お蝶夫人の巻き髪と、妄想の国で私は生きる
「力が続いてるみたいよ?」
クラス分け表を見て、私の耳元で琴美が言う。
1-5組に松園朝陽と、薔薇苑桐子……そして本田琴美の名前も見えた。
「ああ琴美さま、よろしくお願いします……」
私は抱きつく……というかすがりつく。朝陽さまより、琴美と同じクラスであることが嬉しい。
「面白くなってきたじゃない」
私の頭上で琴美はニヤリと微笑んだ。
「分かってるけど、琴美、楽しんでるよね? 完全に人ごとだよね」
「人ごとに私を巻き込んだのは、薔薇苑家じゃない」
琴美は言い切った。
「もっと友達のことを心配するもんじゃないのかーー」
私は琴美の肩を掴んでガタガタと揺らす。
「勝手にかき込んだのは桐子でしょ。バカじゃないの、あんな所に個人情報書き込んで」
「もう消えてるから! 個人情報もへったくれも、全部消えてるから! 人生がNOT FOUND!」
「もう本当に見つけられないの?」
「あれ専用サーバーの可能性があるんだよね、だったらもう落とされたら最後なんだよー」
「さすがオタクは詳しいね。私はよく分からないわ」
琴美は肩をすくめる。
「サーバーごと消したかも。ドメイン変更してる可能性もあるけど、それなら検索で引っかかるし」
私はあの後も調べ続けていたが、サイトは見つからない。
「もう書き込めないってこと?」
「無理そうだよー」
妄想サイトにもう一度書き直せば、元に戻るんじゃないか……という私の淡い思いがあったけど、もう無理らしい。
「残念なの? 嬉しいの?」
琴美はニヤニヤしながら私を見る。
「残念五割、嬉しい五割? いや、残念六割、嬉しい六割」
「増えてるけど」
「ああー……どうなるんだろ、見てよ教室の中。セレブっぽいひとばかりだよ」
「桐子もアイス成金じゃない」
「宝くじが源泉でーす」
「ちょっと、そこを退いてくださる?」
私たちがふざけていた後ろに、髪の毛がクルックルに巻かれた人が立っていた。
サイドから持ち上げられた髪の毛は大きなリボンで縛られている。
琴美と同じくらい高い身長に陶器のような肌で、モデルのような頭身。
切れ長の目に恐ろしく長いまつげ。同じ制服を着てるのに、別世界の人みたい……っていうか、これはお蝶夫人だ。
「ごめんなさい」
邪魔ですいませんお蝶夫人。気分は完全に岡ひろみ。私はすっと入り口から退いた。
その人は私のほうをチラリと一瞥して
「鳳桜学院の質も落ちたものね」
と呟いて、教室内に入って行った。
私は琴美にしがみついたまま、プルプルと震えた。
「……お蝶夫人だ……本物のお蝶夫人だね……ああ……私は岡ひろみ……今すぐ特訓始めないと……」
聞こえないように小さな声で言う。
「品がないお蝶夫人だね」
琴美は声を小さくしないで普通の声の大きさで言った。
教室にいる人たちがザワつく。
琴美とお蝶夫人が視線でバチバチと戦い始めた。
おおおお……こうなってくると琴美は尾崎さんかな?! いや、あれは恋仲だし(一番好きなカップリングだ)、いっそ琴美が宗像コーチ?!
「コーチィ……死なないでえ……」
私にはもう琴美が宗像コーチに見える。
「また妄想病が始まった」
琴美が私を睨む。
「私は鳳桜学院初等部から在学しているエリートよ。中途入学の庶民が何か用かしら」
「エリート? なにそれ。同じクラスメイトでしょ」
エリートとか本当に言う人が居るんだ。庶民! ふぉおお……本当に少女漫画みたいだ。
高飛車なお蝶夫人がリアルにテニスを! ……でももうテニス漫画は食い尽くし感があるんな。テ○スの王子様はそろそろ月を転がしてラリー始めそうだし、勝てる気がしない。
今ならやっぱり魔法使いじゃない? お蝶夫人がラケットに跨がって空を飛ぶ!
「なんだそりゃ」
自分で言いながら楽しくなってきた。私の妄想脳がフル回転し始める。ああ気持ちいい、この感じ!
私は鞄から妄想ノートを取り出してメモを書き始めた。
思いついたことはその場で書かないと数秒以内に消える。これは経験で知っている。
そしていつまでも思い出せない。良いこと思いついたのになあ……って一日悲しい気分になる。
だから私は思いついたら、即書く!
琴美とお蝶夫人は、まだ戦っているが、私はメモに夢中だ。
「格が違う。それだけは分かって頂けますか」
「クラスメイトに格なんて関係無い」
「貴女、ご実家は?」
「普通の会社員ですけど」
「はっ……」
「何か?」
「私は華宮麗香。華宮財閥の一人娘です」
右手に持っていたボキリと鉛筆の芯が折れた。
「麗香……本当にお蝶夫人じゃないですか」
私は我慢できずに声に出して呟いた。
本当に麗香なんて名前で巻き髪の人が存在するなんて! 鳳桜学院ハンパない。
お母さんは狙ってつけたの? うちの娘はお蝶夫人にしようって? 髪の毛巻こうって? 毎日巻こうって?
やっぱりミラカールかな。髪の毛が飲み込まれてシュバババババって巻き髪出てくるやつ。あ、あれはカールか……違うな。
魔法少女のお母さんは……やっぱり伝説の魔女でしょ。
そういえばお蝶夫人の両親って出てきたっけ。着物姿で一瞬出てきた? 影が薄かったような……。
「着物……着物姿の魔法使いも悪くない……」
私は着物姿でラケットに座る絵を書く。
着物って全然上手に書けない!! なんだこのドリフの温泉コントみたいな絵は。
「さっきから何を書いてらっしゃるの?」
顔を上げると華宮さんが私のメモ帳を睨んでいた。
その横から琴美が覗き込む。
「ちょっと、着物の襟合わせ逆なんだけど」
「え? こうじゃなかった?」
「これじゃ死人でしょ」
私の鉛筆を奪って琴美がサラサラと絵を書き出す。
「超上手い……そうそう、そんな感じ。麗香さんみたいに美しい感じで、きらびやかな巻き髪で、着物で魔法使いなの!」
「何の話ですの……?」
麗香さんは完全に意味不明といった表情で私のノートを覗き込んでいる。
その間にも琴美は完全に絵を書ききった。
「どう?」
「麗香さんみたいに髪の毛にもっとボリュームあったほうが可愛い!」
「……可愛い」
麗香さんがキョトンとする。
「え、麗香さんすごく可愛いじゃないですか。見て下さい、琴美の絵!」
私は琴美が書いた絵を麗香さんに見せた。
「これは……私ですか?」
麗香さんは絵を見て自分を指さす。
「そう! ちょっと待ってねー、設定書き足すから!」
私は隙間にどんどんメモを書く。
「お母さんは伝説の魔女。お父さんは前国王。しかし過ちを犯して国外追放……麗香さんには妹がいて、一家をはめた現国王に復讐を誓う……」
「何なんですの、この子」
「妄想病なんです。しかも絵がヘタクソ」
「伸びしろがあるって言って!」
私は琴美をギッと睨む。
「あははは」
私の真後ろから声が振ってくる。
「華宮が棘を抜かれるなんて、初めて見たな」
キャーーーという悲鳴が響く。
私も振向くと、そこに松園朝陽が立っていた。