従者越智と、朝陽のランチ
朝陽の従者でありシェフの、越智視線となっています
「越智、これは何だ」
「小麦粉です、朝陽さま」
「越智、これは何に使う」
「チーズをすり下ろすために使用します」
「越智、なんでこんなに包丁があるんだ」
「使用用途が異なります」
朝陽さまは台所を右に左に移動しながら、私に尋ねる。
私は朝陽さまについて移動しながら、ひとつ、ひとつ、質問に答える。
こんな時間は、朝陽さまの専属従者になってから14年、初めてのことだ。
「まったく知らないものばかりだ」
「なんでもお聞きください」
私はこれ以上ない微笑みを作り、朝陽さまを見た。
私、越智は松園朝陽さまの従者であり、専属のシェフだ。
我が家、越智家は長年松園家と共に生きる従者として存在していて、私の父は総帥の専属であり、兄は漣さま、私は朝陽さまの従者を務めている。
私が朝陽さまに出会ったのは、朝陽さまが3歳の時。
私は18才になった日だった。
朝陽さまの専属となり挨拶に向かうと、凛子さまと一緒に松園の庭で泥だらけになって遊んでいた。
「本日から朝陽さまの従者になります。越智と申します」
「よし、泥ダンゴを作るのを手伝え!」
顔面が泥だらけのクシャクシャの笑顔で言われたので、私はまずお顔をふくお仕事から始めた。
いつも明るく楽しそうだった朝陽さまに影が見え始めたのは、凛子さまの病気が分かり、漣さまとお付き合いされるようになってからだ。
小学生高学年、遊び盛りだというのに朝陽さまは部屋で静かにされていることが増えた。
誰に心開くことも無く、ただ凛子さまのために絵を書いたり、凛子さまが読んでいる本を読んでみたりしていたが、漣さまとのご婚約が決まると、それさえもしなくなった。
中学生になると、毎週違う女性が部屋にいらっしゃり、私に紅茶とケーキを運ばせた。
誰とも接しない朝陽さまの変化を一瞬喜んだが、それは違っていた。
朝陽さまは誰にでも同じ紅茶とケーキを運ばせる。
つまり、誰にも興味を持たれない居ないのが分かった。
むしろ状況は悪化。自暴自棄といわれる状態だった。
状況が変わったのは、鳳桜学院に入学されて、薔薇苑桐子さまと出会われてからだ。
まず言葉に勢いが出て、部屋にいるのに独り言が増えた。
初めて桐子さまを部屋に呼んだ時は、全く落ち着き無く、部屋の中をグルグルと回っている姿が微笑ましくて、私は静かに見守った。
直後に桐子さまに腕をねじ上げられ、エレベーターを下りていってしまったので、準備していた朝食は食べて頂けなかったが、私は朝陽さまのあんな感情がある声を聞いたのは久しぶりで、兄にも連絡してしまったほどだ。
鳳桜学院の屋上で凛子さまと、朝陽さまと、桐子さまが食事をされているのを見て、私は確信した。
朝陽さまは変わる、と。
いつもは凛子さまの好物しか準備されない朝陽さまが「……薔薇苑は何が好きなんだろう」と私にお聞きになったのだ。
まだデータも無く、これといった情報を開示できなかったことを、私は従者として恥ずかしく思い、その後薔薇苑家に問い合わせ、桐子さまの好物を伺った。
その答えが「歌舞伎揚げと肉」だったので、多少困惑したが。
お肉がお好きなことが分かり、私は肉料理を中心にメニューを組んだ。
桐子さまは全ての食事を美味しい、美味しいといって食べてくださり、私は本当に嬉しかった。
なによりいつも小食な朝陽さまにも、沢山食べて頂けたことだ。
残念ながら、一番の好物だという歌舞伎揚げを出す勇気は、私には無かったが。
そして今日、朝陽さまは私に料理を教えてほしいとおっしゃっている。
「桐子がキャンプで料理する姿に感動した。俺も桐子と料理がしたい」
「野外での料理は、本当に手慣れてないと難しいですね。勝手が違います」
「鍋に入ったままのパンが、フカフカに焼けるんだ。どういう仕組みなんだ」
「ダッチオーブンという炭の中にいれて焼く鉄の鍋がありますが、それを使用されたのでしょうか」
「わからない。とにかくあんなに旨いパンを食べたことがない」
「精進します」
「いや、越智の焼くパンも旨い。今度桐子に食べさせよう」
「ありがとうございます」
朝陽さまは、新しく買ったエプロンをして台所に着ている。
桐子さまがキャンプでエプロンをしていたので、マネをしてご購入されたようだ。
「さあ、今日の昼飯はどうするんだ」
「では、基本から始めましょうか」
「よし、持って来い」
今回は単純にポークソテー良いのでないかと、上質な豚肉を準備した。
「まずはお肉の筋切りをします」
「よし、まかせろ」
朝陽さまは、私の説明を聞く前に包丁で豚肉を真ん中で切った。
「朝陽さま、それは、ぶつ切りでございます」
「切れといったじゃないか」
そんなやりとりも全て楽しく、私と朝陽さまは、冷製スープとポークソテーとサラダを、一時間半かけて作り上げた。
もちろん私ひとりで作れば20分掛からないが、必死に作業される朝陽さまが眩しくて、私の方が作業を中断してしまうほどだった。
朝陽さまは一口ポークソテーを食べて
「固い!」
と顔をクシャクシャにして笑われた。
その笑顔は、あの泥ダンゴを作っていた3歳の朝陽さまと、何も変わらぬ笑顔で。
一緒に食べようと促されて、私も頂いたが、感極まり、味など分からなかった。
でも、今まで食べたどのポークソテーより忘れられないものになった。
「料理は結構面白いな。キャンプ用品でも、造形が美しかった」
「軽さ、形共に、一番無駄がないものだと思われます」
私はコーヒーの準備に入る。
当然、桐子さまが作られたマグカップだ。
市販品と変わらぬ出来で、私は心底驚いた。
あの方は、何も縛られず、人生を謳歌している。
「コーヒーでございます」
「ああ、ありがとう」
そう言って朝陽さまは大事そうカップを両手で包んだ。
私ももっと料理を勉強しようと心に誓った。
朝陽さまと桐子さまが、笑顔で頂ける食事のために、その時間のために。




