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香りに包まれた世界で

「うおーん……!」

「うわ、マスカラ全部流れ落ちてヘビメタバンドの人みたい」


 学校が夏休みに入っていて良かった。

 私は琴実を呼び出して、延々と愚痴った。

 夏の夜に半月が浮かんで、七月にしては涼しい風が吹き抜ける。

 私は好物の歌舞伎揚げとポッキー、ダイエットに禁じられた二大ヒーローを交互に食べながら愚痴り続けた。


「蓬莱の子を部屋に上げたって!」

「入り口までかも知れないじゃない」

「私という婚約者が居ながら?」

「桐子は頑なに行かなかったじゃない」

「今さら香水って……嫌がらせなの?」

「知りたかったんでしょ」

「ラインもメールも、全く来ない!」

「前は電源落としてたくせに」

「あんなに好きだって言って、あんなに抱きしめて、最後になにあの態度。変じゃない!」

「だからさあ、答え、自分で出してるじゃない」

「え?」

「変なのよ」


 琴実はソファーに転がって月を見ながら言う。

 風に揺らされたカーテンがそよそよ踊る。

 琴実は続ける。


「なんど聞いても違和感がある。言い訳しなさすぎじゃない? 普通自分の意思を言うよ」

「そんなの分からないよ……」

「屋上で桐子と朝陽さま見てたけど、本当に嫉妬で薔薇のサラダ燃やせるほど、良い空気だったよ」

「そ……そんなにイライラしてたんだ……」

「机の下で手を繋ぐって! どこの時代の婚約会見だよ」

「あれ、バレてた?」

「バレバレだわ、むしろ見えてたわ、いや、見せてた? そうなの?!」

 

 琴実は珍しく興奮しながらソファーをバンバン叩く。

 先生と色々あってから、琴実は恋愛関係で私に手厳しい。

 私はポッキーを口に運んで、ポキリと折りカリカリと食べる。

 

「そうなんだよね……ほんの数日前の朝陽さまと、昨日の朝陽さま、別人みたい」

「どっちを信じるのよ?」

「……どっちも」

「なにそれ」


 目の前に提示された情報を、自分の主観だけで歪めて見るわけにいかない。

 どっちも朝陽さまだ。

 私を抱きしめる朝陽さまも、私を突き放した朝陽さまも、どっちも。

 片方の情報に寄ると、どっちも信じられなくなりそうで、無理に真ん中に立つ。

 

「でもさあ……何かあったなら、何で言ってくれないのかなあ……」

「世の中言えないこともあるよ」

「部屋に蓬莱の子上げたらさあ……言えばいいのになあ……」

「またそれを言う。ここに来てから五回は聞いたよ。結局それじゃん。何よりそれに怒ってる」


 私はどんどんイライラしてきた。

 そうだ、婚約破棄も、煮え切らない態度の朝陽さまも、もうどうでもいい。

 とにかく、私という婚約者がいた時点で、他の女の子を部屋にあげた事が耐えられない。


「すごくイヤだー!」

「なんで行かなかったの? 初日から誘われてたじゃない」

「深入りしたく無かったの」

「光源氏計画しちゃうから。顔も好みで、中身も好みの育てちゃって」

「あげく放流してね」

「中国の令嬢に美味しく頂かれる……と」

「うおーーーん」

「空っぽ王子のまま放っておけば良かったのに」

「別に光源氏計画するつもりなんて無かったよ。一緒に出掛けて、遊んだだけ。正直本当にそうなんだよね」


 朝陽さまの笑顔を思い出す。

 私といることで、ほんの少しでも楽しかったなら、それで良いと納得するしかない。



 琴実が帰った、夏の夜。

 薔薇苑の屋敷は無駄に緑に囲まれているので、虫の声が結構聞こえる。

 防犯上窓を開けるのは止めて下さいと言われいるが、私はクーラーが苦手で、なるべく窓を開けたい。

 空気が新鮮で気持ち良い。


 眠れなくてクローゼットの奥に座り込んで、スマホを見ている。

 朝陽さまから、メールも、ラインも来ない。

 なにか言い訳の一つでもしてくれたら……と思うけど、私は言い訳する男なんて嫌いだと思い直す。

 横に木箱がある。

 桐子へ、と丁寧な毛筆で書かれた文字をなぞる。

 これは朝陽さまが書いたのだろうか。

 その文字を指先で撫でる。

 中身を出す気にはなれなくて、ただ膝の上に乗せていた。

 箱から出してないのに、そこから朝陽さまの匂いがして、私は箱を抱えるようにして泣いた。

 好きになったら傷つくのは桐子だよ。

 お父さんの言葉が脳裏にこびりついている。

 ……契約婚約だったのだ。

 薔薇苑アイスは一年で飛躍的に業績を伸した。

 目的は果たしたじゃないか。

「だったら、仕方ないか……」

 私は呟く。



「キャーーーーーー! 旦那さま!!」


 

