貴女と居られるなら、どこでも天国
昼休み。
琴美と食堂に向かおうとしたら、スマホにラインが入っているのに気が付いた。
朝陽さまだ。
【図書棟の場所で待つ。食事を運ばせるから、一緒に食べよう】
キッ! と朝陽さまの方を睨む。
朝陽さまは、それに気が付いて、ヒラヒラと手を振った。
私はスマホの画面を琴美に見せて、小さく首を振った。
「了解。私は華宮さんと食べるわ」
琴美は普通に頷いた。
「もっと淋しそうにしてよ」
私は顔を近づけて言う。
「今日は静かに食べられそうにないし。良いんじゃない?」
ふと気が付くと、廊下まで私を見に来た人で溢れていた。
完全に珍獣扱い!
私は軽く会釈して、人混みをかき分けて教室を出た。
図書棟の六階に続く階段にスーツ姿の人が立っている。
私を見て、どうぞ、と促す。
ついに松園家のSPまで導入して屋上を私用化?!
屋上に着くと、庭の真ん中にタープが張られていて、そこにテーブルがセッティングされていた。
給仕さんもいる。
いつの間にこんな事に。
私はガラス戸を押して、外に出た。
ふわりと夏と秋の混ざった風が抜ける。
「待ってたよ」
朝陽さまは新聞をズラして微笑んだ。
「おつかさまでーす……」
もはや完全に仕事。
全くテンションが上がらない。
「桐子ちゃん」
木陰から凛子さまが見えた。
「凛子さま!」
私は駆け寄った。
「体調が良いから、朝陽にお願いしたの。迷惑だった?」
「そんなことないです、嬉しいです!」
凛子さまは、真っ白なシャツに、紺色のスカート姿。
シンプルなのに、どうしてこんなに美しいのだろう。
ラインのIDを交換してから、凛子さまとは頻繁に話している。
私はラインで話すうちに、凛子さまを大好きになってしまった。
優しくて聡明で、厳しいことを言う時は、ちゃんと言う。
現にマナー教室をイヤになっていた私を叱ってくれたのは、凛子さまだ。「恥ずかしいのは、桐子ちゃん、本人なのよ」
それから私は完全に凛子さまに懐いてしまった。
「最近は体調も良くて、外出許可が出ました」
「良かったですね」
「桐子ちゃんのおかげよ? 毎日楽しいお話をありがとう」
「そんなこと!」
お安いご用だ、本当に。
ゆっくり歩く凛子さまを支えながら、机に向かう。
相変らず冷たい指先で、やはり心配になってしまう。
私のたぎる血を分けてあげたい。
「食べようか」
朝陽さまが凛子さまを見て、優しく微笑む。
その表情を、私は良いなあと思う。
私は朝陽さまは好きになれないが、凛子さまを見ている朝陽さまを見るのは好きだ。
とろけるホワホワとした、あまいスフレのような表情。
日陰で風が抜けて気持ち良い。
それに軽く冷気も感じる。
氷を利用したクーラーのようなものが凛子さまの近くに置かれている。
暑さを心配したけど、これなら屋上でも大丈夫かも知れない。
「婚約パーティーの桐子ちゃん、本当に可愛かった」
凛子さまが微笑む。
「凛子さまのおかげです、本当に」
「マナー教室の関田さんも喜んでましたよ」
「本当に迷惑かけてすいません……涙が出ます」
関田さんは私の酷すぎる食事マナーを、ひとつひとつ直してくれた。
「あんなに頑張るのはパーティーだけでいいのよ? 今日は楽しく食べましょう? 私の好きなものばかり準備してもらったの」
「はい!」
サラダが運ばれてきて、私はその豪華さに目を見張る。
パニールとトマトと鯛のサラダ、アボカドのミモザサラダのハーブソース……。
どれもこれも美味しい~~。
私はパクパクと食べた。
「桐子ちゃんは、本当に美味しそう食べるのね。一緒に食事するのが楽しいわ」
「凛子さまと食べると、もっと美味しく感じます」
「あら、嬉しい。病院も近いし、たまに来ても迷惑じゃないかしら」
「もちろんです!」
朝陽さまは私と凛子さまが話ながら食事しているのを、ただ微笑みながら見ている。
「朝陽も食べて? この子、本当に食が細いのよ」
「頂いてますよ」
朝陽さまは、サラダをほんの少し食べた。
「朝陽はね、子どもの頃から食べなくて。私も漣も心配してるの」
「どれも同じ味に感じて、食事に欲が出ないのです。大丈夫ですよ」
朝陽さまは凛子さまに向かって優しく微笑んで、言った。
「勿体ない。一度まずい食事を食べてみたらどうですか?」
私は冗談で言う。
「まずい食事って、何?」
凛子さまが小首を傾げる。
ここは私の持ちネタを披露する時間だと話し始める。
「数年前に、駅前の精肉店で牛すじを買ったんですよ、三キロ」
「牛すじ」
凛子さまは、反芻する。
朝陽さまは、眉間に皺をよせている。
私は続ける。
「安かったから買い込んだんですけど、パッケージ一個のカレーに、牛すじをどれくらい使うのか分からなくて、処理も分からなくて、とりあえずそのまま煮込んでカレーにしたんですよ。そしたら香り立つ獣の匂い……! あふれ出す油……! ゴロゴロ転がる筋たち……! びっくりするほど臭いカレーになりましたね。シンクは油で数日間ギラギラに光って凄かったです」
