、『一人にするのは心配だ』と抵抗を受けたんだった。そんなこと言ってる場合じゃないので、奥の手があることを明かし更に噛みつく勢いで命じ無理矢理行かせたが……。


「ワタシのことはどうでもいいから。そっちはどうだった?」


 聞くと、彼は静かに首を振った。


「俺にとって一番大事なのはお前だ」

「……話が噛み合わないな。ワタシは報告が聞きたいんだが」


 アスタフェルはふぅっと短く息を吐いてから口を開く。


「駄目だった。ユスティアの姿などどこにもなかった」

「一応聞いておくが、ワタシが心配で偵察もそこそこに引き上げてきたわけじゃないよな?」

「それはさすがに心外だな」

「すまん。余計なことを言った」


 彼にはエンリオとユスティアのあと追って、どこの部屋に入ったかを探ってもらうよう頼んでいた。

 本当ならワタシもついて行きたかったが、足腰がまだ回復していなくてアスタフェル一人に行ってもらったのだ。


 が、初動が遅すぎてユスティアたちのあとを追うことはできなかった――という結果が、今分かった。


「今度は俺の番だ。ジャンザ、もう歩いて大丈夫なのか?」

「もちろん。ほら」


 と低い植え込みの中でゆっくり数歩歩いてみせる。


「自分の身体のことは自分でわかる。あれは安静にしていればすぐに元に戻る程度の症状だった」

「そうか。だがこういう無茶な命令はもうしないでもらいたい。仕事は仕事でちゃんと遂行したが、足腰が立たない女をこんな所に一人で置いておくのは気が気じゃないんだからな」

「すぐ治ったっていってるだろ……」


 なんてぶつくさ文句を言ってみるが、アスタフェルの心情もよく分かる。チンピラに絡まれてすぐのワタシを一人にするのは心配だろうし、それが腰が抜けているなら尚更だ。



「……まあ、悪かったよ。今度こいういうことになったら別の案を考える」

「分かればいい。いい子だ、ジャンザ」


 などと言ってワタシの頭を大きな手で撫でてくる。


「なんのつもりだ?」

「夫の特権だ。ほれ、お前も甘えてもいいぞ? アスタぁ! とかいってしなだれかかってくるがよい」


 気持ち悪い猫なで声で自分の名を呼ぶ。ワタシにそう呼んでもらいたいのか? それはちょっと御免被りたい。


 しかし、変な感じだ。

 夫……。まだ結婚してないから違うとはいえそうなるという約束はしたからアスタフェルの言葉に嘘はない。王子と浮気すること前提という非常にアホなものだが。でもワタシがこいつのこと好きなのは事実。


 ……やっぱり、単純に恥ずかしいんだよな。こうやって頭を撫でられるの。

 けど、なんだか妙に安らぐ感じもした。

 父親とか兄とかに撫でられたらこんな気分になるのかもしれない。経験ないけど。


「おお……」


 顔の熱さに俯いて彼に撫でられたままのワタシに、アスタフェルは感嘆のうめき声を漏らす。


「ジャンザが俺の手を振り払わない。凄い。夫婦最高……!」

「まだ結婚してないから夫婦ではない。あとせっかくセットしてもらった髪が崩れるからもうやめろ」


 指摘されて一気に恥ずかしさが勝ってしまったワタシは、お望みどおりに手を振り払った。

 まったく。こいつは一言多いんだよ。


「オマエが持ってきてくれた情報を鑑みると……」


 無理矢理に話を本筋に戻す。本筋というのはつまり、これから我々はどうするか、ということだ。


「我々がすべきは、遅かれ早かれ行動を起こすエンリオに乗じること、だな」

「エンリオが、行動を起こす?」

「そうだ。もともとワタシたちは、ユスティアが『婚約者』と二人っきりになることを阻止するためにこの舞踏会にやってきた。しかし、予期せぬ事情が立て込んでそれは失敗した」


 当初の予定では舞踏会が始まったらすぐにユスティアに引っ付いて、ユスティアに個人行動をさせないつもりだった。

 なのにユスティアに会えないばかりか、チンピラ貴族に絡まれる始末。

 しかもユスティアは控え室に行ってしまった。エンリオと共に。


「しかし、相手が本物のエンリオだというのはワタシにとっては僥倖といえる」


 ワタシは静かに、月夜の庭園を見渡す。特に茂みのあたりを。


「伏兵がいないのは予想外だけどな」

「ふ、伏兵!?」

「驚くことじゃない。ワタシがエンリオなら必ず伏兵をその辺に潜ませる」

「なんでそういう話に……?」

「前に図書館で聞いただろ? エンリオとユスティアが話してるの。ユスティアがエンリオのこと平手打ちして、エンリオが負け惜しみを言って、そこにエンリオの部下が迎えに来た。部下の名前は、確かキーロンだ」

