大臣と伯爵
メアリーが貴族たちに囲まれているオットー大臣の方へ歩み寄ると、彼らは何やかんやと言い訳をして、大臣から離れていった。いつもなら自分に取り入ろうと躍起になって話しかけてくるのだが、今日はやはり出方を考えあぐねているのだろうか、とメアリーは思う。
「何か話があるとか」
ぞんざいな口調で声をかける。しかし大臣は気分を害された様子はない。
「おめでとうございます、殿下」
ぞわりと背筋に悪寒が走る。メアリーは冷酷な眼差しを彼に向けた。
「それに、素晴らしい演奏でしたな。いや、私のような芸術を解さぬ者が申し上げたところで何の価値もないと思われるでしょうが、音楽に造詣の深いリッジウェイ伯も感動したと申しておりましたよ」
「伯爵が。それは嬉しい限りだ」
メアリーは感情を込めずに言った。嫌味で高慢な顔が脳裏に浮かぶ。
「ぜひ、娘に手ほどきを、とのことでしたぞ」
「は?」
「直接お聞きになった方がよろしいでしょう。リッジウェイ伯!」
大臣が伯爵を呼んだ。伯爵はアンナとマリアと話していたらしかったが、嬉しそうにこちらに近づいてきた。
「これはこれは、姫。先程のパイプオルガンの演奏には感服致しましたぞ! いや、我が娘ベアトリスはなかなかのピアノの弾き手でしてね、私も鼻が高いと思っておりましたが、いやはや。やはり姫には遠く及ばぬようですな。その道にお進みにならないのが惜しいとまで思ってしまいました――これは失礼」
「おや、少し酔っておられるようですなぁ」
「そのようですな」
そう言って二人はひとしきり豪快に笑ったが、メアリーは、伯爵は素面だと確信した。それにしても露骨な嫌味だ。皇帝にしておくのが惜しいとまで言うとは、呆れるのを通り越して感心したくなる。
「そうそう、陛下夫妻が姫にちょっとした旅をプレゼントしたいと仰せになりましてな。我が伯爵城ならば遠すぎず近すぎず、気晴らしになるのでは、と愚考した次第です。ぜひぜひ娘にピアノのお手ほどきなどお願いしたいというのもありますが」
そう言ってにこりと笑みを浮かべて見せた。
「ありがたいご提案、感謝する。詳細はまた後程ということでよいだろうか?」
「もちろんです」
「久々の旅ですし、アンナ様もスティーブン殿も、――それからサイラスめも、大いに楽しめることでしょうな」
「ええ、懐の宝を磨いてお待ち申し上げておりますよ」
懐の宝とは、恐らく娘のことだろう。
なるほど、そういうことか。メアリーはにこりともせず言い捨てた。
「伯爵の暖かくなった懐ならば安泰だろう」
伯爵の顔が俄かに固まった。メアリーはちらと大臣の方を振り返った。
「彼にバイオリンを持たせた方が良さそうだな。共通の趣味があれば会話も弾もうというもの。――失礼」
メアリーはほっそりとした肩を威厳たっぷりにそびやかしその場を立ち去った。
大臣は下品な笑い声を立てた。
「これはなかなか手強そうですな、伯」
まだ顔を赤くしたまま何も言えずにいる伯爵を尻目に、大臣はマリアの方へと歩いていく。
パーティーが終わり、メアリーとアンナとスティーブンは、メアリーの自室に引き上げて語らっていた。 スティーブンとアンナは今年もプレゼントを用意していた。スティーブンから贈られたのは簡素ながらも繊細な模様に縁取られた便箋と封筒のセットだった。皇女の印を用いないような非公式の手紙に使えそうだ。アンナのものはさすがに女の子らしく、ビーズアクセサリーだった。ビーズといっても、スティーブン曰く、巷では手に入りにくい珍しいカットのビーズをふんだんに使っているらしい。
礼を述べた後、メアリーは大臣と伯爵の言動を子細に伝えた。
「最近、伯の懐事情がいいらしいとは聞いてたけど、なるほどな。大臣はさすがだ、サイラスにそういう使い道もあったわけだな」
メアリーの話を聞いたスティーブンは開口一番、納得した様子で頷いた。
「さすがか? 最強の使い道には劣るだろう」
「どういうこと?」
メアリーのベッドに腰掛けたアンナが、怪訝そうにスティーブンとメアリーを見つめる。
「大臣には、サイラスの使い道が他にもあったってことだ」
「大臣は今でこそ公爵家の婿だが、生まれは地方の没落貴族だ。成り上がり者だと陰口を叩く者も多い。息子の地位を安定させたいと思うのは当然だろう。そしてその手っ取り早い方法は何だと思う、アンナ」
