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Capriccio  作者: 若かりし柚木
第1部
15/21

皇太子と妹

<城>

「と、ここまでおわかりですか?」

 メアリーは七階の図書室にいた。この城の図書室は、図書室というよりは書庫に近い。たまに本を借りに来ることもあったが、たいていは部屋に持ち帰って読むので、メアリーは知らなかった――

「メアリー様?」

――図書室の椅子がここまで座り心地の良いものだとは。

「メアリー様!」

 マリアの声が鋭くなり、うつらうつらしかけていたメアリーははっとする。

「……すまない、つい」

「つい、ではすまされませんわよ! これは皇太子としてメアリー様が成長なさってゆく上で、大変、重要な、お勉強なのですからっ!」

 マリアは息巻いた。

「そ、そうだな」

「よろしいですか。メアリー様はこの強大な帝国を背負って立つお方ですのよ? もう少し自覚を持っていただかないとっ」

「は、はあ」

「そのような頼りないお声をお出しになってはいけません! 主君が臣下たちに見くびられては国はおしまいですわ!」

「――わかっている」

 マリアはメアリーの教育に異様な情熱を傾けているのだった。




「あ、お帰りなさい、お姉さま」

 数時間後、メアリーがアンナの部屋に現れると、彼女は嬉しそうに出迎えてくれた。アンナはピアノを練習していたようだ。

「何だか疲れてるみたいね、お姉さま。お勉強はそんなに大変なの?」

「ああ……マリアが妙に熱心でな」

「熱心にもなるわよ。マリアはお姉さまが皇太子になったことをすっごく喜んでるんだもの。お姉さまに期待してるのよ」

「そうだな……」

 アンナはピアノの前の椅子から立ち上がり、部屋の中央のテーブルの方に歩いてきた。

「私、ほんとは、お姉さまが羨ましいのよ」

 アンナは唐突に言った。メアリーが黙っていると、彼女はなおも続けた。

「私は皇太子じゃないから、国を治めるわけじゃない。結婚だけが役目だわ」

「アンナ、それは――」

「間違ってないでしょ? 私だってもう十二歳よ。第二皇女の役割ぐらいとっくにわかってるわよ」

 メアリーは何を言おうか迷った。が、彼女が何か言う前に、アンナはまた話し出した。

「だからピアノもやったし、お姉さまのやってる帝王学とは違うけど、勉強もしたわ。礼儀作法だって好きじゃなかったけどちゃんとやった。でも、私がやりたいことは何なんだろうってずっと考えてたの。これが、ほんとに自分のやりたいことなのかって」

「やりたいこと?」

「それで思ったの、私は国を治める者じゃないけど、お姉さまの国のためになりたい。私は他国に嫁ぐかもしれないけど、お姉さまもスティーブンもサイラスも、お母様もお父様もマリアもこの国にいるんだから、私だってこの国を守りたいわ」

 その灰色の瞳は意志に満ち溢れていた。メアリーは一瞬、妹の方が皇帝にふさわしいのではないか、と感じた。

「お姉さまにはお姉さまの役割があるのよ。ちゃんとお勉強してこの国を守るの」

「わかっている」

 メアリーは、やりたいことをやれる奴なんて、この世にどれ程いるのだろう、と捻くれたことを考えた。が、アンナのきらきらした目を見ていると、何だか不甲斐ない気持ちになってくる。

「ありがとう、アンナ」

 メアリーはぎこちない笑みを浮かべた。

 兄弟姉妹というものは、帝位を危うくする存在だ――と言ったのは母だったと思う。メアリーはその言葉を聞いた時、即座に反論した。

「アンナはそんな子じゃありません」

「そんな子じゃない? 将来あなたのことを憎まないとどうして言えるの? あなたを裏切らない保証がどこにある?」

「でも――」

 その時の皇后の顔は、とても娘のことを語っている母親の顔には見えなかった。

「厳しいこと言っちゃったわね」

 不意に、母の顔が緩む。

「アンナはいい子だわ。それは私もよくわかっているの。彼女が裏切るなんて考えたくもないわよ。でも、あなたは……あなただけは、考えなきゃいけないの。あなたは皇帝の跡継ぎだから」

 人を簡単に信じるな――母はそう言った。メアリーはやさしすぎる、とも。

「アンナを本当に守りたいと思うなら、彼女に近づく者に気をつけなさい。アンナを祭り上げてクーデターを起こそうとする者がいるかもしれない。今はアンナの言動の方にも注意が必要ね。あの子はまだ子供だから、思ったことをすぐ口にしてしまうんだもの。貴族たちに口実を与えてはいけないわ」

 お姉さまが羨ましい。それはアンナの素直な気持ちだろう。その言葉はあまりにも素直で純粋だった。彼女には帝位を奪うという発想すらなかっただろう。だがその言葉を聞いて

「アンナ皇女は皇太子の座を狙っている」

と言い出しそうな輩を、メアリーは腐るほど知っていた。

 それにしても、アンナはそんなことを考えていたのか。メアリーは驚いていた。私はどうだ? 皇太子になって何をしたい? いや、そもそも皇太子――皇帝になりたい(・・・・)と思っているのか?

「お姉さま、旅行の準備はもうしてあるの?」

「旅行? ……ああ……」

「やだ、忘れてたの?」

「いや、覚えているが、出発までまだ五日もあるだろう」

「そうね」

「アンナはもう準備が終わったのか?」

「ええ、もちろん」

 アンナは誇らしげに胸を張る。

「気が早いな」

「だって、とっても楽しみなんだもの。外に行けるのよ? リッジウェイ伯のお城に行くのは初めてだし。私、伯爵もベアトリス姫もあんまり好きになれそうにないけど、きっと楽しい旅になると思うの。だって、みんなで行くんだから楽しいに決まってるわ」

「四人で馬車に揺られて行くわけか……サイラスと顔を突き合わせるのは辛いな」

 メアリーは式典の日以来一度も彼と会話していなかった。

「そんなこと言わないでよ。せっかくの旅行なんだから」

「そうだな」

「楽しまなきゃ損よ、お姉さま」

 その言い方は、楽しんでみることね、と言う母にそっくりだった。

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