48話 王子様の仮面の下
★ 王子様の仮面の下
「どうせ僕は好きでもない高位貴族の子女と結婚させられることになるんです。自由恋愛くらい本当に好きな女性としたい。包容力のある知的な奥方と。それは罪でしょうか」
奥方限定かよ。
「まあいいんじゃないですかね。世の中にはそういう人もいますし。貴族には特に多いと思いますよ」
心にもないことではない、半分くらいは本気である。
魔女にはありがちなことだが、不倫の相談を受けることもあるのだ。で、そういう相談は、相手が貴族だったりすることもある。理由はおそらく王子がいったようなことだろう。
好みの若い女性を見つけたところで、正式な配偶者がいるということを考えれば、もう不倫するしかないよね、ということだ。
既婚者とお付き合いすることの是非は別として、相手が貴族の不倫の場合、地位が上なほど愛人にもそれ相応のお手当て(お金)や権力が与えられる。しかし飽きられれば当然与えられていた権力などたちまちなくなるという、非常に不安定な立場である。
口さがない人たちの陰口にかなりのノイローゼになってワタシに助けを求めてきた女性もいた。
既婚者を愛人にしたいというのなら、それは『お互いいろいろと承知している』ということを期待しているということか。
いやむしろ、『承知した関係』を楽しむ、と。
「でもワタシ奥方でもなんでもないので、あなたのご希望には添えませんね」
「そう、それが惜しい。ですから誰かと結婚してください」
「正気ですか」
「もちろんです。ジャンザさん、あなたには旦那さんがいて、子供がいて、守るべき家庭があって……そんな気風が合っています」
「どんな気風ですかそれ」
「あなたは僕が見込んだ方だ。だからこそ、包容力のある人妻になっていただきたいのです」
つまりは趣味趣向をワタシに押し付けているだけだ。これはもうワタシがどうこう言える問題ではない。はなはだ迷惑であはあるが。
「お断りします」
「そんなこと言っていいんですか?」
王子が優しく微笑む。
「ジャンザさん、僕に取り入ろうとしていたでしょ」
「なっ、なにを」
心臓が飛び出そうなくらいドキッとした。
「ふふ、バレバレですよ。それでもいいと思ってたんですけどね。ジャンザさんの教えてくれる知識はそれだけで魅力的だから」
分かった上で転がされていた、ということか。
王子のほうが一枚上だった、と。……この世から消えたいくらい、恥ずかしいけど!
「だから、お望み通り取り入らせてあげると言ってるんです。僕の愛人になれば、高価な宝石も豪華なドレスも珍しい薬草も――僕の愛も。欲しいだけあげます」
「そんなにワタシに入れ込んでくださるのでしたら、なんで正式に結婚しようとは思わないんですか?」
それこそがワタシの目標だった。この人に気に入られて、なんとか結婚して権力を得る……。野望への確かな近道だった。
しかしアーク王子は銀色の目をひどく真剣にして言い放つ。
「僕が本当に好きなのは、余裕のある人妻なあなたです」
つまり、今のワタシと結婚はする気はない、と。
そりゃアスタフェルと結婚してこの人の愛人になれば話は解決だが……。それってどうなんだよ。なんでわざわざそこに結婚を挟まなくちゃならないんだ。
もしアスタフェルと結婚するとなれば、それはそれでいろいろと大変なことになるし。あいつは魔王だ。それは王子様が知らない情報ではあるが……。
それに、一番大事なことは。
ワタシはアスタフェルを裏切りたくなんかない。
アスタフェルを蹴って王子様と結婚するのはいいが、アスタフェルと愛を誓って結婚したのなら、それを破って王子と不倫するなんて真っ平御免だ。
「お断り申し上げます。それにしても驚きました。王子様がこんな人だったなんて知りませんでした」
「僕をどんな男だと思ってたんですか? 礼儀正しくはあるが人がいいだけの無個性な好青年? いわゆる王子様、というような……」
王子の優美な眉が苦しそうに歪められていた。声はか細く、震えている。
「誰も本当の僕を見ようとしない。理想の王子様像を押し付けてくるだけで。それに苦しんでいるのに……。あなたにまでそんなことを言われたら、僕は……」
「演じてたんでしょう、それを。ならば仮初の自分の姿が思いの外うまく人を欺けたと喜ぶべきですね」
「抜き身の剣みたいなその切れ味は嫌いじゃないですよ、ジャンザさん」
いかにも苦しそうで辛そうだった顔が、すっとただの微笑みに戻った。
「でもこういうふうに泣き言を言ったのだから、僕を抱きしめて、『ごめんね、今から本当のあなたを見せて……』と頭を撫でるくらいはしてもらいたいものです」
「それがあなたの求める包容力ってやつですか。残念ながら結婚したくらいでそんな優しさがワタシに付くとは思えませんね、ワタシは生まれてこの方この性格ですので。何があっても死ぬまでこうでしょう」
「これは楽しみだ。早く人妻なあなたに会いたいです」
再び、王子はワタシの顎をつまみ、顔を上向かせた。
「ジャンザさん……旦那さんのいる包容力のあるジャンザさんと真っ昼間から逢引き……。背徳感に二人でとろけましょう……」
近づいてくる王子の銀の瞳。うっすらと笑った――おそらく彼の本性が出ているであろう、冷たさを頬に浮かべた笑み。
考えなければならないことが増えたが……。
とりあえず今は、この王子様のがら空きなみぞおち――の、向かって左上に掌底を叩き込むタイミングを見ていた。ここには肝臓があるから打撃がよく効くのだ。
男の力には女はかなわないが、人間としての急所を突けば弱いのは男も女も同じだ。とはいえ力が弱いのは事実。だから彼が油断している今しかそのチャンスはない。
思い切りも必要だ。傷つけることを絶対に躊躇ってはいけない。魔女としていろいろなことを切り抜けてきているので、そこは備わっているという自負はある。
というか、はっきり言って。
こいつの本性を見誤っていた自分に腹が立つ。
その時――。
竪琴の音が、聞こえた。
「アスタフェル?」
「え?」
アーク王子は動きを止め、怪訝な顔でワタシを見た。
……聴こえてないのか?
「ほら。この音……」
弦を爪弾く、単音……。