そして始まった契約婚約。私はあの男を好きにならない
車は闇夜を静かに走る。
時間はすでに22時を過ぎた。
もういいんだ……ライブペイント……生で見たかった……。
私は全く話をする気になれない。
朝陽が婚約すると宣言してから、凛子さまは大喜び、興奮して倒れて、漣さまが止めるのも聞かず、私に「朝陽をお願いしますね」とエンドレス。
その様子を見ていた朝陽の悲しい表情。
そんな顔して、私と婚約とか言ってるんじゃないよ。
「……バカにしすぎでしょう」
私は腕を組んでため息をついた。
結局朝陽は誰とも結婚する気がないのだろう。
いや、逆だ。
誰と結婚しても良いのだ。
ずっと好きだった凛子さまは、お兄さんと結婚した。
「だからって、相手に私を選ぶとは……冗談じゃない……」
ブツブツ言い続ける。
薔薇苑さんに興味があるんだ、と凛子さまの前で言っていたが、要するに暇つぶしが出来れば、それで良いって事だよね。
「私は朝陽坊ちゃまのオモチャなの?」
足に引っかけていたヒールを車の中に投げ捨てる。
ふかふかな車内の絨毯に5cmのヒールが転がる。
「……桐子」
ずっとキレている私に話しかけられずにいたお父さんが口を開いた。
「婚約とか、あり得ませんからね」
私は前を睨んだまま言った。
「朝陽くんは本当に桐子のことを気に入ってるようだったぞ」
「ついさっき婚約破棄した男に、次はお前だと言われて、喜ぶ女が居ますか」
「……桐子。この場合の婚約と、恋愛としての婚約は、別に考えてくれないか」
「薔薇苑アイスのために婚約しとけ、とおっしゃるのですか」
私はお父さんを睨んだ。
「お父さんだって、本当に桐子が朝陽くんと結婚すると思ってないよ」
お父さんは苦笑した。
「え?」
「我が家と松園家では格が違いすぎる。これはきっと、柏木さんがした罪を桐子が暴き出したご褒美だ」
ご褒美。
あの男と婚約することがご褒美?
世の中迷惑なご褒美も存在するものだ。
「商品が入れて貰えて、株価が上がり、会社の価値も上がる。そういう話ですね」
「まあ、言ってしまえばそうことだ」
やっぱり薔薇苑アイスのために身売りしろって事じゃん!
そこまで言うなら数字を見せてもらおう。
「お父さん、パソコンを貸してください」
「え?」
私はお父さんが作業していたパソコンにログインして、松園朝陽と柏木美玲が婚約した時期を調べる。
三年前、と。
そこから柏木不動産の株価の変動と、管理物件数、取引先数、従業員の数とボーナスの変動、利益率を見る。
何より新規物件数が婚約発表から一年で急激に伸びている。
松園家と関わることで、関係者が増えたということだろうか。
新規の取引先を見ると、やはり松園関係が多い。
まあ仕事なんて結局信用が一番なわけで。
でも今回のことで全て消える……と。
「婚約で得られる経済効果は一年ですね」
私はパソコン画面を睨みながら言った。
「……調べが早いな」
お父さんは私の作業を後ろで見て言った。
「分かりました。一年間だけ婚約します」
「そんなこと、こちらから決められないだろう」
「むしろ、あっちはそれを望んでいるのでしょう? だったら乗るだけです」
私はスマホを取り出して、ラインを立ち上げる。
そしてさっき交換した朝陽さまをタップする。
そしてラインのトークに書き込みを始めた。
「朝陽さま、私、婚約します」
すぐに既読になった。
「頭が良い子は好きだな」
そりゃ私は犯罪なんて犯しませんし?
「一年の期間限定でお願いします」
「なにそれ、すでに面白いんだけど」
「婚約することによって我が家に得られる利益の八割は一年目に集中します。だから、一年限定で」
「刑事じゃなくて、今度は税理士さん?」
「朝陽さまは、朝陽さまで居たいですよね」
「え? どういうこと?」
「人が泣いている状態を隠しカメラで撮影するようなクソ男だと、学校でバラされたくないですよね? ということです」
「あはははは! そうだね、そうだ」
「私は今まで通り、朝陽さまに接します。朝陽と呼び捨てにもしませんし、クソ男とも、盗撮男とも、腹黒男とも、言いません」
「酷い言われようだな」
「婚約者として振る舞います」
「デートは? しようよ」
「では、月に一度、第二土曜日に朝10時から夕方5時まで」
「……仕事みたいだね」
「契約です。それをお望みなんですよね?」
「まあそうだね」
「一年経ったら、朝陽さまと付き合うと得られる素敵な経済効果を他の令嬢に恵んであげてください」
「そうするよ」
「細かい契約が決まりましたら、送らせて頂きます」
「契約!」
「では、失礼します」
ラインを落とした。
契約婚約、利益しかないのなら、やってやろうじゃない。
「一年くらいなら頑張れるか」
と思ったが、鳳桜学院に入学して、まだ三ヶ月しか経っていないと思い出す。
これ以上に濃厚な時間を、一年!
はげたら費用も請求しよう……。
私は契約書を作り始めた。
お父さんは不思議そうに見ている。
ここまで開き直れたのは、お父さんのおかげだ。
「一年でちゃんと稼いでよ。私、一生仕事しないで漫画書くからね。それくらいのご褒美頂戴よ」
「仕事が早くて、即決即断。桐子は会社経営に向いてるよ。お父さんと一緒に薔薇苑アイスを大きくしよう!」
「お断りします」
私は契約書を作るためにワードを立ち上げた。
しかし、私と朝陽さまが結婚すると、頭から信じないお父さんは、なかなかに黒い。
「婚約披露パーティーの打ち合わせをしないとね」
お父さんはウキウキと言う。
どうせ一年で破棄される婚約だ、好きにしてほしい。
「でもね、桐子、ひとつだけ言わせてくれ」
「なに?」
私はキーボードを打つ指を止めてお父さんを見た。
「朝陽くんに本気で惚れちゃいけないよ。桐子と朝陽くんでは、格が違いすぎる。泣くのは桐子になる」
「はーー? この状況でそれを言いますか、お父様。惚れるどころか、一年貞操守りますよ」
「あはは、そうか。うん、だったらまさにwin-winだな」
「だから契約するんです」
私はカン! と高い音を響かせてキーボードを打った。




