それでも前に進むのなら
凛子さまからラインが入ったのは、朝陽さまの宣言から、一ヶ月後、年明け頃だった。
【桐子ちゃんとお話したいな。病院に遊びに来ない?】
病院が遊びにいく場所かどうか悩ましいが、凛子さまに呼ばれたらどこでも行く。
家に車が迎えにきて、私は凛子さまが入院している病院へ向かった。
そこは鳳桜学院の森が見渡せる場所にある病院で、凛子さまは最上階の特別室に居た。
一見普通の病室なのだが、室内は広く、豪華なベットと、ソファーが、部屋の無機質さを際立たせていた。
「桐子ちゃん」
凛子さまは、ベッドに腰掛けた状態で私に手を振った。
ベッドサイドの机には、漫画が高く積まれている。
「差し入れ、持って来ました」
私はストロボエッジを全巻持って来た。
「わ、ありがとう、読みたかったの、これ」
「旦那さまと同じ、漣さまが主人公ですよ~」
「そうですよね、知ってます。ありがとう」
凛子さまは細い指先で、漫画をベッドサイトに並べた。
「座って?」
とソファーを促された。
凛子さまもベッドから出てきて、ソファーに座った。
病院のガウンを着ていると、凛子さまは本当に病人だ。
足も細くて、肌も白くて、朝陽さまが必要以上に心配するのも分かる。
「検査ばかりで、なかなか外出許可が出ません」
「凛子さま、細すぎです。このお姿でフラフラされたら、私でも心配します」
何の病気なのか、どういう状態なのか、私は聞かないようにしている。
私の前にいる凛子さまが全てだ。
それ以上の情報を入れると、やはり必要以上の心配してしまいそう。
私には漫画を運んで、話相手になることしか、出来ないのだから。
ドアがノックされて、お手伝いさんらしき方が入ってきて、お茶とお菓子を出す。
無機質な部屋に出されるコロンビアパウダーブルーのティーカップが、静かに光っている。
整えたお手伝いさんが部屋を出ると、凛子さまは一口紅茶を飲んで、微笑んだ。
「無理に呼び出してごめんなさい。桐子ちゃんに、一言お礼が言いたくて」
「なんでしょうか」
私も紅茶を一口飲んで答える。
「朝陽のことです」
その言葉を聞いて、私の心臓が跳ね上がる。
「桐子ちゃんのおかげで、私と朝陽は、昔のように笑えそうです」
凛子さまは、私に向かって正しく微笑む。
よどみなく、迷いの無い強さを感じる。
朝陽さま、本当に告白したんだ……。
凛子さまは続ける。
「私が漣と恋人になったのは、出会いの長さから考えると遅く、鳳桜学院中等部の時からです。でも、朝陽には、初等部のころから告白されていました」
小学生の凛子さまを想像すると、とても可愛いのだが、低学年の松園朝陽はクソガキで想像してしまうのが、残念だ。
せめてスネ夫で再生したい。
……違う気がする。
「でも私は昔から漣が好きで……ずっと断ってきました。高等部に入り、漣と婚約を発表した時に……朝陽は、私に、少し手荒なことをしました」
凛子さまは薄い唇を噛んで俯いた。
あちゃーー……言葉を濁してるけど、朝陽さま強引にキスくらいしてるな。
「私が悪かったのです。もっと強く、朝陽を好きになれないと、断るべきでした」
朝陽さまは、私にも何度かキスしている。
情報を総合すると、朝陽さまはキス魔ということで結論が出た。
心の刻んで、常に気をつけよう。
「漣と結婚して、ずっと、何年も、私と朝陽の関係は難しいままでした。私もどうしたら良いのか分からなくて……漣も放っておけとしか言わないし」
漣さまも、それ以外何も言えないと思う。
右に動いても、左に動いても、地雷だ。
「でも、数年ぶりに時が動いたんです。朝陽が、私に再び告白してくれました。でも今までとは違う、優しい告白でした」
私は静かに頷いて聞く。
「そして自分が子どもだったと、謝罪してくれました。いえ、私は謝罪が欲しかったわけじゃない。私のことを姉としてみてくれる朝陽が欲しかったのです。それは私の勝手な我が儘です。でも、ずっとそうなりたかった……」
凛子さまは、長いまつげを伏せて、一粒の涙を流した。
それは凛子さまの白くて細い頬を流れ落ちる。
「……良かったですね」
私は静かに言った。
凛子さまは、始まった冬に舞い落ちる雪のように、静かに泣き続けた。
涙が落ち着いた頃に、顔を上げた。
「朝陽が変わったのは、桐子ちゃんのおかげなのでしょう?」
「……どうでしょうか。私は元々お金持ちの家ではないので、朝陽さまには珍しいのかも知れません」
「ずっと朝陽といたので、私には分かります。桐子ちゃんといる朝陽は感情が沢山みえて、まるで子ども。でもきっと、それが素の朝陽なのですね」
子どもという箇所だけは、力強く同意したいが、薄く頷く程度にしておく。
「朝陽とずっと一緒にいてくださいね。朝陽と一緒に、幸せになってほしい」
凛子さまは私の手に触れた。
その指先が冷たくて泣きそうになる。
私は凛子さまの掌を包んだ。
凛子さまは、知らないのか。
私と朝陽さまが契約婚約で、あと8ヶ月もしたら婚約を解消することを。
悲しむ……のかな、と思うが、朝陽さまと我が家では、恐ろしいほど格が違うし、私も超お金持ちライフには全く興味が持てない。
今のレベルで十分幸せだ。
私は無言で凛子さまの手を温め続けた。
「そうか。松園朝陽は、約束を守る男だったか」
琴美は私の部屋で、ソファーにゴロリと転がって言った。
「まあ、言わないと人生がこじれるという、良い例だったのは間違いないね」
私は漫画を読みながら言った。
「……よし。私も約束を守ろうじゃないか」
琴美がソファーから起き上がった。
「朝陽さまが告白したからって、本当に琴美がしなくても……」
「朝陽さまは、私をタイミングにして、ただ告白したかっただけ。私も同じよ。ただタイミングと理由が欲しいだけなの」
そう言われると言葉が無い。
「ずっとずっと、言わない理由を探してる。その方が楽だから。でも、きっと永遠に後悔するわね」
琴美はスマホを掴んで立ち上がった。
そして振向いて言った。
「骨は拾ってくれる?」
私は無言で頷いた。
琴美はスマホをいじりながら、部屋を出た。
私はソファーに転がって、青い空を見ていた。
一月の空はバケツをひっくり返したように青くて、空気が澄んでいるから、どこまでも空が遠い。
新しく紅茶を入れようと思う。
きっと長く泣くこともできない琴美のために。
美味しいクッキーを準備しようと思う。
泣いて泣いて、疲れ果てた琴美のために。
今日は一緒に眠ろうと思う。
もう叶わぬ恋のために。




