誕生日を朝陽さまと
誕生日当日。
朝陽さまと過ごすと伝えたら、朝から薔薇風呂に入れられて、あの顔面アートを施してくれるメイクさんも呼ばれた。
服はどうしましょうか、と聞かれて私は黙り込んだ。
どこにいくのか、朝陽さまは教えてくれなかった。
「秘密だ」朝陽さまはニヤリと笑って言った。
いやいや、男って、女はサプライズが好きだと思ってますか?
それってすごく困るんですけど……。
私は衣装部屋で立ち尽くす。
普通の町デートだったらスカートにシンプルなシャツかなあ。
靴は歩きやすいほう良い?
いや、朝陽さまとデートで長く歩かされる気がしない。やっぱりヒール?
遠出する可能性もある。都内からデートって、私が想像できるのは、町をぷらぷら、公園ぷらぷらだけど、お金持ちはどこに行ってるの?
どうしよう、突然小笠原連れて行かれたら。あそこも東京だし、車は品川ナンバーだよ?
どうしよう突然北アルプスの穂高連峰に誘われたら。だって秘密って事は、なんでもありでしょう?
脳内はどんどん投げやりになっていく。
私はため息をついた。
「もう何でもいいです。良い感じに着せてください」
私は開き直った。
穂高連峰だったら、途中でピッケル買おう。
夢枕獏先生でも読み直そう……山の声を聞こう……。
時間通りに朝陽さまが乗った車が迎えに来た。
車から朝陽さまが降りてきて、出迎えに出たお父さんにお辞儀をした。
「本日はお嬢様をお借りします」
「あ、ああ。どうぞどうぞ」
お父さんは朝陽さまのキラキラ笑顔にお父さんは完全に圧倒されている。
車のドアを開けてくれる朝陽さまの服装を見る。
シンプルなズボンとシャツ、それに美しく磨かれた靴。
どうやら山登りでは無さそうだ。
私は無駄に安心して車に乗り込む。
よく考えたら、朝陽さまと同じ車に乗り込むのは初めてだった。
車の中は、朝陽さまの香りが充満していた。
正確には香水の匂い……? でもそれだけじゃない、深いコーヒーと、朝陽さま自身の香り?
私は途端に居心地が悪くなり、姿勢を正した。
運転手がいる車という移動手段で良かった、と思う。
二人きりだと、どうしたら良いのか分からない。
というか、パソコンやスマホがない状態で二人きりになった事も少ないと思い出す。
ああ、もうイヤだなあ。家に帰って本読んでゴロゴロしたい……と思い始めた時、指先に温度を感じた。
「……今日は指輪をしているんだな」
朝陽さまが私の左手の指輪に触れていた。
渡された婚約指輪だ。
あまりにも大きなダイヤが乗っているので、普段は付けていない。
「はい、今日はつけてきました」
「婚約してるんだから、いつもしろ」
「はあ……」
私は気の抜けた返事をする。
これって毎日するもの?
しまっておくものじゃないの?
私は指輪を確認するのをよそおって、朝陽さまから手を引き抜いた。
なんとも落ち着かない。
車で30分ほど走ると、景色が開けてきた。
「来い」
車が到着して、朝陽さまがドアを開ける。
「わあ……」
そこは海だった。
久しぶりに海を見て、テンションが上がる。
東京の海でも、ちゃんと潮の香りがする。
私は少し背伸びした。
腰に手を回される。
「こっちに来い」
そのまま移動する。
どんどん近づいてくるもの、それは……。
「朝陽さま、もしかして」
「船をチャーターしたんだ、好きだろ?」
「ええ…………?」
私はとめられている船を見て絶句する。
数百人は乗れそうな巨大な船が、そこには泊まっていた。
その前に、私のどこら辺の情報に船が好きというデータがあった?
「まさか……まさかと思いますけど……貸し切りですか?」
「もちろんだ。桐子が読んでたガラスの仮面にあったからマネをした」
ガラスの仮面で船って……あの紫の薔薇の人とマヤの豪華クルーズ? あれの真似?
「……あははははは!」
私は大声を出して笑ってしまう。
まさかあの話を読んで、船をチャーターする男がいるだろうか。
いや、ここに居た。
「でもあれ、貸し切ってないでしょう?」
「良いだろう、別に」
私は船と朝陽さまを見て笑い続けた。
「乗るか、乗らないのか」
朝陽さまは憮然とした表情で言う。
「乗ります、乗ります」
私はタラップを登った。
正直私は今の状態が楽しくて、琴美にラインしたくて仕方ないが、我慢した。
「おおおお、動き出した!」
なんで船とか秘密基地とか、テンションが上がってしまうのだろう。
ゴゴゴゴ……などと音を立てることもなく、船は沖に向かって静かに動き出す。
「外に出ても良いですか?!」
離れていく岸が見たくて、私は朝陽さまに向かって言う。
「もちろん」
朝陽さまは優しく微笑む。
長い通路を歩いて、一番前を目指す。
船の中はシンプルで、真っ白だ。
何か広告は貼られたり、営業的なものを感じないから、松園の持ち物だったりするのだろうか。
とりあえず、船はちょっと楽しいから良いや。
しかしモデルがガラスの仮面とは……面白すぎる。
デッキで紅天女しないと駄目かな?
