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小説を書くとはこういうことさ

作者: 雪月 智也

 私の前には真っ黒な闇夜が広がっていた。


 闇夜の中でただ一つ見えるのは、遥か彼方に存在している美しく光る何か。

 それが美しい事はわかる。けれど遠目には細部は分からない。


 その美しさを間近で見るために、私は歩き出す事を決意する。


 闇夜に頼りになるのは足元を僅かに照らす、小さな角灯一つ。


 角灯を手に。私の、長い、長い、執筆の旅が始まる。



 私は、暗く鬱蒼と茂った森の中に走る小経を、角灯の灯りだけを頼りに歩く。

 時折、足を取る下草に顔をしかめるけれど、美しい何かを見る為に決意をしたばかりの私の足取りは軽い。


 木々の隙間に遠目の美しい何かは見え隠れする。

 私の執筆の旅に障害となるものなど、何一つ無いのだ。


 ウキウキとした旅の始まり。弾む心を抑えつけて、あまり急がないように心がける。今から急いでも後が続かない。


 やがて、美しい何かが森の木々に隠れている時間が長くなってくる。


 すると私は、森の道端に美しいの花が咲いていることに気がつく。

 角灯の灯りを近づけ、美しい花はマジマジと見つめ、感嘆の息を漏らす。

 ひとしきり満足するまで鑑賞し、さて旅を再開するかと顔を上げる。


 そこで、困った事が起きていた事に気がつく。


 一本道だと思っていた森の小経が、無数の別れ道になっていた。


 ドコの道を進むか。目指す美しい何かの大体の方向は分かっているけれど、そちらに進むだけでも無数の道がある。


 私はしばらく悩んだあと、美しい花が咲いているのが見えた道に選ぶ事にした。


「さすが分かっているね。キレイなお花だもんね。この道を選んだのは正解よ」

 私の手を引くのは、無邪気で小さな女の子。


「お主は何も分かってはおらぬ。あのようなドコにでも生えている草のどこが良いのだ。

 別の道の先には、叡智を収めた図書館があったというのに」

 不満げに私の隣を歩くのは、鷲鼻の痩身の男。


「なんでこんな、つまんない道を選んだんだよ。別の道には戦いが待ってたんだぜ? ワクワクするような戦いをしようぜ?」

 文句を言いつつ後ろを付いてくるのは、冒険に憧れる少年。


 私は美しい花の咲き誇る道を進む。

 少女は花の美しさに無邪気に笑い、男は花のうんちくをひたすらに語り、少年は花が怪物になっても自分がカッコ良く倒すのだと息巻いている。


 ドコからともなく現れた――いや、それは嘘だ。分かっているのだ。彼らは私の心が生み出した幻影だ。

 私は時に花の美しさを、時に花の知識を、時に花が化けて襲い掛かってくる事を記して行かなばならない。


 それは大変だけれども、とてもとても楽しい執筆の旅だ。


 けれど楽しい旅は長くは続かない。


 私は、森の小道を抜けていた。気がつけば幻影は消え、私は一人、岩の続く山道を歩いていた。


 視界を遮る木々も姿を消し、遠くの美しさ何かに近づいていることは見て取れた。

 わずかに闇夜は薄れ、岩山に続く道の先が見通せた。


 だが、何たる事だと、私は道の先を見て嘆いた。

 その道は、遠目に見える美しいモノとは違う方向へと続いている。しかも、美しいモノにつながるような道はここからでは見えない。


 ――進むしか無い。進むしか、美しいモノに近づく方法は無いのだから。


 山道は退屈だ。目を楽しませる道端の花など何もない。好き勝手に私の手を引く幻影の人影も現れない。


 退屈で困難で、しかも、目的地から逸れている分かっていても進まざるをえない道だ。心がすり減って行くのを感じる。


 けれども絶望はない。目的地は明確に見えている。山道から滑落しないように角灯の灯りで、足元をしっかりと確認しながら進んでいく。


 すると不意に気がつく事がある。


 ――ああ、近づいて来ているのだな。と。


 その感慨が私の足を前へと運ぶ原動力となる。


 やがて私は、岩しか無かった山道を抜けていた。


 しかし、私にさらなる困難が襲い掛かってくる。


 山道を抜けた先には、沼地しか存在していなかったのだ。この先に目的地があるのはわかっている。けれど、道など見当たらない。


 薄く明るくなっていたはずの空は、再び闇夜を取り戻し、背の高い葦に遮られ、目的地の美しいモノの光も見えない。


 頼れるのは儚い灯りを灯し続ける手にした角灯ただ一つ。足元を照らす事しかできない角灯の灯りは、未だ踏み入れてない黒い水面を照らすだけ。


 この水の中には何が潜んで居るのだろう。

 私は恐怖に震える。しかしこの沼地の先に目的地が存在している事は間違い無いのだ。

 意を決して水に足を踏み入れる。


 サブサブと水をかき分け沼地を進む。ズブズブと底の泥に足が沈む。


 見えるのは、茂る葦と、波打つ水面だけ。


 小さな角灯の灯りだけでは、より一層、闇夜の暗さが迫ってくるようにしか思えない。

前に進んだかどうかもわからない。

 小さな闇の籠に閉じ込めれた錯覚を覚える。


 それでも足を進める私の背後に、ゆらりと巨大なワニが忍び寄っていた。


 ワニは私に優しく囁いた。


「――諦めてしまえよ。疲れただろう? もう足を止めて、ワタシのご飯になっておしまいなよ」


 私は足を止めない。


 葦の上にどう体を支えているのか。巨大なフクロウが音もなく舞い降りて、闇夜の中で輝く相貌で私をみた。


 フクロウは私に賢しらに囁いた。


「――諦めてしまえよ。君は間違えているよ?

