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33話 猫は死ぬとき身を隠す、という話

★ 猫は死ぬとき身を隠す、という話


「仔猫のときから飼っていた子でね……」


 と夫人は語りだした。


「真っ白くて長い毛で、青い目の綺麗な子だったわ。あの時にはもうガリガリに痩せて、毛も半分くらい抜けてしまっていたけれど。でも歩く姿には品があった。今でも思い出せる、あの子の歩く様を。まるで影のように音もなくすーっと歩いてね。わたくしの足元に来ては甘えてニャーって鳴くの。その声の可愛らしさは生涯変わらなかったわ。でもあのときは数日前から具合が悪くて。一日中丸くなっているのだけれど、わたくしを見ると抱っこしてくれと鳴いてねだって。抱っこしてあげると腕の中で安心したように寝ていた……」


 夫人が饒舌だ。話す言葉にも懐かしさよりは今現在の情熱を感じる。よほど好きな猫だったのだろう。だが、話の様子だと……。それももう十年も前の猫の話だし。


「耐えられなかった。彼女が……サニーが亡くなるのが。ええ、わたくしも分かっていたのよ、それまでにも猫を飼ったことはあるし、犬の最後もずいぶん看取ってきたから。でも、サニーは、サニーだけは、受け入れることができなかった」


 夫人は硬いため息をついた。まるで、その時の悲しみを吐き出すように。


「だから、ちょうど屋敷に来た魔女さんにお願いしたのよ。サニーを助けてって。お願い、助けて、なんでもします。お金なんかいくらでも払います、だから助けて……って。サニーの命が尽きようとしているのくらい分かっていたのに。これでもわたくし、動物の最後には見覚えがあるほうですからね。でも……」

「師匠のことだから、それを快諾したんでしょう?」


 ワタシは喉をつまらせた夫人の言葉を引き継いて、そう言った。


「ええ。アリアネディア様は祈るわたくしの手をつつみこんでくださった。柔らかくてしっとりした、優しい手のひらで……。泣きながらこう言ってくださったわ。サニーちゃんは私が必ず助けます、奥様、だから泣かないで、って」


 師匠らしい。見込みがなくたって全力で魔力を出して助けようとするような人だったから。

 夫人はすっと息を吸い込んだ。


「……そこはあなたとは違うのね、ジャンザさん。お弟子さんなのに、そこは本当に全然違うわ」

「ワタシは師匠みたいに優しくないですから。魔力だってあんなにありませんし」


 アスタフェルが首を傾げる。


「そのような優しい師匠に習いながら何故弟子がこのような性格になったというのだ? 魔力がなくとも受け答えは学べように」

「そんなの簡単だ。師匠があんなだからワタシは現実的にならざるを得なかったのさ。世の中ってのはそういうふうにできてるんだ」

「そういうところも含めてジャンザさんらしいわね」


 軽く微笑む気配があり、それから夫人は息を吐き出し一気に言った。


「結局、サニーは死にました。わたくしの膝の上で、最後にふうって、息をついて。まるで、ああ疲れた、って言うようだったわ」

「そうか……残念だ……」


 魔王の相槌が意気消沈している。話に引き込まれているようだ。


「そうね、とても……そのときは、残念なんてものじゃなかったわ。アリアネディア様は全力を出してくださって、わたくしも一時期は助かるかも、と思うようになっていましたし。アリアネディア様の泣きようもすごかったわ。言葉にならないくらい、もう、顔の全部を涙に濡らしてね。わたくしと二人して、抱き合って泣いていた。でもね、ジャンザさん、そのときあなたが言ってくれた言葉のおかげで、わたくしはサニーの死を受け入れることができたのよ」


 ごそごそと衣擦れのおとがする。おそらく、ハンカチで涙を拭ったのだろう。


「それが、ワタシが言ったという猫の習性ですか?」

「そうよ。あなたは言ってくれたの。猫は普通、最後のときは人目につかないよう隠れてしまうって。猫にはそういう習性があるのにって」

「ああ……」


 ここまで言われてようやく思い出した。そうか、あのときの夫人か……。


「なのにサニーはわたくしの膝で死ぬことを選んだ。よほど奥様のことがお好きだったのでしょう、と、あなたは……」


 夫人の声が、ついに涙に濡れた。


「ワタシは猫の習性から類推できることを述べたまでです、奥様」


 眠る犬を見つめながら、当時と変わらない意見を述べる。犬の様子は変わらず。目をつむっているが、呼吸は穏やか。


「あの時もそう言ったわ、あなた。本当に素っ気のないこと」


 鼻をすすって、それでも明るい声で夫人は言う。


「でもその素っ気のなさが人を救うこともあるの。……今もよ。ありがとう、ジャンザさん」


 別に夫人を救おうとして言ったわけではなかった。ただ、猫の習性上そうなのだろうと思っただけだ。

 もしそれで夫人が救われたのだとしたら、ワタシが救ったのではない。猫のサニーが救ったのだ。


 ワタシの隣でアスタフェルが顔をうつむかせていた。泣いているのがバレないように気を使ってか、そうっとゆっくり袖で涙を拭っているが、バレバレだ。

 魔王なのに涙もろいんだな……。


「その時から、わたくしはね。動物の命に対して、最後まで責任をもって接しようって思ったのよ」


 鼻をすすりつつ夫人は明るく言う。


「最後まで見届けるって。その子もね、ジャンザさん。その子は夫が……亡くなった夫がね、命を守ったのだと思っているの」

「それはどういうことだ」


 うつむかせた顔のまま、腕の中からアスタフェルが問うた。ちょっと涙に震えている声だった。


「ピューラは生まれたときとても小さくてね。お乳を吸う力も弱かった。もしかしたらこのまま天に帰ってしまうのではないかと……。頼りの夫は病床に伏していて……。でもピューラは生き延びました。そして、夫は亡くなった。きっと夫がピューラを守ってくれたのだと、そのとき思ったの」


 ああ、それで夫人はあんなことを言っていたのか。

 この子の命は夫から譲り受けた、と――。


「ピューラの命は、夫が守った。その命を、わたくしは夫から譲り受けた。だからピューラのことは最後まで見届けるのよ。助かっても、助からなくてもね」


 ……そういう決意があって、最後まで見るなんて言っているのか。だがこの人に見られていては確実に助けることができないんだよ。

 どうしたらいいんだ……。

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