「そうか、結婚ね。でも伯爵令嬢より、皇女の方が」
「……そうだな」
あの天下は我が物だと言わんばかりの彼にしては恐ろしく慎重だ。
「伯爵家には身分はあるけど金がない。しかも伯爵家には正統な後継者が女のベアトリス以外にいないわけだ。ほっといたら夫人の一族に乗っ取られかねないからな。娘の婿をさっさと見つけて跡取りに据えたかったんだろ。大臣の方は金はあんのに身分はいまいちだから、息子に箔が付くような令嬢を探してた。利害は一致してる」
スティーブンは呆れ気味にそうまとめたが、メアリーは首をかしげた。どうも、伯爵の利が大きすぎるような気がしたのだ。
「じゃあリッジウェイ家が最近潤ってるっていうのは……」
「うん。大臣の援助だろうな。けどリッジウェイ家の家計が火の車になってたのは自業自得だぞ。贅沢三昧だったらしいからな」
メアリーは彼の言葉に首を縦に振った。
リッジウェイ伯爵の言う懐の宝、つまり愛娘ベアトリスは、メアリーの印象ではかなりいけ好かない部類の少女だった。と言っても、見た目は並以上の令嬢だ。鮮やかなレッドゴールドの髪は丹念に手入れされ、きらきらと輝いていた。美しい、とメアリーも素直に思ったものだ。
だが、少し話してみると、メアリーは徐々に不快になっていった。この人はプライドの塊だ、と思った。貴族などという生き物は大抵プライドが高いが、リッジウェイ家の人々は特にその傾向が強かった。
そう思いながら彼女とその母やおばたちとの会話を聞いていたメアリーは、何となくそれだけではないような気がしてきた。プライドではない。コンプレックスの塊なのだ。ベアトリスは、母であるフアナ夫人やその姉妹たちが名だたる美人ばかりなのが災いし、わりと愛らしい顔をしているのにあまり美女と言われることがなかった。本人はそれをひどく気にしているようだった。
「しかもベアトリス姫って、とても派手な方だって聞くわ」
アンナの言葉にもメアリーはため息交じりに頷く。宝を磨いて待つと言うからには、娘に花嫁修業でもさせる気だろうか。高名な音楽家やら、教師やらを呼ぶだけで満足していそうだ。
「けど、面白そうじゃねえか? あの冷血漢のサイラスが傲慢な姫君のご機嫌取りとはな。辛い運命だなぁ」
スティーブンが手の甲を目に押し当てて嘆く真似をすると、アンナが非難がましい目で見た。
「サイラスがかわいそうよ。そんな人、彼には釣り合わないわ」
「姫の方も乗り気ではないだろうな。サイラスを成り上がり者と馬鹿にするに決まっている」
ベアトリスはコンプレックスを高慢な態度で覆い隠そうとしているような所がある。サイラスにも
「あたくしがあなたとそのご一家に箔を付けて差し上げるのよ」
と言わんばかりの態度で接するに違いないのだ。
サイラスもサイラスでプライドは決して低くない。あんな威張り屋の姫と相性がいいとは思えなかった。
「あ、でもベアトリスは面食いらしいから、ひょっとしたらひょっとするかもな。それよりメアリー、ベアトリスを怒らせないように気をつけろよ。ピアノ教えるんだろ?」
そう言えばそうだった、とメアリーは今更ながら気が重くなった。
「お姉さまは皇太子なのよ? いくらプライドが高くたって……」
「さあ、それはどうだろうな。現に父親のリッジウェイ伯はあの調子だぜ。身分をわきまえるとは思えねえな。あの家中が反メアリー派かもしれない」
「そうなるとオットーもか」
「大臣はいまいち読めないな。反メアリーの家と婚姻関係を結ぼうとしたり、金出してやったり、それだけ見たら反対派みたいだが、反メアリーならなおさら、第一臣下には反メアリーの手駒を潜り込ませたいと思うんじゃねえのか?」
「そもそも私を排することが前提だとしたら?」
「排したところで、ベアトリスと結婚してたら、次の皇太子の第一臣下にサイラスを据えるのは無理だぜ」
「謎が多いな。というか、行動に一貫性がないように見える。――そうだ、マリアなら何か知っているんじゃないか?」
「お袋ねえ……確かにあの人は大臣の親戚だけどさ」
「スティーブンを臣下にという話について知っているかもしれない」
メアリーは真剣に言ったが、スティーブンは気乗りしないようだった。
「けど、あの人は俺に興味ないからな」
面白くもなさそうに口角を上げるスティーブンがアンナの灰色の目に映っていた。