取り替え子
その夜、メアリーはエレオノーラ皇后の自室に呼ばれた。
皇后は――彼女はその姿勢がいたくお気に入りのようだ――いつものようにソファーに埋もれてくつろいでいる。メアリーは白い丸テーブルを挟んで向かい側の椅子に座った。マリアが紅茶を運んできた。
「そうそう、メアリー。部屋を片付けていたら、面白い物がいっぱい出てきたの。あなたが昔好きだった絵本よ! ほら」
「あら、懐かしいですわね」
「マリアも覚えてて? そりゃ、そうよね。特にこの本なんかは何度も読まされたものねぇ」
と言って皇后は一冊の本を取り出した。
「そうでしたかしら……どの本もお好きだった気がしますけれど」
「まあ、あれほど読んだのに。メアリーはどう? 覚えているわよね?」
メアリーは差し出された本を受け取る。
「ああ、『セシリア物語』ですね」
「そうよ。メアリーは特にここが好きだったのよねぇ」
皇后は古びた本のページを繰り始めた。ふわふわと埃が宙を舞う。
「ここね」
「取り替え子――ですか」
取り替え子は各地に伝わる有名な民話だった。妖精が揺りかごから赤ん坊を連れ去り、代わりに毛むくじゃらの我が子を置いていくのだ。
「セシリアは取り替えられて、妖精に育てられるのでしたわね」
マリアは懐かしげに目を細める。
「あら、やっぱり覚えてるじゃない」
皇后はマリアに笑いかけた。
メアリーは記憶を辿ったが、特にこの部分を気に入っていたかどうかまでは思い出せなかった。
「メアリー、この本はあなたの部屋に置いておきなさい」
そう言うと皇后は優雅に紅茶のカップに手を伸ばした。メアリーもつられてカップを手に取る。
「旅行っていいわよねえ」
「はあ」
母は唐突に話を変える。いつもこの調子でのらりくらりと外国からの使者たちをかわしてきたのだろう。母とやり合うのは今の自分にはまだ難しいだろうな、とメアリーは思う。気づけば会話の主導権を握られ、向こうのペースにはまってしまうのだから。
「私も行こうかしら。うん、それがいいわ。そうしましょう」
「こ、皇后さま、急にそのようなことを仰られても、小さな馬車しか用意しておりませんし……」
「あら、誰もメアリーたちについて行くとは言っていないわよ。前々から行ってみたい所があったの。私付きの女官たちだけでひっそりと行くわ。ああ、何だか楽しみになってきちゃった」
はしゃぎ始める母にメアリーはとりあえず微笑んだ。
「あなたたちも思う存分楽しんできてね。リッジウェイ城は素敵な所よ。初めてあちらのパーティーに出席した時なんて、言葉も出なかったわ。ほら、私の生まれた城なんて、城とは呼べない代物だったから。まあ、あれはあれで良い所もあるけれどね」
「ベアトリス嬢とピアノを弾くのが楽しみですよ、お母さま」
「――それから、ねえ、メアリー」
皇后はメアリーの言葉を聞いていたのか、いなかったのか。
黒く深みのある目には、メアリーが映っていたのか、いなかったのか。
「懐の……刀は、敵か味方か。あなたの目で見極めなさい」