「よ……よくそんな奴の名前まで覚えてるな」

「印象的だったんだよ。あの真面目で大人しいユスティアが男に平手打ちくらわしたんだぞ」


 おそらくエンリオがわざと煽ったんだろうけど……。


「だから、エンリオは自分がユスティアに嫌われてることは知ってる。まさか思いを遂げるために控え室に誘われたとは思わないさ。罠なんてことは先刻承知の上だろう」


 その割には控え室にユスティアを先導していたし、伏兵すら潜ませていないけど。

 もしかしたら部屋に伏兵を潜ませているのかもしれない。だからこそ先導したのだという推測も成り立つ。


 ワタシは建物を見上げる。バルコニーが飛び出した豪華な仕様の建物だ。

 このどこかに、ユスティアがいる。

 潤沢な資金を持つ何物かに巻き込まれて、なにかをしようと企んで……。


「それに、シフォルゼノは聖職者の妻帯を禁止している。エンリオは聖職者の資格も持っている。禁忌に触れることは絶対にしない。あいつはそういう意味ではものすごく真面目なんだ」

「以前お前は、エンリオのことを王子様を守る勇者であり、自分は退治されるべき悪役だとかなんとかいっていたが……。そのわりには随分とエンリオのことを信頼しているのだな」

「オマエ、面白いこというんだな」


 そんなふうに考えたことはなかった。このワタシがエンリオなんかを信頼しているとはな。


「確かに信頼しているのかもしれないな。あいつと……あいつが従うシフォルゼノを」


「ジャンザ」


 突然、ワタシはアスタフェルに荒っぽく肩を掴まれた。

 ワタシの顔を見つめる顔色は、ひどく険しいものだった。


「すぐにここを出よう」


 なんだ?


「ここはジャンザに似つかわしくない。ここにいたら、お前は……」

「いきなりどうしたんだ?」


「お前のことは俺が守る。だから早く魔界に帰ろう。俺の城で式を挙げよう。二人でエプロンドレスを着て毎日イチャイチャしまくろう。それで部下たちを呆れさせてやろう。なんだったらお前が俺のこと食べていいから。ホイップしたてのふわふわフリルだぞ?」

「……今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」


 確かに、アスタフェルの申し出はそれなりに魅力的なものではある。いろいろと正したいところもある。

 しかしエンリオとユスティアを見張らなくてはいけないし、だいいちワタシには薬草薬を広めるために王子の権力を利用するという野望が……。


「ジャンザ、お前は俺のものだ。誰にも渡さない。お前は俺を選んでくれたんだろ?」


 頬を両手でしっかりと包まれる。そして、彼の顔に向かされた。


 アスタフェルの美しい顔は真剣で、空色の瞳は不安そうに揺れていた。

 それでようやく、ワタシも彼の異常を受け入れた。


「何があった? ワタシに話してくれ。力になれると思う」

「……お前は」


 アスタフェルは辛そうに眉を寄せ、言葉に詰まる。

 瞳が逡巡するが、すぐにワタシをまっすぐに見つめ言葉を続けた。


「どこにも行かないって、約束してくれるか?」

「ああ。約束する」


 というかワタシ、オマエの真の名をしってるから魂レベルで分かちがたいんだけどな。


 ワタシの答えに、彼はあからさまにホッとした。


「ジャンザ……。すまん。俺、ほんとにお前のこと好きなんだ。お前がいなくなると思ったら急に怖くなって……」

「……話の流れが読めないな」


 いったいこれまでの会話のどこに、ワタシがアスタフェルから離れるなんて話題が出てきたのだろう。

 それともこいつだけが知る符牒があったのだろうか。ワタシが知らない秘密の合い言葉めいたものが――。


「キスしたら、お前なら気づくかもしれない」

「は?」


 ワタシの頬を包むアスタフェルの手に、力が込められる。


「でも、それでも俺を選んでくれるんだよな? ジャンザ――」


 緑色の閃光が上から降ってきたのは、アスタフェルが言い終わるのと被っていた。ほぼ同時にガシャン! とガラスが割れる派手な音が鳴り響く。


「!」


 光は一瞬で消えたが、今度は知らない声が複数、上から降ってくる。何を言っているのかまでは聞き取れない。


「アスタ」


 ワタシは彼の手を振り払うと、そのバルコニーを指さした。


「あそこだ。ワタシを抱えてあそこに飛べるか?」

「え? あ、ああ……」

「しっかりしろ!」


 ワタシはスカートの隠し(ポケット)に手を突っ込みながらアスタフェルに発破をかける。


「お待ちかねの時間が来たんだよ。エンリオが動いたぞ」


 もちろんアスタフェルがやりかけたことへの未練もあるが……。それより今は、今しかできない目の前のことに集中しようじゃないか。


「ああ、ジャンザ……。お前のそういうとこ好きだよ」


 半泣きの顔で、彼は純白の四翼を現した。



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