 一階から悲鳴が響いて、私はクローゼットから出た。

「何?」

 隣の部屋から弟の伸吾も顔を出した。

 その服装が、紫色のガウンで、私は膝から崩れ落ちる。

「なに着てるの、あんた」

「お姉ちゃんこそ、その小豆色のジャージ、泉中学校のヤツだよね。アホなの?」

 私たちはにらみ合いながら一階へ向かった。

 伸吾は完全に鳳桜学院中等部を味わっていて、女の子と付き合いまくり、お金を使いまくり。

 お金持ち生活に完全に馴染んでいる。

 この前も外で会ったら、女の子ふたり連れてて、リアルに舌打ちしてしまった。

 昔の伸吾のが可愛かった……。


「お父さーん、大丈夫なの?」


 飲み過ぎて転んだとか、そんな話だろうと思いながら暢気に一階へ向かうと、顔面蒼白のお手伝いさんがいた。

 顔色を見て、私はただ事じゃないと理解する。

「お父さんは?」

「お風呂から出てこられたはずなのですが、いつまでもお部屋に来られないので、見に行ったら……」

 私は脱衣所に向かう。

 するとそこには裸で床に座り込んで、胸を押さえているお父さんが居た。

「お父さん、大丈夫?!」

「……胸が……」

 お父さんは真っ白になった顔色で言う。

「伸吾、今すぐ救急車。心疾患の疑いありって言うの。薔薇苑の社長だとも言いなさい」

「分かった」

 伸吾が走って行く。

「お父さん! お父さん!!」

 後ろで駆けつけてきたお母さんが叫んでいる。

 この人はパニックになると使えない。

「紀元さん、お母さんを落ち着かせて。呼吸音が聞こえない」

「わかりました」

 紀元さんがお母さんを引きずっていく。

「AEDあったでしょ、持って来て」

「お父さん呼吸止まってるの?!」

 お母さんが後ろから叫ぶ。

「うるさい!! とにかく持って来い!!」

 私は叫ぶ。

 濡れた体を拭く。

 お手伝いさんが持って来たAEDを準備させておく。

 なにかあったら、すぐに使えるように。

「お父さん、体、横にしようね」

「ああ……」

 私は体を横にむけて、回復体位を取らせる。

 そしてお手伝いさんに指示を出す。

「お父さんは毎日血圧測ってるよね、記録準備しておいて。いつも飲んでる薬も準備」

 遠くから救急車の音がする。

「今すぐ全てのドアを開けて。玄関からここまでストレッチャーで入れるようにして」

「はい」

「あと毛布」

「はい!」

 お手伝いさんが全員散らばる。

「お父さん、病院いこうね」 

 私は耳元で言う。

 お父さんは静かに頷いた。


「やはり冠動脈疾患を疑いますが、今のところ命に別状はないでしょう」

 お医者さんに言われたのは、それから四時間後だった。

 それを聞いてお母さんも伸吾も泣き崩れたが、私はまだ納得できない。

「後遺症はどうですか」

「もっと詳しい検査が必要となりますので、ここではお答えしかねます」

 まあ救急医だもんね。

 明日以降心臓の専門医の検査が始まるはず。

「……ありがとうございました」

 私は深く頭を下げる。

 眠さと疲れでクラクラしたが、そのままICUを覗く。

 ずっと見ていると、お父さんがほんの少し動いた。

 生きてる。

 私はベンチに座り込んで、ため息をついた。


 お父さんは次の日には意識を取り戻した。

「いやー、死んじゃうかと思ったね」

「お父さん……冗談やめて」

 私は枕元で涙目になって言った。

 お父さんが私を抱きしめる。

「桐子が全てやってくれたらしいじゃないか。ありがとう。今生きてるのは、桐子のおかげだ」

 私は我慢できなくなり、叫んだ。

「お父さんーーー、妄想サイトに倒れるなんて冗談で書いてごめんなさいいい」

 私は声をあげて泣いた。

 お父さんは笑いながら私の話を聞いてくれた。

「そんなサイトに書いたから倒れるって……あり得ないだろ」

 笑っていたお父さんも、宝くじからラーメンアイス、鳳桜学院から朝陽さまのことまで書いていたことを言うと黙った。

「最後にはなんて書いたんだ?」

「……話はクライマックスへ」

「なんだい、その、ジャンプの打ち切り漫画みたいな書き方は」

「飽きちゃったの、あの時は!」

 私は頭を抱える。

 その頭をお父さんが優しく包む。

「怖かったね、ごめんね」

 お父さんは私の頭を優しく撫でた。


 

 お母さんが今晩泊ると言うので、私と伸吾は車で帰ることにした。

 ポン……と音がして、ラインが来た。

 相手は……松園朝陽。

 私は震える指を動かして、画面をタップした。

 内容は

【元気?】

 その一言だった。

 私は長く迷ったすえに返した。


【元気ですよ】

 少し待ったが、返事はない。


 家に帰ると、クローゼットにもぐりこみ、木箱を出し、箱を開けた。

 一気に香る朝陽さまの香りに、私は膝を抱えて丸まった。

 疲れた。

 脳内が痺れるくらい疲れていた。

 香水をプッシュする勇気はない。

 瓶に顔を近づけて匂いを嗅ぐ。

 私は小さく吹き出して笑う。


「……この匂いじゃない」


 正確には、香水はこれで合ってる。

 でも、私が好きだったのは、この香水に、朝陽さまの匂いが混ざったものだったのだ。

 私が好きだったのは、朝陽さまだったのだ。

 どうしようもなく「大丈夫だよ」と抱きしめてほしいと思う。

 全然元気じゃない。

 まったくもって元気じゃない。

 静かに目から涙が流れて止まらない。

 でも明日も病院にいかないと、お父さんが心配する。

 私は冷蔵庫から冷やしタオルを持ってきて、目の上に乗せたまま、泣いた。

 そして呟く。


 大丈夫、勝手に好きでも、世界はきっと許してくれる。



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