39話 そばに、いて
★ そばに、いて
「あとお前、スープばっかり食べてパン食べないだろ。だからパスタ入れてみたぞ。これならスープだけでパンを食べたのと同じようなことになるんじゃないか」
「ありがとう……」
小さい声でごにょごにょと呟いた。
こんなに観察されているなんて、やっぱり恥ずかしい。特に食事しているところというのは、ある意味生存に関わる秘部というかなんというか……。
「ローストビーフとサラダもどうぞ。グレービーソースはあるが、まずは塩だけで。それからサラダのドレッシングはこれだ。いっとくが王子と結婚したって王子はこんなの作ってくれないぞ、多分。ジャンザ、俺のこと好きになれよ」
「なあ、アスタ」
ワタシは首をかしげる。
「そういやなんでオマエ、魔王なのに料理うまいんだ?」
「あるとき思いつきで料理を作って部下に振る舞ったことがあってな。美味しいと大好評だったんだ。それ以来折を見ては作って振る舞ってきた。お前とは年季が違うぞ」
明るい空色の瞳でにっこりと笑う。
「食べてくれる人が美味しいっていってくれるのを想像しながら食事を作るのはすごく楽しいんだ。特にお前は予想以上だ、ジャンザ。こんなにも喜んでがっついてくれる」
「うん……」
なんとなく彼の笑顔に吸い込まれそうになって、視線を目の前のスープに落とした。
「……食事、いつもありがとう」
その行為に裏の意味があったとしても。やっぱり美味しいものは美味しいし、食事を作る労力も消えたわけではない。
それにアスタフェルが来てからというものずいぶんいいものを食べさせてもらっている。一人でいたときにはもっと簡単で質素で手のかからないもので済ませていたのが嘘みたいだ。
「どういたしまして。ばあさんにも礼を言うんだぞ。青菜の漬物以外はみなばあさんの使いの者が持ってきてくれたものだからな」
「そういえばそうだった。夫人……」
夫人は約束を守ってくれたんだ。
犬のピューラを助けて、魔力を使い果たし、ワタシは倒れ――。
「そうだ、あれから何日経ったんだ? 二週間くらい?」
「なにいってる。つい一昨日のことだぞ」
「な……」
思わず口に運びかけていたスプーンを止める。
まさか。あれだけの魔力を消費したというのに。
魔力が空になって――確か、何かを見たような、見なかったような。
とにかく、あそこまで消費したら回復に二、三ヶ月はかかるはずだ。
……そういえば、今回は目覚めた時、身が軽かった。魔力は回復しきっている。なのに食事をした記憶がない。なのに腹の減り具合は餓死するほではなかった。
これは……本当にあれから二日しかたっていないんだ。
「うまいものが食べれると思っただけで回復が早まったんだろ。お前は本当に食いしん坊だな」
「馬鹿な、あり得ない」
そう言って、ワタシはとりあえずスプーンを口に含みスープを食べた。ちょうどいい酸味が舌の上に広がり、それを飲み込む。舌に残る余韻を意識しながらも、ワタシは続きを喋る。
「犬を完治させるためにワタシは魔力を空にしたんだ。それだけの魔力を使ったのに一日や二日で回復するわけがない。いくらワタシの魔力の総量が少ないといってもそれは他人と比べたときのことで、回復率は一定だ。あれだけの魔力を回復するには確実に一ヶ月以上はかかるはずだ」
「奇跡だな」
ごく軽く短く、彼はいった。
ワタシはかぶりを振る。
「違う。理由がないことなんてこの世にはないんだ」
「奇跡だって立派な理由だろ? 実際回復したんだからそれでいいだろ。あんまり深く考えるなよ、頭痛くなるぞ」
「深く考えないほうが頭が痛くなる。ワタシの場合は」
こんなやり取りには覚えがある。あれは確か、アスタフェルがこの世界に居続けられるという現象についてのやり取りだった。
この世界に魔物が存在することはできない。世界は魔物という異物を感知すれば即座に排除するからだ。それを防ぐため、召喚した魔物は魔女の魔力で覆い隠す必要がある。アスタフェルはそれをせず存在している。
その不可思議を、彼は『奇跡だから』と言い切った。
今回のことも、アスタフェルが奇跡だと言い切っているということは、きっと根は同じなのだろう。もしこれが奇跡だったとしても……ワタシとアスタフェルには奇跡を起こすだけの要因がある、ということだ。
その要因とは――。
「知りたいのか、ジャンザ。奇跡の秘密を」
その言葉はまるで、ワタシの知識欲にすっと滑り込むような甘言だった。
魔王の叡智、深淵なる真実――。
ワタシはじっと、彼を見つめた。
珍しいことに、ワタシは躊躇っていた。
以前のワタシなら迷うことなく言い切っただろう。それを知ることが罪になるとしても、真実が知りたいと。それこそ彼の真の名の拘束力を使ってでも。
だが……。
「なんてな。俺がそんなの知るわけないだろ」
にっこりと、彼は満面で笑う。
ワタシはいつの間にか肺のなかで硬くなっていた空気を、ため息として吐き出した。
「まあ、そうだろうな。オマエはアホの魔王だ」
「アホっていうほうがアホなんだぞ」
「ワタシがアホに見えるか?」
「見えない」
笑顔で魔王は応えた。裏のない、爽やかな笑顔だった。
――もちろん、彼が嘘をついていることくらいワタシにも分かる。
彼は何かの理由を以てワタシを殺そうとし、それができなくなった今、結婚を迫っている。
なにを目的としているのか、それを教えてくれるだけでかなりのことが分かるだろう。
だが彼は、それをはぐらかした。ワタシに教えるつもりはないということだ。
彼には彼の考えがある。ワタシにもワタシの考えがあるように。
それを無理に知ろうとすれば、ひずみが生じる。ひずみはきっと、ワタシからアスタフェルを遠ざける。
「アスタ。ずっと……」
いいかけ、口をつぐむ。
「なんだ?」
「……いや、なんでもない」
こんなこと、面と向かって言えるわけない。
理由は問わない。なにも知りたくない、知らせなくていい。
だから、今のまま。
ずっと、そばにいて。野望のために王子様と結婚したい、このワタシのそばに。
どこにも行かないで、アスタフェル。
分かってる。……ワタシは、我儘だ。
* * *