台風がくると思い出す音と、炊き込みご飯
「緊急招集ーーー!」
私は自宅近くの社宅にある琴美の家のインターフォンを押して叫んだ。
「何なの?」
部屋着をきた琴美が、やれやれ……といった表情でドアを開けた。
「あ、桐子さま、いらっしゃい」
琴美の後ろから琴美のお兄さん、竜二さんが顔を出した。
「桐子さまとか気持ち悪いんで、やめてください!」
私は勝手に靴を脱いで部屋に上がり込んだ。
「ちょっと、部屋グチャグチャなんだけど」
「1mの隙間があれば座れるから大丈夫!」
私は叫んだ。
「桐子ったら、まだ制服だし……どうしたの?」
琴美は私を自室に入れてくれた。引っ越したばかりで部屋の中は段ボールだらけだったけど、そんなのどうでも良い。
「朝陽さまに、でこチューされた」
段ボールの隙間に座り込んで、私は言った。
「なにそれ。本気で言ってるの?」
「嘘つく必要が、どこにあるのよーーー!」
「すぐキスするとか、気持ち悪い」
「朝陽さまに失礼だよ!」
「嬉しいの? 良かったね、妄想サイト通り」
「怖い……全てが怖いんだよ! なんなの、なんで突然キスとか出来るの?」
「誰にでもしてるんじゃない? しかもでこチューでしょ?」
「…………ふぁ?」
「外国なら挨拶みたいなものじゃない?」
「…………ふぁ」
「桐子、壊れた?」
そうか。そういう考え方もあるのか。
挨拶。
朝陽さまの言葉を思い出す。『僕は君を気に入ったよ』
「でも気に入ったって言われた」
「なにそのオモチャ扱い」
「えーーーー?! そうかな? そうかも。そうなのかな? うわーん、分からないよーー!」
私は段ボールの隙間に隠れた。
「……ねえ、ひょっとして、桐子、オデコだけど、ファーストキス?」
段ボールの隙間から琴美が覗いている。
私は膝を抱えたまま、動きを止める。ファースト……
「そうだ、ファーストキス、そうだよ、ファーストキスだ……」
「おめでとう。今日は赤飯だね」
「それは違うでしょ!」
「さあ、ドンキホーテに餅米と小豆を買いに行きましょうか」
「ちがーう!」
段ボールの隙間で丸くなる私を無視して、琴美は部屋の片付けを続ける。
ファーストキス……ファースト……キス。
「あ、私、ファーストキス、美都くんとしてるわ」
「え? 病院の子? キスまでしてるの?」
琴美はハンガーラックに服を掛けながらいう。
私が年小さんだった九月、大きな台風が来て、私は入院した。
酸素テントに入れられて、何日も雨が去るのを待った。
それは永遠にも感じられる長さで、一人で泣いていたのを覚えている。
あの時はお母さんはまだ働いていて、ずっと一人だったし。
今でも覚えてる。雨がガラスを叩く冷たい音。
発作が治まり、雨も止み、私は病院内にある小さな広場に出ることが出来た。
そこには小さな滝があり、それを見るのが好きだった。
雨のあとは、増水するのも面白かったし、その滝の中にお金が入っているのも面白かった。
太陽に光に照らされてキラキラと眩しい。
「入院してるの?」
私に話しかけてくれたのが、通称「病院の子」、美都くんだ。
「息がくるしくなるの」
幼稚園児だった私は答えた。
「僕は近所に住んでるの。お友達になって?」
「いいよ!」
名前は? と聞くと美都だよと名乗った男の子と遊ぶようになった。
入院は何度もしたし、定期検診で週に一度その病院に通っていた。
そのたびに私は滝に向かい、小学校二年生くらいまで、一緒に遊んだ記憶がある。
記憶がものすごく曖昧だけど、その子が去る時に……? 私が病院を変える時に……?
