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52話 風の魔王、マヨネーズを作る

 あれから――ワタシが魔王に求婚(プロポーズ)してから、十数日が過ぎた。


 その間、ワタシたちの関係は変化したかというと、特にしていない。アスタフェルはワタシの言いつけ通り、求婚に関しては忘れてくれたようだった。

 それはそれで寂しかったが、自分が命じたことだ。仕方がない。


 で、そうこうしているうちに、城から招待状が届いていた。

 内容は、舞踏会への招待状。

 主催はエベリン夫人だ。エベリン夫人が城を去る、その送別会的なものらしい。


「ほう、これは。かなり正式な招待状だな」


 なんてアスタフェルに言われるまでもなかった。

 こういう舞踏会というのは、格式あるものほど夫婦で参加することが儀礼となる。

 そこに、ワタシとアスタフェルの二人を、婚約した恋人たちとして招待しているのだ。夫婦に準ずる扱いだ。


 ところで。


「なんで王族主催の舞踏会にこんな正式に招待されるんだ? 俺たちって魔女とその付き人だろう。魔女というのは貴族扱いされるのか?」

「貴族に尊重はされるが貴族扱いはないよ。エベリン夫人って、ほらこの前の犬の。あの人王子様のお祖母さんだったんだ。たぶん、恩返しのつもりなんじゃないか」

「……ええええ!?」


 あの夫人が王子の祖母だと知ったアスタフェルの反応は、だいたいワタシと同じだった。


 しかし、夫婦に準ずる扱い、か。どうせあの人妻好き王子も関わってるだろうし、嫌な予感しかしない……。



* * * * *


 昼食を作るアスタフェルに、舞踏会に行く気はないことを告げた。


「行かない? なんでまた」


 エプロンドレスとフリルカチューシャを身につけて料理をする風の魔王が、振り返りもせずに手を動かしながら問い返してきた。

 それにしても似合ってる。町人風の古着の上に着ているからまるで無理矢理女装しているみたいな雰囲気になっているが、それがまたいい。

 ああ、でもやっぱりアスタ自前の服もいいな。異国風の魔王の普段着と、それから黒い正装。エプロンドレスはなんでも似合うな。いや、アスタフェルに似合っているだけだから服装はなんでもアリなのか。


「まず第一に、ワタシたちは婚約していない。婚約者として舞踏会に出席する義理はない」


 キッチンの食器棚に背をも垂れかけさせたワタシは、彼の背を見つめながら腕を組む。

 アスタフェルは何かを泡立てていて、エプロンの紐を腰でちょうちょ結びにしているのが彼の細かい動きで揺れてかわいかった。

 白銀の髪の毛はお団子にして後ろに一つにまとめているから動かない。

 アスタフェルが髪をまとめる手さばきはいつも見事だ。やはりああいうのもは習得しておいた方がいいかもしれない。髪型なんてついぞ興味なかったが、アレを習得すればアスタフェルの髪の毛をワタシが整えてやることもできる……。


「なるほど、明快な論理だ。第一ということは第二、第三があるのか?」

「ある。ワタシはこの黒ローブしか持ってない。これで舞踏会に出席するわけにはいかない。正式な舞踏会に相応しいドレスやら宝飾品やらなんて、魔女のワタシが持っているわけがない」

「夫人が貸してくれるって手紙に書いてあっただろう。身一つで来ていい、と」

「借りてまで似合わないものなんか着ないっ」

「そんな噛み付くように言わなくても。舞踏会のドレスなんて似合う似合わないという区分で着るものじゃないし。それに安心しろよ、俺の見立てだとお前はドレス似合うぞ。きっとすごく可愛いよ」


 憎からず思っている相手にこんなことを言われれば、ワタシとしても嫌な気はしない。


「ああいうのは恋に瞳を輝かす乙女が着てこそ様になるのさ。真面目くさったつまらない魔女が着て似合うものか。そのうえ可愛いなんて。オマエの言葉は天上の神々を讃える歌のようなものだ。見たこともないから無責任に褒め称えられるのさ」


 視線を外してぶつくさとそんな憎まれ口を叩いてしまうけれども。


「へえ、お前が照れるなんて珍しいな」


 アスタフェルには通用しなかった。


「照れてなんか……!」

「で、第三の理由はないのか?」

「……そうだな」


 律儀に考えてしまうのはワタシの真面目さゆえなのだろうか。王子には真面目すぎてつまらないと言われたけれど。アスタフェルはこんなワタシのことはどう思うのか……。


「王子……」


 言いかけて、やめた。

 あの日以来ずっと考えているが、結局王子のことはまだ結論づけてはいない。


 ワタシの野望を叶えるため、権力を得るため。王子の愛人になる必要がある。そのためにはアスタフェルと結婚しなければならない。無茶苦茶な話に見えるが、筋は通っている。王子が屑という筋だ。

