本の迷路と、風の悪戯、だから触れた
「さすがにジャージで帰れないわ」
私は図書館の一番奥に隠れていた。
鳳桜学院の図書館の蔵書数、五百万冊! 巨大な建物すべてが本で埋まっている。
ここは漫画もかなりの数があって、正直ここで暮らせる……。
私は屋上にあるテラスに何冊か本を持ち込み、デッキに制服を干していた。
あと数時間で乾きそう。もう開き直って本を読んで待つことにした。
我が家にもお手伝いさんが常駐することになり、頼めば車もくるけれど、なぜ制服が濡れたのか説明するのが面倒だし、お父さんに心配されそう。
安心して送り出しているであろう金持ち学校で水かけられた!……は心中穏やかじゃないだろう。
「私も残るよ」
と言ってくれた琴美は、先に帰って貰った。
まだ引っ越しの片付けが終わってないと知っていた。
本を読みながら、美しく整えられている緑豊かなデッキを見て、絵を書く。
正直ここにポッキーと午後の紅茶無糖があれば、それで良いな。
また水かけられたらイヤだから、ここでお昼を食べるのも悪くない。
六階立ての巨大図書館の屋上には、誰も上ってこない。
それにここは正直かなり分かりにくい場所だ。
階段は非常階段のような細くて暗く、その先にこんな屋上があると誰も思えない。
まあ私は迷子になって偶然見つけたんだけど。
私は持って来た本を開く。
芥川龍之介と夏目漱石の手紙をメインに扱った本だ。
ずっと読みたかったけど、本自体が五千円もするから諦めていた。
まあ今から買えるけど、資料本は読んでメモしたほうが脳内に入る(当社比)。
二人は短い間師弟関係にあり、手紙をやりとりしていた。その内容がまたBLで!
なんで芥川龍之介と夏目漱石のBL本がないの?! と私は叫んだほどだ。
ないなら仕方ない。書くだけだ!!
「蜘蛛の糸おおおおお~~!」
って超能力決めたい。それは別の作品だね。
ほら見てよ、ここ……先生からお手紙が返ってこなくても、私は気にしない。手紙を書くことが私の幸せですから……て、アカン、良材料すぎる。
私は手紙のやりとりと読みながら、ノートにメモを続ける。
やっぱり手紙形式のBLが正当だと思うんだよ。一度だけの逢瀬……婚約者……別れ!
「おおお……」
妄想が唸る。私は興奮してデッキに飛び出した。五月晴れで気持ちが良い。
私はベンチに座った。
ああ、誰もいない空間って、気持ちいいな。
最近家はでかくなったけど、常に誰かが居て、ちょっと落ち着かない。
人に手伝って貰わないと掃除しきれないような大きな家は必要ない。
前みたいな小さな部屋で良いのになあ……と思ってしまう。
お母さんも何か習い事しなさいよって、今までピアノしたい! バレエしたいって言ったのに無視してたくせに今更?
パラパラと本を読む。私は太陽の下で読む本も大好きだ。
「我々のボヘミアンライフを、紹介します……ってボヘミアンライフって何?」
ポケットに入れていたスマホで調べる。英語例文のサイトがひっかかる。
「ボヘミアンに特有の行い……? 【ボヘミアン・ガール】を見に連れて行ってくれた。最後は映画の名前じゃないか!」
全く分からない。それがボヘミアンライフ。
何か私の脳内でアコギ持った人が海辺で歌い始めたけど、それはボサノヴァか。
「夏目漱石が寝間着でゴロゴロって……そんなこと報告する必要が?」
私も常に寝間着でゴロゴロしてます。人に言えるか?
それを人に言うのがBL……。
「イイネ!」
叫んで立てた親指の向こう側。
朝陽さまが立っていた。
「ええええええええ」
私は叫ぶ。
私の姿はジャージ姿で、片手には本を持っていて、BL叫んでサムアップ。
状態は完全に病気だ。
「く……くくく……あははははは! 見つかっちゃったよ、面白かったのに」
朝陽さまは口元を押さえて、丸まって笑い出した。
目に涙を浮かべて笑って居る朝陽さま……すごく可愛い……じゃなくて!
「あの、いつからそこに……」
「最初から。薔薇苑さんが上がってくる前から居たよ」
「ええええええ……」
全然気が付かなかった!
「いや、本当に面白かった。こんなに笑ったのは久しぶりだ」
朝陽さまは目元の涙を指先で押さえる。
「朝陽さまは、ここで何を……?」
「ここで待つクセがあるんだ。もう誰も来ないと分かってるけど、来ちゃうんだ」
待ち合わせ? そうなると私は恐ろしいほどの邪魔者だ。
「あの……私、帰ります、お邪魔して本当にすいませんでした」
私はクルリと踵を返した。
一秒でも早くここから帰りたい。
床に置いてあったノートを掴もうとした瞬間に強風がふいて、ノートが飛ばされる。
そして朝陽さまのほうに飛んでいく。
「ああああああ!」
「はい」
叫ぶより早く朝陽さまが私のノートを取ってくれた。
「どうぞ」
開かれた面に書かれた芥川龍之介と夏目漱石のBLという文字。
……死ねる。今なら軽く死ねる。
「あは、あはは」
私はから笑いした。お父さんに頼んで転校させてもらおう……西工業が私を待っている……。
脳内を絶望列車が走り抜ける。メーテルー……機械の体より、機械の心が欲しいよーー。
「芥川龍之介と夏目漱石の手紙のやりとり、面白いよね」
私の予想に反して、朝陽さまは普通に言う。
「え……?」
完全に拍子抜けだ。
「やはり薔薇苑さんは面白い。華宮の棘を抜き、海田を成敗して、御木元を笑わせる」
「いやいや」
それは色々語弊がある。
「はい」
差し出されたノートを受け取ろうと手を出し出すと、目の前に朝陽さまが居た。
太陽光に満たされた飴色の髪の毛は、黄金のように光っている。
丸い瞳は、私を射貫いて、動くという選択肢を奪い去る。
朝陽さまは、持っていたノートで私のアゴを持ち上げた。
そして優しく穏やかで、触れるか、触れないか、それでも確かに正確に触れて、私のおでこにキスをした。
測ったような正確さで、私から五センチ唇だけ離れて、言った。
「僕は君を気に入ったよ」
ポンと私の胸元にノートを押しつけて、朝陽さまは階段を降りていった。
瞬時に反応できなくて、押しつけられたノートが足下に落ちる。
また風が吹いて、ノートが飛ばされようになり、慌てて座り込んで押さえ込む。
太ももの下で、ノートが現実を知らせるようにバタバタと暴れる。
掴まれられた鳥のように強く。
朝陽さまに、でこチューされた。
「ああああ……」
私は床に転がった。
キャパオーバー……。