50話 すべきことは、分かっているのに
「この、アホ」
「うっ」
いろいろ言いたいことはあるのだが、王子の手前、感情を抑えた一言で済ます。
それでもアスタフェルには効いたようで、小さくうめいてよりハープにしがみついた。ところでアスタフェル、それ王子様のハープだぞ……。
「とにかく家に帰ろう。今のオマエにはそれが必要だ」
「いいのか? アーク王子がいるのに……」
アスタフェルは明るい空色の瞳で王子を見やるが、ワタシは頷いた。
「いいんだ。もう用は済んだ」
「あんっ、……ごほっ、だから触るでない。自分で立てる」
強引に腕を持って立たそうとすれば、アスタフェルは真っ赤な顔で変な声を上げる。それを誤魔化すように咳払いしたのが面白かった。もっと触って面白い反応をさせたい欲が出るが、王子の手前だし控えておこう。
「ジャンザさん」
声がかかるが、ワタシはそちらを向かず、自ら立ち上がるアスタフェルを見ていた。一つに結われた彼の白銀の髪は美しい。
「頭のいいあなたなら、自分がどうしたらいいのか……分かっているはずです」
「王子様のいう頭の良さというのは範囲が狭いようですね。残念ながらワタシには何を仰っているのかさっぱりですよ」
「それから、アフェルさん」
王子はワタシではなくアスタフェルに声をかける。
「どうもありがとうございました」
「え? 俺、何かしたか?」
「いえ……こちらの話です。でも、ありがとうございました」
「お、おお。良きにはからえ」
……ちっ。
行儀が悪いが、ワタシは小さく舌打ちする。
どうやら悪事がバレたようだ。
つまり、媚薬を盛っていたことを。それをアスタフェルが飲んでしまい、結果的に王子を守った格好になったことを。
まあアスタの態度はバレバレなものだし、見当はつくか。
なんにせよ、この王子様……。今更だが侮らないほうがいいな。
「冷静な判断を期待しています、ジャンザさん」
そんな言葉に見送られ、ワタシたちは談話室を辞した。
* * *
王城を出て、街を抜け……。
ワタシたちは一面の小麦畑のなかの一本道を歩いていた。
こうして広い場所に出て一息つくと、いろいろと考えてしまう。
――自分の目的だとか、してきたことだとか。
さっきはあんなことを言ってしまったが、落ち着いて考えてみると、確かに王子のいうとおりだった。
ワタシが王子に自分の理想を押し付けていたのは事実だ。何も知らない、騙しやすい、善良ではあるが没個性な王子様。だからこそワタシはそんな彼と結婚し、彼から権力を得ようとしていた。
王子がどんな人でなにを考えているかなど知ろうともしなかった。
彼だけを責めるのは筋違いだった。
そして、自分の野望を叶えるためにワタシがすべきことも、癪だが彼の言うように、本当は分かっていた。
「あの……ちょっといいか、ジャンザ」
「なんだ?」
アスタフェルがおずおずと声をかけてきて、ワタシは横を歩く魔王に目を向ける。
真っ赤な顔に、潤んだ空色の瞳、そして一つにまとめられ背中にかかった白銀の髪が麦畑の風に緩やかに揺れている。
こんなときになんだが、綺麗な奴だと思った。前かがみで歩きづらそうにしているのが滑稽な感じではあるが。
「この状況辛いんだが、いつ終わるんだ?」
「ああ。明日の朝には薬の効果もなくなっているはずだ」
「と、遠い……」
「すぐに収めたいなら家に帰れば解毒剤がある」
「ほんとか!?」
「そういう薬を作るときは一緒に解毒剤も作っておくのがワタシの流儀だからな」
「さすがは薬草の魔女よ」
解毒剤があると分かって安心したのか、余裕を出してくる魔王だった。
「そういえばオマエなんで惚れ薬を自分で飲んだ。確かに何も言わず渡したが、あの流れだったら王子のカップに入れるだろ、普通」
「ちゃんとアークのカップに入れたぞ。ただ、なんというか。お前が……あいつと乳繰り合うのを想像したら、なんというか。体が勝手に」
「そうか」
……薬入りの王子の紅茶を飲んで、自分のカップとすり替えたのか。
アスタフェルはアスタフェルで、ワタシを守ろうとしたということだ。
「……なんだ、もっと怒らないのか? せっかくの計画を潰しのに」
「計画、か。そんなものは、もういらないよ。王子様は……」
王子様はワタシに惚れているから。
その言葉を、なぜかアスタフェルに告げることができなかった。
そう。こちらの意図したように惚れてはくれなかっただけで、王子はワタシに惚れてはいる。
だからアスタフェルと結婚し、王子の愛人になるのが正解なのだ。そうすれば王子はワタシにいろいろなものをくれる。
王族の愛妾ともなれば、不安定な立場とはいえ結構な権力が得られることは間違いない。
「王子様は?」
「……王子様にも王子様の考えがあった、ということだ」
ワタシは野望を叶えたい。薬草薬を広めたい。そのために薬草の流通や薬を作る工房を作りたい。そして、王族の力でそれを確たるものとして、後世に残したい。魔女の魔力に頼ることだけが人を癒やすことなのだという認識を改めさせたい。若くして亡くなった師匠の仇を、そうやって討ちたい。その想いは、変わらない。
でも……。
そのために、アスタフェルを……。この美しい魔王を……裏切る……?