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4話 風の魔王の悪あがき

 ゴロゴロと石の床を転がる魔物を睨みながら、ワタシは立ち上がった。


 震える手で、押さえつけられていた喉を撫でてみる。

 幸いなことに腫れてもいないし凹んでもいない。痣にはなっているかもしれないが。


 心配しながら、何度かあー、あー、と声を出してみる。

 よかった、気道も無事だ。

 ひとまず胸を撫で下ろす。


「き、貴様何をした……!」


 安堵するワタシの耳に、うめき声が聞こえた。


「金的蹴り……。急所が人間と同じで、助かった……」


 奴を見下ろしながらワタシは喋る。思いの外声が掠れていて、ゆっくりとした口調になった。


「そうではない! これは何だときいている! 身体が……!」

「出てきた魔物が……、召喚主に牙を剥くことは、よくあることだ」


 唾を飲み込んで喉を湿らす。食道も無事、と。


「だから、召喚陣には仕掛けがしてあるんだ。オマエはこの世界の存在ではない……それを聖なる秩序に彩られたこの世界に思い出させるための、仕掛けがな……」


 念の為、あとで首に軟膏を塗っておこう。それからシロップ薬も飲む。


「よくわからん。お前は説明が下手だな!」


 寝っ転がりながらも美しい魔物は――風の魔王アスタフェルは不平の声を上げた。もしかしたら、ちっぽけな魔女のワタシに手玉に取られて恥ずかしいのかもしれない。


 一言でいうと、奴はいま『世界に拒絶されている』。

 人の住むこの世界をかけて聖と魔の神々が戦った、という創世の伝説に基づいた魔術である。


 開闢(かいびゃく)の戦に勝った聖なる神々は、この世界の平定に際しおっしゃられたという。


 曰く、この世界に魔物はいらない。


 だからこの世界に魔物という存在がもしいれば、神々の言葉を礎として世界はたちどころに恒常性を発揮し、異物である魔物を排除しようとする。


 魔物を召喚する時に召喚陣を使うのは世界を欺くためだ。ここに魔物はいない、と世界に思い込ませる。その機序(メカニズム)が召喚陣だ。


 アスタフェルもそうやって召喚されて魔界からやって来たのだが、ワタシを殺そうとしやがった。

 だからワタシは召喚陣に組み込まれている抜け道を使い、奴の動きを封じた。

 具体的には、世界に対しアスタフェルの名を明かした。


 奴は風の魔王アスタフェル。よく知られた存在ならばなおのこと、世界だってよく知っている。

 だからこそ、奴を排除しようとする世界の力も強いというわけだ。


 今アスタフェルが苦しんでいるのは、この世界が未だ聖なる神々の加護に満たされているという証でもある。


 ……ということを、わざわざアスタフェルに説明してやる義理もない。


「それは失礼した。魔王サマならこれくらいで分かってくれると買いかぶっていたワタシが悪かったようだ」

「なんだと?」

「気になるんなら、あとでよくよく調べてみればいい。魔王サマにおかれましては、時間だけはたっぷりおありでしょうから……」


 アスタフェルの歳は、容姿からすればワタシとほぼ変わらないように見える。

 だが奴は聖なる神々とこの世界の秩序をかけて争った魔の神々のなかの一柱――が魔王へと変じた存在。

 つまり創世神話にすら登場する魔王だ。

 そんな相手に外見年齢のことを持ち出しても仕方がない。


 そして……そんな大物が、ワタシの名を何故か知っていて、しかも命を狙ってきた。その事実を思うとヒヤッとする。


 と同時に、どうして? という疑問もある。それを解明したい欲もある。

 だが、そんな好奇心より身の安全の確保が先だ。


 こんな危険な相手、とっとと魔界に返してしまうのがいい。

 アスタフェルがどんなに危険な思考を持っていようとも、魔界にいる限り、この世界にいるワタシには手も足も出せないのだから。


 だいいちワタシにこんな大物をこの世界に維持できるような魔力はない。

 師匠にいわれた一年以内の死は、あくまでもワタシの魔力に見合った魔物である場合だ。

 魔王などと契約したらほんの数秒で魔力が枯渇して衰弱死だ。


 対王子の手伝いをさせる使い魔はまた召喚し直せばいい。もっとも魔力の回復を待たなくてはならないから少し先のことになるが。

 まったく、面倒くさいことになった。この魔王、余計な手間をかけさせやがって……。


 ワタシは床に転がっていた長い杖を拾い上げた。儀式の時に使っていたのが、召喚陣から巻き起こった暴風の魔力で吹き飛ばされたのだ。


 杖を構え、ゆっくり息を吸う。

 儀式の再開だ。


《世界と世界を繋ぐ門よ――》


「お前なにを……く、ぅお……!」


 魔王は立ってワタシを制しようとしたらしい。

 しかし、膝を立てた途端、ぐらついて倒れてまった。

 世界は未だに奴を拒絶している。


 奴からの妨害はなし、と。


 ワタシは安心して、魔女にのみ伝わる古い言葉を、噛みしめるようにゆっくり唱え続けた。


《開いた扉をワタシは閉じよう――》


「させんぞ! お前を殺すのは俺だ。ようやく会えたんだ。この機会を逃せば、お前は、お前は……!」


 もったいぶったことを言ってワタシの気を引く作戦か? 少しは頭が働くみたいだな。

 だが、そんな見え透いた策に乗るようなワタシではないよ。


《四つの元素により整えたこの場を――》


「絶対にお前のそばを離れないからな! くそっ、身体が重い。厄介だな、世界からの拒絶とは!」


 なんだ、知ってるじゃないか。まあ永劫の時を生きる風の魔王だし、これくらいは知っていて当然か。

 しかし知らないふりをしていたなんて。嫌なやつだよまったく。


《世界に戻そう――》


「名による拘束とはこうも煩わしいのか……。そうか!」


《再び、この場の秩序と規則を聖なる神々の定めた戒めに帰そう》


 ワタシは杖を持ち上げた。これで石の床を叩けば、締め、だ。


 アスタフェルはこの世界にいることができず、召喚陣へと吸い込まれ、魔界へと返される。

 いくら魔王であろうともあの召喚陣で呼ばれたのだから、従わざるを得ない法則(ルール)だ。


「聞け、ジャンザ!」


 奴は顎を上げ、真っ直ぐにワタシを見ていた。


 奴の言葉に、ワタシは無意識に行動を止めた。

 突然、聞け! なんて言われたら、つい聞いてしまうのが人の(さが)である。


 そして彼の顔を見てしまい――ドキッとして、目が離せなくなった。

 

 涼しげに整った顔の、その優美な眉が痛みのため寄せられていて、それが妙に――蠱惑(こわく)的だった……。


「我が真の名は、」


 風の魔王が口走ったもの。

 それは、風が囁くようなさらっとした響きに似ていた。


 しかし疾風のような鋭さを併せ持つその真の名は、ワタシの魂へと強引に吹き込んできた。

 瞬く間にワタシの魂はその名に染め上げられる。

 水に銀を溶かし込んだかのように。それはもはや、分離など(あた)わず。


 だがその名は人の耳では聞き分けることはできない。口にすることはそもそもが不可能――。


 と同時に。危険を感じたワタシは、杖を振り下ろしていた。

 石畳に杖の先端が当たる、乾いた音が地下の儀式の間に響いた。




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