46話 本音が胸を刺激する
★ 本音が胸を刺激する
情けないことに――頭に頼って生きてきというのに、頼りになるはずのワタシの頭は王子がナニを言っているのか把握してくれなかった。
人間というのは、事象があまりにも理解を超えてしまうといろいろと停止してしまうものである。
ワタシはごくりと生唾を飲み込んだ。そのおかげか、頭が少しだけ回り出す。
薄闇に光る王子の銀色の瞳を見上げたまま、呟くように言った。
「すみません、ワタシ、結婚してないんですが」
「ああ、まだ婚約中でしたか。でも……」
王子はワタシの顎を、その意外と節ばった指で摘んだ。
「もうあなたはあの男のものなんでしょう? 身も、心も。今だってアフェルさんのことを考えてたからそんなに潤んだ瞳で、誘うような顔つきになってるんです」
「婚約してないですし、あいつのことを考えていたのは……すみませんでした。でもワタシの身も心もワタシ自身のものです。あと誘ってません」
ワタシの顎を摘んだまま、彼はくすっと笑う。
「強がり。あなたの心はもうアフェルさんのものでしょう。僕の目の前であんなにイチャイチャして……。僕のほうが付き合いは長いのに、いけない人だ」
え……え? なんだこれは。
王子様、こんな人だったっけ? いつもの人畜無害な好青年からは信じられないような……なんだこれは。
「でも、いけないあなたはとても可愛い。僕、本気になりそう……」
かすれた王子の声がなんとも色っぽい。背筋にゾクゾク来る。
……うん、よし。だんだん事情が呑み込めてきたぞ。
どうやら王子様はワタシのことが好きだったようだ。で、アスタフェルと結婚するという情報をどこかからか聞いて、嫉妬している、と。
つまり……。なーんだ、惚れ薬いらなかったのか。ということで。
アスタ、せっかくオマエの魔力使って作った惚れ薬だけど、あれ意味なかったみたいだぞ。
というかオマエを召喚したのはそもそも目の前の王子様を籠絡するためで、そのために聖騎士エンリオをどうにかするつもりで……。
「ジャンザさん……。僕と、恋をしませんか」
ああ。エンリオなんかすっ飛ばして、王子様から告白されちゃったよ。
顎が上を向かされ、王子の顔が近づいてくる。
――何度目だろうなあ、こんな光景を見るのは。とはいえ相手は全部アスタフェルだったけど。
ワタシは顎をつまむ王子の、その手首を掴んだ。
「ワタシと結婚してくれるんですか、王子様」
臆することなく言葉を吐くワタシに、王子は顔を近づけるのをやめた。
ワタシの目的はこの人と結婚すること。権力を持って、魔力を使わない薬草薬を広めること。そうして魔女に頼る人々の意識を変えること。
王子は意外そうにワタシの目を覗き込む。
「あんなにベタベタ仲がいいのを見せつけてきたくせに、そんなこと言うんですか? 実は夫に不満がある――とか?」
「不満といえば不満だらけですね。アホだし、ワタシがいったことすぐ忘れるし。詰めが甘いのが何よりムカつく」
だが……、口ではそう言いながら、心がチクチク疼いた。棘にも満たないその刺激が、痒い。痒い……。
脳裏に浮かぶのは白銀の髪の魔王だった。すぐに潤む優しい空色の瞳、ちょっとしたことで紅潮する滑らかな白い頬……。つついたら飛び上がる繊細な脇腹。動きを封じてきやがった細い腰。よく似合うふりふりのエプロンドレスとフリルカチューシャ。
ダメだ。
なんか、あいつの悪口考えてたら泣きそうになってくる。
オマエは今、何をしている?
座ってる? 立ってる? オマエに託したその惚れ薬、ちゃんと王子の紅茶に入れたか? それとも……。
どんな顔してあのハープのある談話室にいるんだ? オマエは今、何を見て、何を考えている……。
なあ、アスタ。ワタシ、王子様に告白されてるよ……。
「分かります。あなたのように魅力的な人が、その一生を一人の男とだけ過ごすというのが……どれだけの輝きを更にあなたに追加してしまうというのか……」
はあ、と感極まった悩ましげなため息をこぼすアーク王子。
違和感……あるけどまあいいや、深くは考えまい。ていうか会話噛み合ってないですよ王子様。
王子は手首を掴むワタシの手を優雅な動作で取ると、ワタシの頬を優しく撫でてきた。
「理知的で物静か、いつも物思いにふけっている理性的な顔、深い思索を感じさせる瞳……。豊富な知識を人のために役立てようとする、その心。でもあなたには欠けていたものがあった。それは……」
王子はワタシの頬を撫でていた手を止めると、光る銀色の瞳でワタシの目を覗き込んだ。
「……人としての、包容力です」
「けっこう本質的なところを突いてきますね」
「よくいえば真面目すぎ、悪くいえば面白みがない……」
王子様それよい部分もよくいってないような気がするんですが。
「でもあなたはアフェルという一人の男に恋をした。誰かを心から好きになったときの楽しさや――切なさを、あなたは知った。そんな経験は人を成長させ、余裕となり、やがて包容力となる」
「……新しい経験をすればそれだけ器が大きくなる、というのには賛成します。しかし、ワタシは――」
べつにアスタフェルに恋をしているわけではありません、と。
否定しようとした胸が、チクチクと痒くなる。そわそわした、叫びたくなるような痒み。
ああ、分かった。この痒みの正体。内側から言葉が溢れてこようとしてるんだ。
今だって、王子への宣言が口をついて出ていきそうになっている。ワタシはアスタフェルが好きだと。
いや待て、それは本気かワタシよ。
あいつはワタシを落とそうとしている魔王だぞ。ワタシは奴の……殺そうとしたほどの『何か』なだけで。
あいつがワタシに優しくしてくれるのは……食事を作ってくれるのは、気さくに話してくれるのは、一緒にいてすごく楽しいのは、すべてあいつなりの打算があってのことで……。
それにワタシには王子と結婚するという野望が……。
「ジャンザさん」
王子はそっと、指を一本、ワタシの唇にかざした。
「難しく考えないで。恋をして、夫としてアフェルさんのすべてを受け入れたあなたは……とても素敵だ……」
……ああ、うん。いろいろ考えるべきことはあるけど、やっぱりここだな、まずは。