私に本気にさせると怖いんだぞ?
「私もなんかかき込めば良かった」
琴美は眉毛をあげて冷ややかな顔で私を見る。
「……本気で思ってる?」
私は琴美にぴったりくっついた状態で、もそもそと食堂へ向かう。
朝陽さまに指名されてから、私はクラス中の女子から睨まれている。
立ち上がれば避けられて、動けば逃げられる。
琴美が同じクラスじゃなかったらルーラ唱えて逃げ出したレベル。
「良かったじゃない、願い通りよ?」
「ここまで睨まれることを想定してなかったなー、甘かったなー」
私たちはお弁当を持って食堂に入った。
鳳桜学院の食堂は、私の中では食堂ではない。
食堂ってのは、入り口に食券があって、それをもって列に並んで「おばちゃんA定食お願い」「はいよ(指入り)」てのがお約束。
でもここの食堂は席に座るとウエイトレスさんが注文を聞きにくるし、なによりオープンキッチン!
食堂の真ん中の空間にキッチンがあって、そこで白服に黒エプロン来たシェフさんたちがご飯を作っているのだ。
こんなの食堂じゃなくて、料理の鉄人だ! 私は岸朝子。「おいしゅうございました」、いつも一人で言ってる。
私は自分が注文した品が作られるのを見たくて、お弁当を断って、ここで注文している。
「ご注文はお決まりですか?」
最近気に入っているオープンキッチンがよく見える席に琴美と座るとウエイトレスさんが聞きに来てくれた。
「回鍋肉をください!」
私は言った。
「また脂っこいものを……」
琴美は小さなお弁当箱を広げた。そしてウエイトレスさんに注文する。
「私はお茶だけで良いです」
「承りました」
ウエイトレスさんは端末を入力する。
するとオープンキッチンにあるウインドウに私の番号と注文が入る。
「おおおお……」
私は鑑賞に入る。イタリアンに日本食に中華……メニューが豊富でたまらない。
何より作ってるのを見るのは、中華が一番面白い。
「あ、あれだよ、きっと私の回鍋肉!」
「またすごいブロック肉だね」
琴美はお弁当箱から、小さな肉団子を出して食べる。
「……そんな少しのお弁当で足りるの?」
「ダイエットはどうした」
「甜麺醤入りました~」
私は無視して料理ショーに戻る。
回鍋肉はその名の通り、鍋を回転させる……二度炒めるのだ。まずはお肉……そしてキャベツ……おお、中に舞うお肉とキャベツの共演や~~。
「……お肉ちゃんとキャベツちゃんのBLはどうかな」
「絡まっておいしい~のって、桐子、まだBLラジオ聞いてるの?」
「え? 琴美は聞いてないの?」
「さすがにキツくて」
「えー、そうかなあ。私も読まれたいよー」
BLラジオとは、読者が投稿したBL小説を有名声優さんが読み上げてくれる番組で、私は毎週録音してスマホに入れている。
内容は超絶にアホだけど、もう習慣になっている。
「お待たせしました」
私の目の前に回鍋肉が置かれる。一緒に中華スープと白米に揚げワンタン。
「いただきます!」
私は食べ始めた。カリカリな揚げワンタンに、ハリハリしたキャベツに甜麺醤が絡んだお肉……最高ー!
もくもく食べていると、背中に何かがドン……とぶつかった。
その瞬間にじわりと水を感じる。
「え?」
振向くと制服がベッショリと濡れていた。
「あら、ごめんなさい。わざとじゃないのよ」
見ると同じクラスで隣の席、悪役令嬢こと、海田さんだった。からっぽのコップを持ってニッコリと微笑んで居る。
間違いなくわざとだろ。
私がハンカチを出すより早くウエイトレスさんがタオルを持って来てくれた。
私の周りの席の子達が、ザワリ……となる。
「手が滑っただけなの。ごめんなさいね」
私がどうしたものか……と思うより早く琴美が立ち上がったので、こりゃケンカになる! と思って二人の間に立った。
「オッケー、手は滑るよね、たまに。大丈夫、五時間目は体育だよ? 先に体操服に着替えるから問題ないよ!」
私は二人の間に立って宥めた。
笑いながら立ち去った海田さんに手を振り、怒りですごい形相で海田さんを見ている琴美を座らせた。
「まあまあ、怒っても仕方ないよ」
「舐められてるよ、桐子」
それは分かってるけど、ここで手が滑った、滑ってない戦争をしても仕方ない。
私はまず残った回鍋肉を食べた。制服が濡れて冷たい。でも美味しい。
「おいしゅうございました……」
小声で言って両手を合わせて、覚悟を決めた。
あっちがそういう態度なら、私にも考えがあるよ、令嬢さん。
ウエイトレスさんからタオルを借りて制服を軽く拭き、先に教室に戻った。
「体操服……体操服……と」
私は鞄から荷物をひっくり返して体操服を出す。
すると体操服が机から落ちた。
「はい」
それを拾ってくれたのは、御木元さまだった。
「ありがとうございます!」
私は叫ぶ。
「海田さんにやられてたね」
御木元さんは、私の体操服を持ったまま話し始めた。
「誰でも手は滑りますから」
「そうかな」
「そういうことで!」
私は、はやく体操服を渡してくれ! というジェスチャーをする。朝陽さまだけじゃなくて、御木元さまとも仲良くしていたらドラム缶で水をかけられそうだ。
「体操服を持ってる日で良かったね」
「はい!」
私は御木元さまが持っている私の体操服を受け取ろうと手を伸した。
すると、クン……と御木元さまが周辺に匂いを嗅いだ。
「……この匂い」
そう呟いて、私の体操服の匂いも嗅いだ。
「へっ?!」
私は叫ぶ。
「いや、変わった匂いがするから」
「ああ、私喘息で漢方飲んでるので、それが体臭になってるって琴美も言ってますから、それかもしれません!」
そう叫んで御木元さまの手元から体操服を掴んで教室を飛び出した。
心臓をつかまれたようにドキドキしていた。
体操服の匂い嗅がれたのなんて、初めてだよ!
