肉屋が来る
暗い部屋の中、若い男が一人椅子に座っている。殴られた痛みで眠る事が出来ないのだ。ランプの僅かな明かりに照らされながら、彼は恨み言を呟く。
彼は商人で、この町には毛織物の買い付けに来た。年齢の割には優秀であり、動かす事の出来る金額もそれなりに大きい。
ここには色々とうまいものがある。道中そんな話を耳にしていた彼は今日、地場の名物を食べ歩いていた。酒や肉料理などの噂に違わぬ味。財力相応に豊かな懐に任せて商人はそれらを楽しんだが、それに気を緩めた結果強盗の被害にあってしまう。
路地裏に引きずりこまれて暴行を受けた上に、財布を丸ごと持っていかれた。全財産を持ち歩いている訳では無いので滞在その他の費用に問題は無く、取引にも現金は使用しないためこちらにも支障は無い。だからといって気分が良くなりはしないが。
「肉を買いませんか?」
「誰だ!?」
自分以外は誰もいないはずの部屋の中、商人はいきなり声を掛けられた。
音も無くどうやって入ってきたのか、そもそも何故自分の部屋にいるのか。訳の分からない事ばかりの彼は侵入者の姿を確認する。エプロンを着けた少々背の低い男で、部屋に忍び込むなんて事は出来そうに無い。
「私は肉屋です」
「肉屋? そんなものを頼んだ覚えは無い。そもそも何故こんな時間に」
商人の需要を感じ取ったから、肉屋を自称する侵入者の回答はそんなものだった。
何故音も無く部屋に入ることが出来たか。肉屋にとっては容易い事、出来て当然の事なので、どうやってと言われても答えられない。
人の姿を取る異常な存在。商人は様々な場所を行き来する中で、そういった話を耳にした事があった。人知が及ばず、接し方によって利益をもたらす事もあれば、破滅を招く事もある。
目の前のこれは何を求めているのか、まずはそれを知る必要があった。
「どういう肉を売りに来たんだ?」
「今日あなたに、怪我を負わせた人達がいるでしょう? 彼らの肉をお持ちします」
大した事では無いと言った様子で物騒な事を言う肉屋。
「そういうのは殺し屋の仕事じゃないのか」
「普通の肉屋らしい仕事もしています。副業のようなものと思ってください」
かつて肉屋は「この動物のこの部位を」と言った注文を受け、今のような副業はしていなかった。これが始まったのは一人の客が「人間を対象にするのは可能か」と質問をしてからだと言う。
「私は欲しいと思う気持ちだけでなく、代金が払えるかどうかも分かります。最近は、需要はあるのに代金を払えない人が多くてあまり仕事が無かったんですよ。その点あなたは、今日盗られた分を差し引いても、結構な金額をお持ちでしょう?」
「確かに連中をぶっ殺してやりたいとは思っていたが、殺し屋を雇って差し向けるほどかというとなぁ。参考までに聞きたいんだが、いくら位かかる?」
肉屋はどこからともなく取り出した算盤を弾き、値段を提示する。
「全員の命を奪い、出来るだけ安く上げるならこのくらいになります。」
「……微妙な金額だな」
金持ちでなければ気軽に払えない程には高いが、ある程度以上の金持ちなら出せる金額。殺し屋の相場なんて物は商人も知らないが、人間一人の値段と考えた場合は少々安いと思える値段だった。
「この金額はどうやって決めているんだ?」
「社会的地位や財産などを考慮して決定しています。人、物、金を大量に動かせるような人間は高くなりますね。今回の場合はかなり安い方です」
「仮に、生死は問わず全員の利き手を取ってくるよう依頼するとどうなる」
肉屋は再び算盤を弾き、少々金額を上げた。
「大して変わらんな。この差額はどういう理由による物なんだ?」
「取ってくる肉の量が増えた事によるものです。これは大きな金額差が出る原因にはなりません」
商人は好奇心の強い人間だ。それは彼に災難をもたらす事もあったが、好奇心によって得た知識に助けられる事の方が多い。だから彼は質問をする。
「じゃあ例えば、『腸を全部』でも『指先一欠け』でも大きな差にはならないって事か」
「そうなります」
「さっきの理由以外に、大きく金額が変わる条件はあるか?」
「二つほどあります」
一つ目は、難しい条件がついた場合。二つ目は全身を指定した場合。
「よく分からんなあ」