私は先頭についた。
ドアを開くと、一気に視界が開ける……と思ったら、どんどん横切る船が近くを通っていく。
「おおお、なんかゲームみたいーー」
私は叫ぶ。
一月の冷たい風が走り抜ける。
ハイネックを下に着ているとはいえ、ワンピース姿で、かなり寒い。
でも気持ちが良い!
周りを見渡して、状況確認をする。
「大きな船! 大井埠頭に向かうんですね。ということは、出た場所は日の出埠頭。あっちに平和島ですね。なるほど」
「桐子」
後ろから朝陽さまが分厚いコートをかけてくれる。
「ありがとうございます。おっと、ここで左に曲がりますか。ということは、船の科学館が見えてきますね。朝陽さま、行ったことありますか?」
「いいや、無い」
「勿体ない! 楽しいんですよ、あそこ。海上保安庁の船と不審船のリアルな戦いビデオが見えるんですよ。カメラガタガタ臨場界満載で凄いんですよ」
こう、カメラが! と興奮して言っている私を朝陽さまが微笑んで見ている。
「……すいません、ちょっと騒ぎすぎましたね」
一気に恥ずかしくなって声を小さくした。
「いや、面白い。あれは何だ」
朝陽さまが私の横に立って聞く。
そんな事を言われると、オタクな私は喜んでしまう。
「中央防波堤ですね。元は埋立処分場なのですが、最近は木を植えて公園する工事をしてますね。2020年にも使うと思います」
「親父からそんな話も聞いたな」
「! そうですよ、お台場の方に松園が関わる一大都市計画ありますよね、あそこと同じです。松園の土地は、元々焼却ゴミでも不燃でなく可燃を中心とした良質なものを使っているから、都市再生化に向けて動く時も最短ルートが可能だって、最近読みました」
「……全く知らないな」
「ゴミを利用したバイオテクノロジーは、世界で一番求められている事ですからね。再生ゴミから生まれたテクノロジーで砂漠をよみがえらせるプロジェクトも松園は出資してます」
「……全く知らないな」
「専門誌の話なので。あ、ゲートブリッジだーー! 開くところ見たいなあーー」
はしゃぐ私の腰に朝陽さまが軽く触れた。
「桐子は、松園で働けるな」
「雇ってください!」
私は笑顔で答えた。
そう、私と朝陽さまじゃ、雇い主と雇われくらいに、格が違う。
今だけだ。
私は少しだけ朝陽さまに体を委ねた。
船は舞浜沖から少し離れた場所で停止した。
背中にはネズミーランドの気配、見えるのは房総半島。
なんて贅沢な場所だろう。
「食事にしよう」
朝陽さまの言葉に振向くと、ガラスで囲まれたテラスに越智さんが微笑んで居た。
凛子さまお抱えのコックさんかと思ったら、朝陽さまお抱えだったか。
見たことがある顔に安心してテラスに入る。
「……暖かい」
あはは。
脱力しながら笑ってしまうほど、私の体は冷え切っていた。
「バカか。こっちに来い」
朝陽さまに連れられて、ストーブの前に座る。
温風を感じられないほどに、私の指は冷え切っていた。
その指先を、朝陽さまが両手で丸く包む。……が、朝陽さまの手も冷たい。
「すいません、私が興奮して長く外に居たから朝陽さまも……」
「俺の意思だ」
朝陽さまが私の指先に温度が伝わるように、優しく何度も触れる。
冷たい物言いとは逆に、優しい動き。
「すいません……」
目の前に朝陽さまのフワフワとした飴色の髪の毛がある。
この髪の毛の色に憧れていた時もある。
その髪の毛が、今、目の前にある。それがどうしようなく変な気分だ。
見ていたら目があう。
私は小さく笑った。
朝陽さまは、コツン、と私のオデコに、自分のオデコをぶつけた。
私のオデコも、朝陽さまのオデコの冷たくて、目を伏せた。
「冷えすぎましたね、すいません」
「桐子、キスしていい?」
「はっ?!」
突然何事?!
私が顔を上げると、朝陽さまも私を真っ直ぐ見ていた。
「………………………………しょ、くじ、しましょう、か、ね」
私は朝陽さまと距離5cmで、言った。
壁際に見えないように越智さんが立っているのも見える。
「そうだな」
朝陽さまは目を軽く伏せてから、立ち上がった。
びっくりした……。
でも、確認するだけ進化したってこと?
いや、キスって確認してからするものだっけ?
進化を喜ぶべき?
いや、それって進化か?
いよいよ私はよく分からなくなってきた。




