100話 暴走のあとさき。人には人の、狂気がある
翌朝。
訪ねてきたエンリオたち聖騎士と、ワタシは玄関先で対峙していた。
室内を見回しながら、エンリオが口を開いた。
「聖妃様、魔王はどこに?」
「二度と聞くな」
「かしこまりました」
私の言葉に、美形の聖騎士は笑顔で頷いた。
「しかしまあ、後日って言ったのに翌日に来るとはな」
「これでも保たせたほうですよ。止めるの大変だったんですから。ねえ?」
年若い聖騎士が笑って同僚の聖騎士に目配せすると、少し年嵩の聖騎士が苦笑する。
「止めなかったら昨日のうちにあなたを攫いにここまで来てますからね。でも今思うとそっちのほうが良かったかもしれません。エンリオ様のあの姿を見ておいて、こいつ変態じゃんと早めに覚悟しておいたほうが今後のためになりますから」
「お前たち、減俸な」
にこやかに笑うエンリオに、ワタシは言葉少なに爽やかに笑いかけた。
「……幻滅」
「私は聖妃様にでしたらどのような罵りを受けてもかまいません。むしろ私のようなものを罵倒していただき、感謝いたします」
真面目な顔で熱心に礼を述べるエンリオから、ワタシは思わず半歩下がって距離を取る。
妙に心がざわついた。……やはりこいつ、変態だ。
「ま、まあいいさ。荷物はまとめてある。行こうか」
彼らはワタシを迎えに来たのだ。いや、ワタシ……ではなく、目覚めた聖妃を。
「……聖妃様」
「うん?」
室内に入り、テーブルの上の大きな肩掛けバッグに手を伸ばすワタシにエンリオが遠慮がちに声を掛けてきた。
「大変差し出がましいとは思いますが――今一度、顔を洗われた方がよいかと」
「っ」
言われてドキッとして、手で顔を擦る。
今朝鏡を見たら目が腫れぼったくて酷い状態だった。
冷水で冷やしたりしてだいぶマシになったと思っていたが、まだ残っていたか。
ちっ、と舌打ちしながら、ワタシは黒いローブの襟を引き寄せた。
「何があったのかは存じませんが。しかし、これだけは言わせて下さい」
エンリオは熱い視線でワタシを見つめる。
「同じ男として。結婚を約束するほど愛した女性が他の男に嫁ぐのを見るのは……拷問のようなものだと思います」
「……そうらしいな」
ワタシは力なく頷いた。
「聖妃様もさぞお辛かろうと思いますが……」
「そうか?」
「仲がよろしそうでしたので」
輝く金髪の騎士は、幸福を噛みしめるように満面の笑顔で告げる。
「ですが、聖妃様のとった行動はまことに正しいと存じます。あなたは風の聖妃です。所詮、魔王とは相容れない存在なのです」
「そ、そうか」
――炙られてるぅ、と思った。マジで熱い、というか熱っ苦しい。エンリオの熱意がとにかく熱い。
しかし……。
「キャラ変わりすぎなんだよ、アンタ……」
小さくぼそっと呟いた。
「なにか?」
「なんでもない。顔洗ってくる」
と、ワタシは聖騎士たちを避けて外に出ようとする。
「聖妃様、どちらに?」
「川」
年若い聖騎士に軽く返してから、室内を見渡す。
エンリオのことをいえる義理ではない。ワタシも十分、キャラが変わってる。ずいぶんアスタフェルを巻き込んで、追い詰めてしまった。
散らかった居間。魔王の匂いが染みついた空気。
……ワタシを映す蕩ける空色の瞳、耳元に寄せられた唇、指通りのいいさらさらとした白銀色の長い髪。
どこにだってアスタの影を見ることができて、手を伸ばせば空間から魔王を引き出せるような気さえした。
思えば、昨日のワタシは自分が得た自分の正体――聖妃という新しい切り札に興奮していた。
それに、自分の行動でアスタフェルをこの世界に留めた、留めることができたという事実に心が浮き立ちすぎていた。それにしても、やりすぎた。
アスタはそれでも、彼なりにワタシを受け止めた……。
しかし、ワタシのやり方が。思い出すとほんと赤面する。子供っぽいったらないったら。
「聖妃様。私もお供いたします」
そそくさと家を出たワタシを、エンリオが足早に追ってきた。
「なんでさ。アンタは顔、綺麗だよ」
「……そ、それは」
「あ、いや」
身体を硬直させて顔が赤くなるエンリオ見て、こちらもつい硬直する。
「変な意味じゃないんだ。身だしなみはちゃんと整ってるって意味だよ」
「ありがとうございます!」
「アスタもよくそんな反応してたな。なんかあいつに悪いことしてたな、ワタシ」
「魔王がなにか?」
「いや、こっちの話。とにかく顔洗いに行くだけだからそんな護衛とかいらないよ」
「いえ、お供します。あなたは尊い御身なのですから」
「そ、そうか。まあ自由にするといい」
どうにもエンリオを警戒してしまう自分がいる。こいつの熱意は妙にワタシをざわつかせるんだ。
アスタがいたらな……なんてつい思ってしまう。少なくともアスタはエンリオとの間のワンクッションになってくれていた。
昨日のことが、全てが夢ならいいのに。
ワタシが聖妃であることも、アスタが行ってしまったことも――何もかも。
そういえば、キスしたらアスタと別れることになる……そんな予感があったけど……。
結局、当たっていた。
唇を付けただけだとキスとはカウントされなかった、と。
酷いフェイントだ。
アスタの唾液に含まれる魔力でワタシが回復するという事実が鍵だっただけで。
それに、フィナのこと。
アスタはフィナを殺すのだろう。……そこは残念ながら、もうワタシの感知するところではないけれど。フィナの無事を祈ることしかできない……。
……だが、この期に及んでも、これが自分で選んだ道だとは思っていなかった。
ワタシはあくまでも、アスタフェルと共にいたかった。
そうは言っても、結局、これも――自分で選んだ道に他ならない。
だから……。
アスタを選ばなかった分――アスタフェルにふられた分、ワタシは聖妃として活躍して、薬草薬を広めようと決意――。しようとして、しきれない自分がいた。
まああいつのことは関係なく、ぼちぼち頑張ろう。
「……ところでさ、エンリオ」
「なんでしょうか?」
「聖妃ってさ――」
一応確認しておこうとして、逡巡した。
こんなこと、聞くもんじゃないか。
自分から波風立てていくこともない。
「……なんでもない」
「何ですか? なんでもお答えいたしますよ」
「……じゃあ、聞くけど」
と意を決した。
「ワタシはアスタフェルと婚約してただろ。その……若い男女が結婚を約束するほど仲がいいってことはさ、つまりそういうことがあってもおかしくないよな。そういうのって、聖妃としては問題じゃないのか? しかも相手って風の魔王だし……」
「それは聖妃様が覚醒前のことですから。それに覚醒もしていないのに無意識に風の魔王を愛により従わせるなど……並大抵の器ではありません。あなたはまさに、愛の奇跡を起こした風の聖妃です」
「ああ、そういう解釈なんだ」
敵をも取り込む深き愛。それは確かに、讃えられるべきものなのかもしれない。
アスタの自傷行為的言動なんか、真に受ける必要はなかったんだ。
結局。何があろうとも。ワタシは聖妃として野望を叶えていこう。
あと聖騎士エンリオは要注意、と。