「うふふふ、桐子ちゃんの話は、本当に面白いわ」
凛子さまが朗らかに笑う。
私は創作料理が好きで、変な調味料を輸入して中華料理を作ったりしている。
スパイスは専用の棚を揃えて一時期遊んでいたが、どれも不味い! と不評で引っ越し前に捨てられてしまった。
とても残念だ。
「気持ち悪い話をするな」
朝陽さまが冷たく言う。
「朝陽ったら、そんな言い方するものじゃないですよ。桐子さん、料理されるなら、今度朝陽のマンションで作りましょう?」
「え。恐怖の牛すじカレーですか」
「私も食べたいです。楽しそう」
「そんなもの、凛子が食べたら、倒れてしまうよ」
朝陽さまが語尾強く言う。
「牛すじの処理方法なら、越智に聞きながらやれば美味しくなるのではないですか?」
凛子さまはメインを持って来た給仕さんに聞いた。
「丁寧なあく抜きが必要ですが、すばらしい食材ですよ」
給仕さんは丁寧に答えた。
どうやら、越智さんという名のコックさんのようだ。
「楽しそう。やりましょう? 桐子ちゃん」
「凛子さまがいらっしゃるなら!」
「俺の部屋で、そんな得体の知れないものを使うのはやめてくれ!」
朝陽さまが叫ぶ。
「あら、朝陽が大声出すなんて珍しい。うふふ、また外出許可が出るように、しっかり休みますね」
凛子さまは朝陽さまを見て微笑んだ。
「……本当に、体を大事にしてください」
「分かってますよ。漣も朝陽も心配しすぎです。さあ、食べましょう」
凛子さまは食事を再開した。
私は持ちネタを何個か披露して、楽しく食事をした。
そして凛子さまは、甘い香りを残して屋上から病院に戻っていった。
「またラインしましょうね」
「はい!」
私と朝陽さまは、凛子さまを見送った。
食事も食べたし、凛子さまも帰っちゃったし、私もトンズラしよう……と屋上に扉に手をかける。
「座れ」
後ろから朝陽さまの、さっきとは全く違う冷たい声が聞こえる。
「……ごちそうさまでしたー……」
帰りたい。
「座れ」
指さされた席には、コーヒーとほんわりとしたシフォンケーキが見える。
ぐぬぬ……。
私は席に戻る。
「…………」
朝陽さまは黙ったまま、何も言わない。
だったら、教室に戻っても良いじゃん、と視線を送る。
「………………助かった」
朝陽さまがポツリと言う。
「はい?」
聞こえていたが、あえて聞き直す。
「凛子は、俺と二人だと食事してくれないから」
「ああ……なるほど」
二人きりを避けられる = 昔何かした? もしくは、漣さまに対する凛子さまの気遣い?
とりあえず四時間語られるのはイヤなので、スルーしよう。
「凛子も楽しそうで、良かった」
「それは本当に良かったです。私も凛子さま大好きです」
コーヒーを飲んで顔を上げると、優しい表情の朝陽さまが居た。
おお? 少し驚く。
「凛子がいるから、クソみたいな奴らに囲まれても生きてこられた」
「クソ!」
二人きりだと朝陽さまは、やっぱり口が悪い。
まあこれが本性なのだろうけど。
「お前だってそう思うだろう? クラスのやつらの掌の返し方。気持ちが悪い。嘘つきばかりだ。目の当たりにするたびに、イヤになる」
朝陽さまが吐き捨てる。
ぷっ……、思わず私は吹き出す。
「なんだ?!」
朝陽さまが叫ぶ。
「だって、凛子さまの前と、私の前で別人の朝陽さまに言われたくないですよ、誰よりも嘘つきですよね」
私はケラケラ笑う。
「理由があるんだ」
「だったら、みんなそうなんじゃないですか? あー、面白い」
私は机に置かれていたシフォンケーキに生クリームをたっぷり付けてパクリと食べる。
「俺とあいつらは違う!」
「まあ、長いものがあったら巻かれたいのは、普通の精神でしょう」
「お前は違うじゃないか」
朝陽さまは私に向かって言う。
「そう、中身なんて誰にも分からない。今回の事で思い知りました」
私だって朝陽さまの中身がコレだなんて知らずに、キャーキャー言ってたわけで、同罪だ。
「そう、か」
朝陽さまは少し黙る。
ポケットに入れていたスマホが振動する。
見ると凛子さまからラインが入っていた。
【病院に戻りました。今度はカレーを作りましょうね】
病室からの写真だった。
「凛子さまだ。カレー作りましょう、ですって」
私はスマホの画面をチラリと見せた。
「写真」
「凛子さま、美しい」
私は見惚れる。
「……どうして俺にはラインをしてくれないんだ」
ライン、まだ貰えないんだ……、可哀想だから、もうこの会話を止めよう。
地雷しか感じない。
むしろ語りたくて仕方ないオーラを出しているのは気が付いているが、結婚している兄嫁に対する恋心を語られても、反応に困る。
「カレー作りましょう、カレー」
私は明るく言う。
「俺の部屋で?」
「凛子さまの指名なんで」
「やめろ!!」
叫ぶ朝陽さまの表情が面白くて、私は笑った。
凛子さまというクッション材があれば、普通に話せそうで安心した。




