38話 あれ(エプロンドレス)は君だけのもの
★ あれ(エプロンドレス)は君だけのもの
テーブルについて待っていると、アスタフェルがうやうやしくトレーに載せて器をいくつか運んできた。
エプロンドレス姿のまま、音も立てず優雅に目の前に置いてくれる。
一緒に生活していて気づいたのだが、どうもこいつ所作の一つ一つに気品がある。いい家柄のぼんぼんのような雰囲気があるというか。特にこんなふうにエプロンドレスを着ていると、本当に……。
彼は配膳を負えるとキッチンに戻った。こちらに帰ってきたときには、エプロンとフリルカチューシャをとった姿だった。
それから二人で向かい合って座り、食事となったのだが。
「どうだ? 豪華なもんだろ。夫人の差し入れ使ったんだ」
「……そうか」
ワタシはテーブルの向こうに座るアスタフェルをちらちらと見ながら空虚に言葉を口にした。
テーブルの上には、スープの入った器、中心部が半生の肉を薄スライスしたもの、それから生食の野菜が盛りつけられた皿、パンの入った籠、あと水の入ったコップなどが並べられている。
正直、彼がこんなに手の混んだ豪華なものを作れるなんて意外だった。しかも調理道具がそろっているとは言い難いうちのキッチンでだ。彼の料理の腕前はかなりのものといえるだろう。
そして、テーブルの向こうにつくのは、エプロンドレスとフリルカチューシャをとって異国風の紺色の服をさらすアスタフェル。髪型は後にお団子一つにまとめたままだ。
なんとなく、胸がつまる――。
「ジャンザ、そんな顔しても駄目だ」
彼はすました顔で言う。
「いくらお前のお気に入りでも、あれは食事の席にはつけないからな。あれは料理をするときのための特別なエプロンだ」
「べつに、そういうつもりでは」
否定しつつも心臓が飛び跳ねた。なんでこいつ、ワタシの考えてることが分かるんだ?
正直、彼にはずっとあれを着てもらっていたいと……。
「しかしさすが高いだけのことはあって随分使い勝手がいいエプロンであったな。可愛いし。あれと同じものを作って城の皆にも着せようかな。城がさぞ華やかになろうぞ」
「だっ、駄目だそれは。あれはアスタだけのものだから」
「…………………………おうよ」
沈黙とともに彼の顔がどんどん赤くなっていくのは見ごたえがあった。
明るい空色の瞳がワタシを窺うように見つめる。
「叫びたいんだが。叫んでいいか?」
「え、食事の席でそれはちょっと」
「だよな、うん。だが約束しよう、俺のエプロンドレス姿はお前だけのものだ、ジャンザ」
「そうか、よかった」
ほっとする。
いや……なんでほっとしてるんだ、ワタシは。独占欲? なんでそんなもの……。
「ジャンザ、結婚しよう」
これで何度目になるのだろうか。今回のプロポーズは、かなり唐突だった。
だが今までと違い、言われたワタシの胸にはチクっと痛みが走った。
「いや、ワタシは王子様と結婚するから」
すげなく断る。こいつのいう結婚とは、ワタシを殺すかわりに手元においておくためのものでしかない。本気ではないのだ。
本気? アスタフェルの本気は、なんだろう。彼は何を考えている? ワタシに惚れさせて、それで結婚させたいのか? だから食事を作ってくれたり、掃除をしてくれたり、庇ってくれたりしているのか?
こいつの本気が分かったら、と思う。でも、それでワタシはどうしたいというのか。ワタシはなにを望んでいるんだ。
いや、ワタシの望みはたった一つだ。
ワタシは師匠の仇をとる。だから王子様と結婚する必要がある。それだけだ。
「俺は幸せになる自信があるぞ。王子よりもだ」
「……いや意味わからんが」
「お前と結婚したら、俺はとても幸せになる自信があるんだ」
「ワタシを幸せにするんじゃなくて?」
「そんなおこがましいことは言えんな」
「普通逆じゃない? 新郎が新婦に幸せにするねっていうのが通例じゃないか。オマエにとってワタシってなんなんだ?」
彼はしばらく、その明るい空色の瞳でワタシを見つめた。意外なほど真剣な眼差しで、なんとなく居心地が悪くなる。
やがて彼は言った。
「……魔妃、ってところか」
「魔妃――」
「シフォルゼノの妃が聖妃ならば、俺の妃は魔妃だ」
「なるほど」
聖に対して魔。風の聖神シフォルゼノ、そして風の魔王アスタフェル。ライバルだからこそ用語も対にしようということか。
対称な概念。白があるから、黒がある。こういうきっちりした分け方はワタシの好みだった。
だからどうして幸せにされる自信に繋がるのかは分からないが、いいかげん、目の前のご馳走をおあずけされるのにも飽きてきた。
「さ、食べようアスタ。せっかく作ってくれたのに冷めたらもったいない」
「ジャンザ、答えは」
「プロポーズの? もう答えたぞ。ワタシは王子様と結婚する。だからオマエとはしない。それだけだ」
もう、心に刺さった棘は痛みを起こさなかった。棘自体がなくなったのか、心が鈍化したのか――。
ワタシはかまわずスープを口にした。
塩鶏と青菜、それから豆とひねった形のショートパスタが入った豪勢なものだった。
味は、もちろん。
「おいしい」
一口食べて、つい感想が漏れる。
ちょっと酸っぱめ。それだけではなく、旨味がとてもふくよかだ。香りもいい。これは……。
白銀の髪を後ろでお団子にしたままのアスタフェルがニヤリと笑った。
「……そうだろう。この青菜、実は漬物なんだ。旨い漬物を薬の配達先でもらったから入れてみた。お前は酸っぱめが好きだからな」
「酸っぱいものが好きだって言ったことあるっけ?」
「見ていれば分かる。食いつきが違う」
そんな食いしん坊みたいに言われると、恥ずかしい。
しかし……よく観察している。アホなのだとばかり思っていたが、さすがに風の魔王はあなどれない。