「さよならなんて淋しいよ」
って頬にキスされた記憶がある。ちゃんと手を握ってキスされて、でもその時は「なんだこれ気持ち悪い」と思ったことしか覚えてないけど……。
「あれがファーストキスかな。イヤその前に頬にキスとかおでこにキスってファーストキスに入れていいの?」
「キスはキス。さ、これに着替えてドンキホーテ、行きましょ?」
琴美はシンプルなワンピースを私に手渡した。
私はそれに着替えながら、ブツブツと言う。
「本当に行くの?」
「ごま塩も買わないと」
「うう……明日からどうしたらいいの」
「普通で良いんじゃない? きっと挨拶変わりよ」
「そんなことないよーー」
「じゃあ喜べば?」
「そんなこと出来ないよーー」
「どっちなのよ」
私たちは財布だけ持って社宅を出た。
ポケットにいれたスマホが振動している。
確認するとお父さんだった。
「……ねえ、ひょっとして、ここに居るって言ってないの?」
琴美がスマホ画面を睨んで言う。
「うう……だって話したくて」
鳴り続ける画面を見て、私はため息をつく。
「子どもじゃないんだから、ちゃんと言いなさい」
琴美に促されて私は電話に出た。
「桐子?! こんな時間まで何をしてるんだ。迎えの車を送ったのに、学院には居ないと言われるし。前とは立場が違うんだ、考えなさい」
「連絡しなかったことはごめんなさい。今、琴美の家に来てるの」
「だったら琴美ちゃんと我が家に来なさい。部屋なら沢山あるんだから」
新しく建てた我が家は部屋数だけで二十近くあって、住み込みのメイドさんまで居る。
私はそれが、心底落ち着かないのだ。
「ご飯食べたら帰ります」
怒るお父さんを適当にあしらって、私は電話を切った。
どうしても私は心の奥底から金持ちになれない。だってただのラーメンアイス成金だ。
家なら家族四人が住める小さなもので良いと思うし、家事なら私も出来るのに。
はあ……とため息をつく私の横で、琴美がスマホを取り出して、電話をかけはじめた。
「すいません、琴美です。お嬢さんは私のほうで間違いなくお守りしますので。ええ、ご心配でしたら護衛の方をお願いします。今から駅前に買い物に行きます」
琴美はサラサラと言う。
そして電話を切った。
「好きにするなら、好きにするだけのことを報告しないと」
「……琴美がお金持ちになったら良かったね。私は本当に向いてないよ……」
「桐子は桐子のままでいいのよ。さ、小豆あるかなー」
「赤飯あんまり好きじゃない……」
「じゃあ豆ご飯にする?」
「丸美屋の炊き込みご飯がいい……」
「なんであれがなの」
「美味しいから」
今だと炊き込みご飯をお手伝いさんが一から作ってくれるけど、私はどうしても丸美屋の炊き込みご飯が好きなのだ。
「じゃあ炊き込みご飯と、鯖の竜田揚げ」
「カレー風味!」
「給食にあったやつね、オッケー」
私たちは駅前のスーパーに向かった。
薔薇苑アイスクリーム株式会社は今業績が上向きで、琴美のお父さんもお母さんも帰りが遅い。
琴美はいつも家族の分の食事を作っている。
私はそんな琴美と料理をするのが大好きだ。
「ぬか漬け元気?」
「毎日混ぜてるわよ」
「良かったー」
私が前の家で作っていたぬか漬けは、琴美に任せた。
だってお父さんが薔薇苑家の娘がぬか漬け混ぜるな!って。
「ぬか漬けに失礼だよねえ……」
「ぬか欲しさに玄米まで始めちゃったわよ」
琴美が苦笑する。
「えへへ」
私は琴美の腕に自分の腕を絡ませた。
明日のことは分からないけど、琴美が一緒に鳳桜学院に来てくれて良かった。
それだけはお父さんに感謝している。
「桐子ちゃん、学院はどう?」
琴美のお兄ちゃん竜二さんは、竜田揚げを一口食べて言った。
私はずっと琴美と一緒に遊んでいたので、竜二さんのこともよく知っている。
家族のお出かけに混ぜてもらった事も多くて、一緒のテントで眠ったこともある。
小学校の時は淡い恋心を持ったこともあり、竜二さんの前では可愛い子で居たい! という思いが強い。
「普通に楽しいです、ええ、鳳桜学院最高です」
私はニッコリと微笑んだ。
「初日からお蝶婦人に睨まれて、隣の子には水かけられて、朝陽さまにデコチューされて、そりゃ楽しいよね」
琴美が羅列する。
「あわわわわわ、ぶちまけないで!」
「あはは、何だか楽しそうで良かったよ」
竜二さんはご飯粒を一粒も残さず、丁寧に食べた。
ピカピカに光ったお茶碗が美しくて、私もマネしてお茶碗の中に残ったご飯粒を食べた。
尊敬できる人が近くにいるのは、良いなあ……と思う。
前はお父さんを尊敬してたけど……最近は微妙。
多角経営とか言い出して、色んな人が家に来てる。
破綻して前みたいに団地暮らしに戻るのは良いけど、借金抱えるのは止めてほしい。