40話 尻を笑うなかれ
★ 尻を笑うなかれ
それから、何事もなく数日が経った。
そういえば最近アーク王子に会っていないとワタシは気づいた。
以前は暇さえあれば王子の予定のあいている時間に突撃してムカつく聖騎士に撃退されていたというのに、最近はなんだかんだと忙しくて城にもなかなか行けない。
アスタフェルが来てワタシの予定も二人分を考えなければならないことになってしまい、なかなか一人で身軽に動けなくなった、ということだろうか。
これではいけない。ワタシの野望は王子と結婚することから始まるのだから。ここらでガツンと王子にワタシの印象を与え、深く刻みつけておかねばなるまい。
そんなことを考えていた矢先、王子からの使者がワタシの家にやってきた。アーク王子直々に、会いたいから城に来てくれと日にちを指定してきたのだ。
かくして数日後に王子との初対面が確定したアスタフェルの鼻息が荒くなった。
同時にワタシはこんな噂を耳にした。
王子のお尻がピンチだと。
* * *
ワタシは王子のお尻の状況を改善するよすがとすべく、前にこの家に住んでいた魔女の知恵を手繰ることにした。
というのも、ワタシの睨んだとおりだとすれば、これは薬草でどうにかなる問題ではないからだ。おそらく歩き方や筋肉のほぐし方や肉の付き方や運動の仕方――つまりは整体が関わってくることだ。
薬草や食べ物の人体に与える影響には少しは詳しいつもりだが、実は整体についてはあまり知らない。
だから、歴代の魔女の知恵に頼ることにした。
というわけで、ほぼ手を付けていない別棟の倉庫を探したのだが……。
「そんなノート、本当にあるのか?」
彼は椅子の上に立ち、高い棚の上をごそこごそとあさっていた。そこは雑多に本や箱や籠が何層にもわたって置かれていて、その上非常に埃っぽい魔窟だった。彼は一つ一つ籠を開けては中を検分している。
ワタシは彼の足元からそれを見上げていた。
「ああ。以前ちらっと見たことがあるんだ」
ここに住み始めたときに、この魔女の家にはなにがあるのかとざっと目を通したことがあった。そのときにそれを見た記憶がある。
それは、何代か前の魔女が街の人たちを治療した記録だった。
肩をほぐす施術をした患者がまた来たとき、肩はどれくらい上がるようになったとかまだ少し生活し辛いそうだとか、そういうことが記されていた、はずだ。
もはや魔女の魔力など関係ないが、もしかしたらこの整体の魔女も、ワタシと同じように人々を魔力なしで癒そうとしていたのかもしれない。
結果残ったのは、どこかにしまいこまれた治療経過のノートだけ……。
その事実に冷やっとするが、ワタシは大丈夫と自分に言い聞かせる。ワタシには王子という切り札がある。権力者の後ろ盾はやはり必要だ。
「でも見たことがあるのはワタシだ。オマエではどれがどれだか分からないだろ、やはりワタシが登ったほうが……」
アスタフェルに答えながらもワタシは主張する。
ワタシは上から振ってくる埃を吸わないよう、意味は無いだろうが鼻の前の手を置いていた。
高いところにあるという記憶を頼りに探していたら、アスタフェルが手伝ってくれるといってくれた。そこまではよかったのだが、自分が高いところを見ると言い出したのだ。
背の高いアスタフェルのことだ、椅子の上に立てばかなりの高さになる。だから棚の上をあさるのに、彼は適しているとはいえた。格好も町人風の古着姿に白銀の髪を一つに束ねるという動きやすいものだ。
「お前に危険なことをさせる訳にはいかない。こういうことは付き人の俺に任せておけ」
「意味分からない。以前そこを確認したのはワタシだ。そのときは危険とかなかった」
「いいから黙って見てる」
といってまたガサガサと探し始める。
仕方ない。気が済むまで、しばらく好きにさせておこう。
「しっかしすごい埃だな。とりあえず魔法でふっ飛ばすか」
「やめろ! 周りのものが巻き添えをくう!」
慌ててアスタフェルを止める。
この倉庫では、魔法は禁止している。彼が魔法で宙に浮かずわざわざ椅子の上に立っているのはそういうことだ。
「信用ないな。風の魔王ともなれば魔力の微調整で埃だけを飛ばすことなど造作もないのに」
「いいから使うな」
ここにある古い生活雑貨は、この家に住み着いた魔女たちが確かに生きていたという証だ。
魔王の指先の位置が少しずれていたくらいで彼女たちの証を壊すことなど、絶対にあってはならない。
「魔法使っちゃいけないんならハタキをかけないとな……。ノート見つける前に掃除したほうがよさそうだ。しかしこんなにまでして探しているのが王子の尻のこととは、なんか笑えてくるわ」
「尻を甘く見るな。尻を笑うやつは尻で泣くぞ」
「そんな格言みたいに言われてもな」
などとアスタフェルはぼやくが、本当に尻を甘く見てはいけない。ワタシは今まで何人も尻で悩む人たちを診てきたのだ。