 このまま進んでも目的地にはたどり着けないよ? 空を飛ぶボクが言うんだ。間違いない。

 さあ、足を止めてボクのご飯になりなよ」


 私は足を止めない。けれど、その動きが鈍った事も確かだ。


 ガオオオォォォン! と私の進む先から獅子の咆哮が聞こえて来た。


 咆哮に続いて、獅子は姿を見せぬまま私に告げた。


「よくぞ来たっ! さあ早く我が元に来るのだっ! お前の旅はここで終わりだっ! 我がディナーになるがいいっ!」


 私は足を止めそうになった。


 ――分かっている。分かっているのだ。


 彼ら猛獣達は私の心が生み出した幻影だと言う事は。私が辛く先の見えない執筆の旅を止めたいと思っている事は確かなのだ。


 けれど私は、引裂されるような痛みを心に感じながらも、足を進める事を選んだ。


 ワニはゆっくりと私の背後から近づき、優しく足を止めるよう勧める。

 フクロウは過ぎ去る度に先回りして睨んでは、進行方向を間違えていると忠告する。

 獅子の咆哮は止む気配すら無く、速やかに自分の元に来るように促す。


 けれどその中の獅子の咆哮は、近づく度に必死さが増して来る。

 まるで、本当は近づいて欲しくはないかのように。


 私の歩く沼地も、だんだんと水深が浅くなってくきた。底の泥も少なく、足を取る事も少なくなってきた。


 やがて私は、沼から固い地面に上がる事ができた。


 獅子の咆哮が聞こえて来た場所だと言うのに獅子の姿は見えない。

 小さな角灯の灯りに照らし出されたのは、小さな子猫だった。

 見つかったと気がついた子猫は、慌てて草むらに逃げ去った。


 振り返り、水面を灯りで照らす。付いてきたはずの巨大ワニの姿は無い。

 チャプンと、小さな魚が跳ねて、水面に波紋を残した。


 葦の上に止まっていた巨大フクロウも姿が見えない。

 ただ、風で飛ばされたのか、ボロ布が葦の上で翻っていたのを見えた。


 進行方向に目を向ければ、確かに美しいモノが其処に在るのが見て取れた。


 ――やはり私の進路は間違っていなかったのだ。

 己の確信が正しかった事に興奮しながら、私は再び足を進める。


 その足取りは軽やかだ。小走りになり、駆け出したい気持ちに襲われる。


 けれど、その気持を抑えねばならない。今この瞬間、今この時の弾む心こそ楽しみながら、淡々と前に進む。


「早く進みたいよ。さあ、いそごう!」

「イヤ待て、今こそ、足元に注意しせねば。ワシが先導する事にしよう」

「ふっふっふ。どんなキレイなモノなんだろうな。早く行こうぜ!」


 いつの間にか現れていた彼らに急かされながらも、自分のペースで進む事を忘れない。


 やがて私は、美しい何かの前にたどり着いた。


 そこで私は、おや? と首をかしげた。

 これはこの程度のモノだったのかと。

 確かに美しい事は美しい。けれど、この程度の美しさだったのだろうか?


 ――遠目で見ていた時はもっと……。そう、もっと美しく光輝いていたはずだ。


 行きつ戻りつ、様々な角度から見直してみるが、どうにも遠目にみていた理想の美しい何かとは違うような気がしてならない。


 しかし、これこそが私が目指して来たモノに間違い無いのだ。


 この、残念としか言えない美しさは、きっと私の実力不足に他ならないのだろう。

 美しさを表現しきれぬせいで、美しさがくすんでいるようにしか見えないのだ。


 自分の力不足に無念を抱きながら、私は美しい何かを後にし、足を進める。


 私のこの執筆の旅はもうすぐ終わりに近づいている。


 ふと思い立ち、私は今まで旅してきた地図を見直してみる。


「ここにはもっと可愛い動物が居たじゃない」

「この花に関する伝説が足りませんな」

「ここはもっとカッコ良く戦っていただろう」


 三度、唐突に現れた幻影の彼らは地図を――今まで記していた記録を指差し、好き勝手に言う。

 その言葉を受け入れる事もあれば、いや流石にそれは無いだろうと拒絶する事もある。


 おおよそ整った旅の記録に満足するが、まだ旅は終わってはいない。


 エンドマークを記すまでは私の旅は終わってはいないのだ。


 私は一人、歩き、歩いて。


 ふと足を止める。


 振り返り、己の旅路を見つめて――。


 ここで良いかと決心する。


 その場にエンドマークの看板を突き立てた。



 私はため息と共にその場に腰を下ろした。

 安堵によるものなのか。それとも疲れによるものなのか。どちらともつかないため息。

 けれど独特の充実感、満足感に浸っていた。


 同時に思う、もうこれでこんな疲れる旅をしなくで済むと。


 旅の記録を見返して、私は満足する。



 旅はもう終わったのだ。


 けれど、何故だろう。


 ふと視線を遠くに移せば闇夜の遥か彼方に、今回の旅で見てきたモノのと違う、美しい何かの輝きの光が目に入る。


 ――私の旅は終わったぞ?


 内心自分に問いかける。


 ――おいおい待てよ、また旅をすると言うのか? 疲れて、もうこんな旅はコリゴリだと思ったばかりじゃないのか?


 バカなことは止めて置けと、内心で自分に言い聞かせる。

 けれど私の心は、闇夜の遥か彼方に見える美しい輝きに魅せられている事も分かっていた。


 私は立ち上がる。

 闇夜の中で頼りにできるのは、足元を僅かに照らす、小さな角灯一つだけ。


 不安しかない。

 疲れている。


 今回の旅は何とか全うできたが、次の旅はどうなるかは分からない。


 けれど私は、再び歩き出した。



                           【終わり】

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