 考え方によっては野望達成まであと一歩とすらいえる。


 だが、そのためにはアスタフェルを利用しなければならない。

 彼に愛を誓い、欺くか。それとも正直に言うか。

 それだけではない。彼は本来、ワタシの命を狙っている風の魔王だ。以前彼がワタシと結婚したいと言っていたのはあくまでも命をとる代わりとしてである。それも、魔界に連れていくとかいっていた。

 そのアスタフェルの狙い通り結婚したとしたら、ワタシはどうなるのか。アスタフェルは、何を考えているのか。

 考えなければならないことは沢山ある。問題は山積している。


 それとも――王子自体を、諦めるか。


「王子? 第三の理由はアーク王子か?」

「いや……」


 結局、王子に会うのが気まずくて王城になんか行けない、というのが一番の理由なわけだが。

 それをアスタフェルに言うこともできず言葉を濁す。


「お前にも考えがあるんだろうけどさ、行ったら行ったで楽しいと思うぞ。さて、こんなもんかな。ちょっと味見してくれ」


 明るい声がして、アスタフェルはクリーム状のものを小皿に少量移した。

 向き直り、ワタシに小皿を差し出す。

 ……やっぱり、どうせ見るなら正面から見るほうがいいな。エプロンドレスとフリルカチューシャと、それにアスタフェルは。


 さて、渡された小皿だが。

 淡い黄色の、クリームのようなものが乗っていた。あれだけ泡立てた名残はいくつかの細かい泡だけだで、あとは水面のような光沢を浮かべている。

 小さなスプーンも渡され、ワタシはそれをすくって匂いをかぐ。

 ……酸っぱい匂いがする。


 アスタフェルが作ったのだし、変なものではないだろう。


 口に含むと、まろやかな酸味とコク、それにちょうどいい塩気があった。ずいぶんと軽い口当たりだった。


「……これは、玉子?」

「ご名答。玉子と酢と油を必死に混ぜて凝固させたドレッシングだ。マヨネーズという」

「美味しいな。初めて食べた」

「そう言ってもらえると作ったかいがある。しかし欠点もある。作るとなるとまとまった量ができあがることだ。しばらくはこれが続くからな」

「楽しみだ。これならいくらでも食べられる」

「その言葉覚えておけよ、胸焼けしてもしらんぞ」


 しかし、さすがは風の魔王アスタフェル。珍しい料理を知っている。しかも美味しい。魔界の郷土料理だろうか。


「マヨネーズ、か。アスタ、これみんなにも教えてあげていいかな」

「おお、いいぞ。材料自体は割とそのへんにあるものだからな。作るのにコツがいるからそれも教えてやる。塩加減が難しいからそこも……って、ジャンザ」


 彼はくすっと笑って、ワタシの唇のすぐ下をその指先でなぞった。


「ほら。付いてたぞ。慌てん坊め」


 突然のことに動きを止めたワタシの前で、アスタフェルは拭い取ったマヨネーズごと、指先を口に含む。

 それを見た瞬間、ワタシの心臓を火の杭で貫いたような鼓動が走った。


「うん、うまくでき……」


 アスタフェルは指をくわえたまま。ワタシは皿を持って心臓の激しい音に耳を澄ませながら。

 しばらく無言で見つめ合っていた。

 が、風の魔王の顔がみるみる真っ赤になっていく。


「えええええちょっ、ちが、何やってんだ俺……」


 エプロンドレス姿の魔王が、慌ててくわえた指を口から放して顔を赤くしている。

 心臓が灼熱をもって鼓動するたび、昏い熱情が腹の底から湧き出してくる。

 ……可愛いことをしやがるじゃないか。ワタシを狙い撃ちしてるのか? 誰のせいでこんなに……覚悟が鈍ったと思ってるんだ。

 その思いに突き動かされるまま、アスタフェルの手をとった。


「え」

「オマエ」


 その手を、彼の肩にあるフリルの横まで持って行き、しっかりと彼の細長い指と絡める。

 優しげなフリルの横で交互に編まれた指は、その重なりが繊細かつ精巧な細工のようで心惹かれる。――彼の唾液のついた指先が、艶かしい。


 押さえていたなにかが、ワタシの中で暴発しそうだった。


 ただでさえ、アスタフェルはエプロンドレスを着ているのに。フリルカチューシャで白銀の髪を押さえているのに。

 自分のすべきことに悩んでいるというのに。……腹をくくりかねているのに。

 なのに……こんな仕草されて、こんな色っぽい指先で。


「……よな……?」

「なにいって……え? ジャ」

「アスタぁ!」


 自分で自分の声に驚く。

 それが、愛しい男に甘える色っぽい声なんかではなく。身勝手な怒気をはらんだ低い声だったから。


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