更衣室に飛び込んで濡れた制服を脱ぐ。
水は下着まで濡らしていた。
「くそー……」
私はタオルでそれを拭く。
さすがに下着の替えはない。
私を怒らせると怖いのだ……!
制服をハンガーにかけて、風があたる場所にかける。
フワフワと制服が揺れる。
こんなに可愛い制服に何をするんだよ!
体育の授業が始まった。
私は途中でお手洗いに……と言い、教室に戻った。
水をかけられて黙っているわけに行かない。
私はHRの時に海田さんのスマホのパスワードを見ていた。
指で丸をたどる物だったが、非常に単純な動きで、何度も触っていたので覚えてしまった。
それに海田の【K】文字移動だ。さすがに忘れない。
教室に戻って海田さんの机の中からスマホを出して、サササと触る。
そしてすぐに体育の授業に戻った。
六時間目の授業中、突然その音は始まった。
「君がはじめた催眠術に、効果があるなんて、僕は思ってない。でも、それを信じてるふりをしたんだ。だってこの時間なら、僕は自由に君を愛すことができる」
「10.9.8.7.6.5.4.3.2.1……ほら、お前はもう俺の催眠にかかった。そう言って匠は俺を抱きしめた」
「もちろん僕は催眠なんてかかってない。でも、もうじゃないと、匠は僕を抱いてくれないんだろ?」
「良い子だな、彰は催眠にかかってる。ほら、足を開いてみせてごらん……」
「……何この音? どこから聞こえてきてるの?」
クラス中がザワザワし始める。
音はまだ止まらずにながれ続けている。
「匠が僕にかけた催眠は僕のズボンをただの布にしてしまう。そうだ、これは催眠なんだ……だから僕はこの快楽に溺れても良い」
「ん……彰は催眠にかかりやすいのかな。どうしたんだ、ここを、こんなにして……」
カン……とヒステリックな女教師はチョークを置いた。
「誰ですか、これを流しているのは。止めなさい」
どこから? 皆がなんとなく耳を澄ます。
更に静かになった教室にBLラジオが流れ続ける。
音源……それは海田さんの机だ。
「え? え? 私のスマホ?」
海田さんが慌て出す。
机からスマホを出すと、海田さんのスマホにアラームがかけられていて、ひたすらBLラジオ(君と僕のガチ受け催眠ライフ)を流している。
「匠……もっと……もっと僕に催眠をかけてくれ……俺はもう戻りたくない……催眠がない日々なんて考えられない」
「バカだな、俺はお前をみた瞬間から、催眠にかかってるんだぜ? 匠はそういって、俺を抱きしめた。ああ、もう何も要らない」
机から出されたスマホは爆音でラジオを流す。
「なにこれ!!」
海田さんはスマホの電源を落とす。
「海田さん、あとで職員室へ」
英語教師は、海田さんを睨んだ。
「私じゃないです!」
「あとで、職員室へ」
英語教師はピシャリと言い切った。
クラス中がクスクス笑いながら海田さんを見ている。
私は隣でそしらぬ顔だ。
「……あなたなの? こんなことしたの」
海田さんが私に向かって叫ぶ。
「手が滑ってアラーム音を間違えたんじゃないですか?」
私はジャージ姿のまま言う。
制服はまだ乾いてない。
「……あはははははは!」
後ろの席で琴美が笑う。
「くく……」
離れた席で御木元さまも笑っている。
その笑いはクラス中に広がった。
「私じゃない! 私じゃないんですから!」
海田さんが叫ぶ声だけが響く。
こんな所で役に立つなんて、やっぱりBLラジオは最高だ。