30話 魔女は、自分が今すべきことを優先させる
★ 魔女は、自分が今すべきことを優先させる
「……魔法を使うには集中力が必要です。誰かに見られていてはうまく集中できません。この子を助けられなくてもいいのですか?」
と、これはちょっと言い訳としては厳しいか? さきほどここで魔法を使ったばかりだし。
「決して邪魔したり、騒いだりはしませんわ。その子の命は亡き夫よりわたくしが譲り受けたものなの。助かるにせよ、助からないにせよ、わたくしにはその子の生き様すべてを見届ける義務があるのです」
「この子の命を助けるよりも大事なのですか、その義務とやらは」
ワタシの言葉に騎士が気色ばんだ。
「貴様、奥様になんという口の利き方を!」
「おやめなさい、マルー。魔女さんの言うとおりです。でもね、魔女さん。わたくし、そんなことにはならないと思っていますのよ」
と品よくにこやかに笑う夫人。
「あなたは必ずピューラを助けて下さいますわ。だって、あのお師匠様のお弟子さんなのですからね」
「師匠のこと、知っているんですか?」
「ジャンザ!」
そのとき、アスタフェルが包帯を抱えて帰ってきた。
「あら。そちらの方はどなたですの?」
「ワタシの付き人で――」
「婚約者だ」
しまった阻止できなかった!
「まあ……そうね。あなたももうそんなお年頃なのですね。あの小さい子が、こんな立派な方と知り合って、結婚の約束をするだなんて……」
「なんだジャンザ、この婆さんと知り合いか?」
「貴様――」
「おやめなさい、マルー。わたくしはエベリン・レヴ・テヴェールと申します。この子の飼い主で、いまジャンザさんに治療をお願いしたところですの」
なんだかいろいろ気になることはあるし訂正したいし魔王の魔力を使えなくて不都合なのだが、いまはとにかく犬優先だ。
「アス――アフェル、包帯を貸して。どなたか木の板など持っていませんか? 骨折したところに添え木をしたいんです」
「これは使えますかしら」
と老夫人は自らの頭からかんざしを抜いた。はらりと夫人の結い上げた白髪が肩に落ちる。
かんざしは、金属製。先端に華奢な透かし彫りがなされてはいるが宝石はついていない、貴族の老夫人の髪をかざるにしてはかなりの略式だった。そして、硬い。さすが金属。
「血で汚れますが、いいのですね」
「かまいませんわ」
ワタシは頷いた。夫人の善意に応えよう。
「ありがとうございます、奥様。それからもう一つ必要なんですが……」
「これを使ってください」
と青年騎士が取り出したのは短剣だった。刀身をすっと引き抜き、鞘だけ渡してくる。
「血で濡れても大丈夫ですね?」
「血で濡れるのが宿命の道具ですから」
これで二つ、添え木確保だ。
「アっ……アフェル、手伝って。この子の足を持って。ゆっくりね、ゆっくり……」
包帯を受け取ったワタシは、アスタフェルに手伝ってもらい犬の足に添え木をして包帯を巻き付けた。
魔法も使ったし、これで少しはもつだろう。それよりも早く家に連れ帰って本格的な治療に移ったほうがいい。
担架……と思ったけど担架のかわりなるようなものもないか。大型犬とはいえ二人がかりなら運べるかな。それから……。
「……奥様、馬車を使わせてもらっていいですか」
「どこかに運ぶのですか?」
「ワタシの家に。そこで施術をします。ここではできない」
ワタシの魔力だけで犬を助けるには、魔力を増幅させないと無理だ。それには魔法陣によって元素を整える必要がある。つまりはアスタフェルを呼び出したあの地下室に行く必要がある。
ワタシの魔力だけで……なんとかこの子を助ける。魔女の魔力は動植物には効きがいいんだ。家に帰れば薬だってあるし、それを駆使すれば。
「分かりました。どうぞ、こちらへ。マルー、婚約者さんと協力してピューラをわたくしの馬車に」
「奥様の馬車にですか? 荷馬車に積まれたほうが……」
「わたくしの馬車に。この子はできるだけ安静にしないといけない、激しい揺れなどもってのほか。わたくしの馬車ならその点安定性はいいですし、クッションで揺れも吸収されますしね。そうですよね、ジャンザさん?」
「ご慧眼のとおりです」
確かに今の状態はできるだけ安静にしておきたい。人が乗ることが前提ではない荷馬車よりも、貴人が乗ることが前提になっているあの薄緑色の馬車ならば願ったり叶ったりだ。しかもクッションに乗せてもらえるなんて。
……もちろん、クッションは血まみれになる。
それを何でもない事のようにさらりと言うのだから、この夫人、本当に犬のことが大事なのだろう。
ならば……。ワタシも、全力を出してこの犬を助けよう。
大丈夫。魔王の魔力などなくとも、この子を助けることはできる。ワタシになら、それができる。
「アス、アフェル頼む」
「分かったけどお前いいかげん俺の名前呼び直すのやめろよ? お前が決めたんだからさ」
「すまん」
つい口がアスタと動いてしまう。アフェルよりアスタのほうが言いやすいんだよな。
アスタフェルと騎士の男二人に犬を運んでもらっていると、夫人が子供に近づいていった。
子供は不思議そうに夫人を見上げるが、父親はびくっと体をこわばらせる。
夫人は膝を折って、子供と同じ目線になった。
「あなた、怪我はしてない?」
「してないよ。あの子に助けてもらったから。あの子の飼い主さん?」
「そうよ。あの子の責任者よ。あなたはお家に帰って身体を綺麗にして、もうお休みなさい。怪我をしていないといっても血だらけよ。ピューラを助けようとしてくれたのね、ありがとう」
その言葉に少年はわっと泣き出した。
「ごっ、ごめんなさい。ぼくが出ていったからあの子が」
夫人は少年の頭をよしよしと撫でてやる。
髪を降ろした老夫人と少年は、まるで祖母と孫のようだった。
「大丈夫よ、大丈夫。魔女さんが助けてくれるからね。ほら、これをあげるわ」
エベリン夫人は手に持っていた可愛らしい巾着包みを差し出した。
「あまーいクッキーよ。おばあちゃんの手作り。おいしいわよ」
「いいの?」
「ええ。そのかわり、おうちの人と分けて食べるのよ」
「奥様、その……」
父親がおずおずと語りけるが、夫人は立ち上がってにっこり微笑んだだけでその言葉には何も返さなかった。
「奥様、準備が整いました」
馬車から騎士の声がする。
「分かりました。さあ、行きましょうジャンザさん」
「はい」
とにかく。
ワタシが今がすべきことは、犬を助けることだ。
* * *