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Capriccio  作者: 若かりし柚木
第1部
9/21

皇太子と第一臣下

<城>


 全員が皇族の後に続いて、大階段の裏の入口から大広間へと入っていった。貴族たちが玉座の間に控えると、皇帝はゆっくりした動作で段上の玉座に腰を下ろした。脇にはテーブルが置かれ、小箱が二つ載っている。皇后とメアリーの椅子が皇帝の座の両脇にあり、背もたれには深紅の布がかけられていた。アンナの椅子は同じ段上にはあったが、控え目な装飾の椅子だった。それを見て、マリアは顔をしかめた。彼女は兄弟姉妹が不平等に扱われるのを良く思わないらしかった。いつもメアリーとアンナを平等に扱い、周囲が何かと二人を比べるのを聞いては顔を歪めていた。当のアンナはというと、そんなことに気を遣うくらいなら、もっとスティーブンにやさしくしてくれればいいのに、と思っているようなのだが。

 妻と二人の娘が座についたのを確認すると、皇帝は手をすり合わせながら口を開く。

「知っての通り、メアリーは今日で十六歳になる」

 方々からおめでとうございます、と声が上がった。スティーブンやアンナまでもが呟いていたのを見て、メアリーは急にひとりになったような心地がした。みんなは、あまりにも遠かった。

「ついては、今日よりメアリーを正式に皇太子として遇したいと思う」

 沈黙が訪れた。貴族たちは皆、互いの出方を見極めようとしているようだった。下手に驚くふりをしても白々しいだろう。

 果たして、初めに沈黙を破って祝いの言葉を述べたのはフランツィスカだった。

「おめでとうございます」

 満面の笑みだ。こんな場面でよくできるものだな、とメアリーは冷めた目で彼女を見ていた。彼女のことは嫌いではなかったが、メアリーは愛想の良い人間がどうにも信用できない。フランツィスカは敵対する隣国の次期王妃である。もはや姉のような存在ではないのだ。

「まことに」

 先程からどうも感じの悪い伯爵が嫌味な調子で言った。

「国民へのお披露目は後日行うこととする。本日は、しきたり通りに印を授けようと思うのだが」

 半ば問いかけるような口調だが、皇帝は異論を唱える者がいるなどとは思っていないだろう。もちろん皆黙っている。

 印というのは、例のネックレスのことだった。

「久々の女性の皇太子であったからな。昨夜は思わず古いしきたりの書を確認してしまったぐらいだ」

 皇帝は苦笑しながら言う。冗談だと思ったのか、貴族たちは大げさに面白がった。別に面白くも何ともない、とメアリーは思った。父は冗談ではなく本当に確認したのだろう。

 女性の皇太子の場合は、まず、第一臣下に臣下の印の指輪が嵌められ、皇太子のネックレスを手渡す。臣下は受け取ったネックレスを皇太子となる女性の首にかけるのだ。

 メアリーはしきたりの書をとうに読破していた上、ほとんど全て頭に入れていた。確か、初めにセシリアの物語の文句を読み上げるのだったな、と彼女が思い出していると、案の定官人の一人が書物を開いたまま捧げ持ってやって来た。書物が皇帝に手渡される。皇帝が大きく咳払いをすると、一同は慌てて(こうべ)を垂れた。


 軽やかに草原を渡る風の如き娘よ

 

 今日よりそなたは我らにかわり

 

 この地を治める者とならん

 

 風の如き娘よ

 

 いついつまでも風の如くあれ

 

 風の如きその子らに

 

 永遠の平らぎを


 創国の物語の一節だ。風の如き娘、というのがセシリアなのだろうが、我ら、の方は判然としない。大昔のこととはいえ、争いもなく国が譲られることなどあったのだろうか、というのも疑問だ。

「風の如き我が祖セシリアと、第十二代皇帝の名において、第一皇女メアリー・アーネスティン・エレノア・アレクサンドラを皇太子に」

 皇帝はそこで言葉を切り、ごく静かに告げた。


「スティーブン・カートライトを第一臣下に」


「――は?」

 思わず声を上げたのは当のスティーブンだった。

 もはや誰も頭を垂れてなどいられなかった。小声で誰だそれは、と呟いた者までいた。

 スティーブンの母マリアは面食らった様子でオットーを見やった。見ればオットーもサイラスも驚きを隠しきれないようで、唖然として皇帝を見つめている。

「才女の誉れ高い女官長マリアと、由緒ある大商家カートライト家の現当主アルフレッドの息子。マリアは隆盛を誇ったかのシュバルツ家の出だ。オットー大臣の親戚筋でもある。これなる貴人方に比べれば多少身分は劣るが、並ならぬ男と見込んでいる」

 多少どころではない。スティーブンを馬鹿にするわけではないが、はっきりと言えば劣り過ぎだ。メアリーは何を血迷ったかと皇帝を見たが、その横顔は平然としていた。

「商家ですと?」

 伯爵が眉をひそめて言った。他の貴族たちは発言こそしなかったものの、ちらちらとオットーを観察しているようだった。

「異論があるようなら今この場で申し出てくれ」

 皇帝が重々しく言い、周囲を見回すが、誰も声を上げようとはしなかった。

「ないようだな。スティーブン、これへ」

 異論なら大ありだ、とでも言いたげな表情でスティーブンは段を上る。皇帝が脇のテーブルの上の小箱を開け、指輪を取り出した。

 本来ならば指輪は現皇帝の第一臣下から一時的に預かって儀式を行うのだが、その臣下は亡くなっていたので、指輪は皇帝の手元にあったのである。

「永遠の平らぎを」

 皇帝が囁くように言いながら、スティーブンの指に指輪を嵌めた。そして、もう一つの小箱を開け、皇太子のネックレスを取り上げた。それは、玉座の間に差し込む陽の光を受けて輝いていたが、きらきらなどという生易しいものではなく、欲望に満ちた暴力的な煌めきだった。

 メアリーは自分がいつもよりいっそう無表情になっているのがわかった。

 皇女の目の前に立った第一臣下は、助けを求めるような表情で彼女を見た。

 皇女は目を逸らした。

「永遠の安らぎを」

 メアリーが呟く。メアリーの首にネックレスがかけられた。

 その瞬間、彼の指先が軽くメアリーの項に触れた。彼の指は冷たくなっていたが、ネックレスの金属製の細い鎖は、それ以上に冷え切っていた。無情とすら思えるほどだった。小さくて軽いはずなのだが、ずしりと重い。

 スティーブンは深々と一礼すると段を下りた。メアリーに、皇帝がしきたりの書を差し出す。皇太子の読むべき文句がまだ残っていた。

「結構です、覚えていますから」

 そう言って断ると、メアリーはふわりと立ち上がった。ネックレスが白い肌に映えていた。


 風の如きかの娘は

 

 まさに吹き抜けるが如く去りぬ


 風の如きその子らに


 永遠の安らぎを


 メアリーは微動だにせず貴族たちに視線を投げかけた。

「国の平安を」

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