60話 初めての種類の危機
ワタシは力強く手を振りほどく。
「やめてください。その気はありません」
「そうかい? でも本当に怪我は大丈夫なのかい?」
そう言って、舐めるようにワタシのスカートに視線を下ろした。彼が目指しているであろう足首は、ロングスカートの裾の中だ。
「観てあげるよ。これでも癒やすのは得意なんだ」
とワタシの答えも待たずスカートに手を伸ばす。
「ちょっ、やめてください!」
「ここでの介抱は嫌かな? いつ人に見られぬとも限らないしね……。じゃあ、やっぱり控え室に移動しよう。ベッドで寝てゆっくりすれば治るかもしれない」
まあ安静が大事なのは間違っちゃいないが。その見え見えの下心をなんとかしろよ……。
派手な青年はワタシの身体に自分の身体をすり寄せてきた。酒臭い息がもわんとワタシの顔にかかってきて、思わず息を止める。
「君はどこのご令嬢だい? こんな所に一人で来て……。誰かに振られたのかな?」
「人を捜しているだけです。今すぐワタシから離れてください」
「へえ、人捜しね。僕も手伝ってあげようか?」
「……お断りします。ワタシ一人で捜します」
一瞬申し出を検討してしまったが、すぐに首を横に振った。しかし本当に……酒臭くて気持ちが悪い。
「でもさぁ……」
派手な青年は偉そうに胸を反らすと、指をぱちりと鳴らした。すると、夜気に開けていた戸口の向こうから数人の男が入ってくる。
「捜索の手は多い方がいいんじゃないかな?」
「そうそう、お嬢様お一人で捜すよりもね」
「どんな人をお捜しなのかな? 君を振った男性だとしたら、そんな男諦めなよ」
「俺達と楽しんだほうが人生楽しくなるぞー」
男たちは皆一様に派手な格好をしていた。皆そこそこの身分のようだ。ニヤニヤと下品な顔をさらしながら、壁に寄りかかったワタシを取り囲む。
どうやらリーダー格らしい、派手な赤い燕尾服と青いボウタイの男がもう一度胸をせり出す。あと少しでワタシの胸に触りそうになり、ワタシのほうが壁により身を引いた。
「そんな怖い顔しないで、お嬢さん。こういうのは初めてだろ? そんな豪華な格好でこんな所に一人で来るなんて。だから悪い大人に捕まっちゃうんだぞ」
そうか。この格好のせいか……。
ワタシはようやく理解した。
今までこんなことになったことがなかったからつい図書館への最短ルートに控え室への廊下なんか通ってしまったが。
今までワタシは、薬草の匂いが染みついた黒ローブという、いかにも魔女らしい格好しかしたことがなかった。だからこういう手合いからも女としては扱われてこなかった。
しかしエベリン夫人の見立てによるこの華美なドレスは、存分に女性であるということをアピールするものである。そしてこの服に込められたメッセージをこの男たちは正確に受け止めた。
だから彼らは、ワタシをどこぞの貴族のお嬢様とでも思っているのだ。
「そうだ、素直にしてれば乱暴には扱わないよ」
大人しくなったワタシを自分たちへの肯定と受け取ったのか、赤い男はニヤリと笑う。
「僕たちはみんな紳士だからね。みんなで君に大人の楽しみを教えてあげたいだけなのさ」
「……あまり舐めないでいただきたいですね」
「なに?」
「ワタシを舐めるな、といったんです」
ワタシはぴしっと背筋を伸ばし、胸を張った。
それだけで圧倒的だった男たちの雰囲気は薄れる。赤い男は一歩、下がった。
男たちは低いハイヒールを履いたワタシとほぼ同じくらいの背丈だった。
アスタフェルから魔力を引き出して彼らに使うつもりはなかった。あんな奴の力など使わなくても、ワタシならこれくらい対処できる。
アスタフェルと会う前は、ずっとそうやってきたんだ。
今回だってちゃんと用意はしてある。
「どこぞの貴族のご令息方とお見受けします。それが、……四人か。一人の女性をそれだけの人数で追い詰めるとは。ご親族が知ればさぞやお嘆きになるでしょう。一族の恥だとね」
「なんだと……!!」
「こんな格好をしてはいますが、ワタシは魔女です。あなた方よりよほど知識も胆力もある。そう、あなたよりも!」
口先で煽りながら指をさして注意をそらす。その裏で、ワタシはそっとスカートの隠しに手を入れた。
「しかし、そのワタシの身からしてもあなた方は羨望の的ですよ。生活の心配もせず頭空っぽでただ目先の愉楽に忘我し徒党を組んで女を襲うという人後に落ちる慮外千万な行為で満足なされるほどの下直な精神をしているあなたが、そうあなたも、あなたも、あなたも。そんなあなた方がとてつもなく羨ましいのです。何故か分かりますか? 命を削って世に報い、見果てぬ夢を叶えようと喪われし太古の叡智を模索し、さればと現実に立ち向かうため無い頭を振り絞って働かせる……そんなことをする必要がないからです。もっともしたくてもできないでしょうけど。あなたがたのような空っぽな頭では、例えそれが偉大極まりない知識であったとしても吸収することは不可能。おっと失礼、女を襲うことにかけては一家言おありか。その惰弱な本能に基づく石ころみたいな信念が一つ、頭のなかにぽつんと転がっておられるんだ。頭を振ったらさぞかしカラカラいい音が鳴るでしょう」
指さして喋りながら、奥の手を握りしめた手をそっとポケットから出す。
あからさまな視線の誘導だが、それでも男たちは指先に注意を向けていた。
本当は、ユスティア関連で使うことになるかも、と用意してきたものだけど……。
魔女だと明かしたのだから、こいつらがそれで引き下がれば使わずにすむが……。
男たちは一瞬目を点にし、ひそひそと仲間内で語り合い始めた。
「なんて言ったんだ?」
「よく分からんが、馬鹿にされた気がする」
「俺もそう思う」
「そうか、よし」
あれ。意味が通じてない?
亡き師匠アリアネディアの声がふと耳に聞こえた気がした。
ジャンザの言葉はちょっとややこしいときがあるからもっと簡単に言わないと伝わらないよ、と。
代表の赤いのがワタシにニヤリと笑いかける。
「お嬢さんが魔女? はったりはやめるんだな。魔女はそんな美しい格好などしないさ。それに君の姿は魔女というより……」
彼は不思議そうに、私を見て首を傾げ、呟いた。
「聖妃……様?」