「本業の方の例になりますが、動物の種類や部位だけではなく年齢、性別、その他の細かい指定をされた方がいましたね。グルメだか何かで、倍以上の金額になっても代金を払ってくれる良いお客様でした。」
「へぇ、ちょっと興味あるな。どんな条件だったんだ?」
「他の人の注文を、詳細まで教えるのは勘弁してください。それに、仮に教えられたとしても味は保証できません」
うまい物が好きな商人としては試してみたかったが、詳しい事が分からないのでは試し様が無い。
「副業の方だと、『殺害されたと思われないようなやり方』『取り除く部位以外を指定の場所へ持っていき、吊るす』といった条件があります。前者の方は、具体的にどうするかは任せるとの事だったので、結構な金額になりましたね」
商人は、明るい時間は平和に見えたこの町の闇を垣間見たような気がした。先ほどの強盗といい、裏に隠れた恐ろしい物があるのかもしれない。それはさておき、もう一つの条件が気になる。
「『全身を』ってのはどういう事なんだ?」
「申し訳ありませんが、全身を指定された場合は生きたままのお届けになるんですよ。ちょっと面倒な条件なので、高めの値段になります」
「それ、人攫いの仕事じゃないか」
「いえ、どちらかと言うと本業の方で」
商人は、肉屋のいう事をすぐには理解出来なかった。少し考えて、発言の意味するところに気がついた彼は、口に手を当ててこみ上げる胃液を堪える。
「やはり不快でしたか」
「……そういう注文は最近あったのか?」
「いえ、かなり昔に少しだけ。呪いがどうこうと言う話だったので、多分あなたが想像されている用途とは違いますよ?」
最近もそういった注文があったなら、商人は明るくなるのを待ってから荷物をまとめて逃げ出すつもりだった。そんな恐ろしい場所に滞在していたら、命がいくつあっても足りない。強盗の襲撃も、場合によっては死んでいた可能性がある。
自分が死ぬ可能性。これに考えが及んだ商人は、ある事を思いついた。
「なぁ、肉を特定のタイミングで指定した場所に配達するのも可能か?」
「出来ます」
「俺が死んだら、故郷に遺体を持っていって埋葬して欲しい。いくらになる?」
いつか、どことも知れない場所で死ぬかもしれない。そうなった時の事を考え、商人は何とも言えない気分になった。金でそうなる事を防げるのなら、よりマシな死に方を選びたい。
少し時間をかけ、肉屋は値段を提示する。金持ちの商人自身を対象に取り条件を追加したため、彼でも簡単には払えない金額になった。
「さっきと比べて、大分高くなるな」
「高くなる条件を複数満たす注文ですので」
「いくらかまからないか?」
普段の感覚で値段について交渉を始める商人。そう簡単に値引いてはくれないと考えていた彼に、肉屋から意外な言葉が返ってくる。
「逆に聞きたいのですが、どの位が適正だと思います?」
「出来れば桁一つ下げる位はして欲しい。流石に無理だろ?」
十分の一、言った本人も駄目元の金額だったが、肉屋はその価格でも良いという。
「昔の取引を参考に金額を決定しているんですが、最近それが高すぎるのではと疑問に思い始めまして。それが本当に適正な価格だと思うのなら、構いません」
商人は、肉屋に値下げをしてもらった。手の届く範囲になったとは言え、現金は盗られてしまったのですぐには支払いが出来ない。後日代金を渡す事を伝えると、肉屋は来たときと同じように消えてしまう。
肉屋が人を取り扱い始めた頃、町に体の一部を無くした死体が溢れるという事があった。肉一塊を買える程度の金があれば、僅かな殺意や害意に反応して肉屋は注文を取りにきたのだ。
誰の仕事でも、代金さえ支払えば肉屋は請け負い確実に実行する。誰にも知られる事は無く、安い金額で依頼が出来るという事が、肉屋へ依頼する事のハードルを下げていた。
これを止めるべきと考えた当時の有力者達。肉屋について情報を収集した彼らは、高額の暗殺を発注して値段を吊り上げ、肉屋の出現を抑制した。財産や地位に基づく価格を使用させたのも彼らだ。そういった物を持つ人間が頻繁に死ぬような事があれば、混乱が発生する。
商人は、意図せず肉屋に施された封印を解いてしまった。再び肉屋は繁盛し始める。