そして時は回り出し、私は逃げることを許されない
「ほら桐子、正式な招待状だよ。私だけじゃない、桐子個人宛だ」
お父さんは興奮気味に私に封書を渡してくれた。封筒がズシリと重い。そして松園家の家紋が金の箔で押してある。よくみると書かれた住所も、中の招待状、すべて手書き。このデジタル全盛期に手書きの手紙。差出人は松園浩三取締役と、松園朝陽。まさかの連名だ。
「今日は早く帰るんだぞ。明日に向けて早く寝るんだ」
「……小学生じゃないんだから」
私はフォークを置いた。お父さんは松園家からパーティーのお誘いが来てから、ずっとこの調子だ。
正直私は、気が重くて仕方ない。
海田さんが居なくなってから、私の学園生活は平和そのものだ。
表面上みんな和やかに過ごしているし、当然だが水をかけられることも、私物が紛失することもない。
平和最高! このまま夏休みに突入したいのが本音だ。
でも、私個人宛に朝陽さまからパーティーのお誘いがあり、行くとなると、最近静かになってきた朝陽さまの取り巻きが再び騒ぎ出すこと必須。
初夏の日差しが降り注ぐ食堂で私はため息をついた。
「はー……、嫌な予感しかしない」
私はハンバーグを小さく切って口に入れた。
「等々力にある松園本邸なんて、そう簡単に入れないわよ。妄想ノート持っていったら?」
今日も小さな弁当を食べている琴美は、口元だけニヤリと笑っていった。
「松園本邸で絵書くの? それやったら病気だよ」
「いつのまに病気が治ったの?」
琴美が眉毛をつり上げて言う。
「はー……、琴美も一緒なら楽しめるのに」
「行けるわけないでしょう。桐子のお母さんも入れないでしょう? すごいね」
招待状がない人は、親族でも入れないのが等々力で行われるパーティーらしい。
「行きたくない……」
「薔薇苑さん」
ポテトを口に運んで咀嚼しながら頭を振っていると、後ろから声をかけられた。
「はい?」
振向くと、そこに朝陽さまが居た。
私は口の中のポテトを一気に飲み込む。
「明日……」
と朝陽さまが口を開いたので、私はその場で首を何度も高速で振った。はたから見ると壊れた人形のような速度で。
目をかっぴらいて朝陽さまを見て、再び首を振る。取り巻きーずの前で、それ以上言っちゃいけねえ!!
「え……」
朝陽さまがキョトンとする。
朝陽さまの後ろ、2mほど離れた場所に取り巻きが立っていて、静かなる怒りが立ちこめた表情で私を見ている。
ヤバいよヤバいよ、嫉妬の炎でハンバーグが焦げそうだ。
私は朝陽さまの一歩近づいた。
「ご招待、ありがとうございます。でも明日パーティーがあることを皆様に知られるのは、防犯上、よろしくないのでは?」
そう小さな声で言った。
至極遠回りな言い方だが、分かってくれるだろうか。私の防犯上、よろしくない事が。
「ん? とりあえず、楽しみにしてるから」
朝陽さまは分かってるのか、分かって無いのか。ニッコリと微笑んで、取り巻きを連れて食堂を出て行く。
私は丁寧にお辞儀して朝陽さまを見送った。
もし~私に~力があれば~平和を~くださーいー……。
「変な歌が声に出てるよ」
琴美が後ろから突っ込む。
私はトスンと椅子に座ってため息をつく。
「取り巻きに隠しきれるの? パーティーに出ること」
琴美はお弁当箱を片付けながら言う。
「今回はビジネス中心のパーティーだから、本当に限られて人しか呼ばれてないみたいよ」
「なんで薔薇苑アイスが呼ばれるの?」
「キンユーに店舗が入るって」
「あれ噂じゃなかったの?」
琴美が驚く。
「私がアイスの発案者だから呼ばれたのかな。ビジネス……ビジネスBL……ビジネス受け……」
「思考が安全地帯に逃げてるよ」
「……何か、ウイルスとか感染したい。ウイルスって売ったら売れると思わない? 休みたい日に休めるの……」
「ウイルスBLで一本書けば?」
「なにそれ感染するの?」
「ウイルスだからね」
くだらない話をしていても心が晴れない。本当に気が重い!
次の朝、五時。
私はまだ脳内が完全に寝ている状態で、薔薇の香りがするお風呂に入れらた。
朝五時に薔薇風呂。オタク生活の時は朝五時に寝ることもあったのに……。朝の光の包まれた無駄に明るいバスルームでまた眠ろうとすると、風呂から引きずり出されて、朝からフェイスマッサージ。
朝ご飯に出されたのは、生のフルーツジュースのみで、すぐにフルメイクが始まった。
プロのメイクさんが、これから一週間旅行ですか? というサイズの鞄を展開されて、メイク道具を出した。
ファンデだけで30色くらいある。そしてメイクという名の塗り絵大会が始まった。
顔のおでこや鼻には明るい色、首から頬にかけて少し落として……とグラデーション塗り絵。肌色だけじゃなくて紫や青、深紅も使って作り上げる顔色が面白い。
これはちょっと楽しくて、見てたら目が覚めてきた。いや、私の顔が塗られてるんだけど。
フルメイクに見えないように、メイクを施された私の肌は、何もしてない時より、何もしてないように見えるように仕上げられた。
言葉はおかしいが、最近の流行は、メイクしてないようにメイクするのが主流らしい。
だったら最初からメイクしなくて良く無い? いや、でもそれを言うのは失礼なほど、肌が美しく見える。
そして髪には薔薇の生花が挿された。薔薇苑だから、薔薇だって!
仕上げにベビーピンクのドレスにミルキーホワイトでラメが光るヒールを履いた。
大きな黒真珠のピアスに、サファイヤとダイヤモンドが贅沢に使われてネックレス。
「出来ました」
鏡の前に立たされた私は、正にお姫様で、これにテンションが上がらない女の子は居ない。
「……えへへ」
小さく笑う。これで行き先が松園家のパーティーじゃなかったら、最高なのに、と思う。
「写真、お願いできますか」
メイクさんにスマホで写真を撮ってもらい、琴美に送る。
すぐに既読になって「リアル・ビヒディ・バビディ・ブティックじゃないですか」というメッセージと共に姫絵のスタンプが踊る。
ビヒディ・バビディ・ブティックというのは、ネズミーランドで出来るお姫様体験だ。
貧乏なころはやってみたいと思ってたけど、リアルだと大変だ。
「えへへ、良いでしょ!」
打ち込んで、自慢してると楽しいが、一気に眠くなってきた。
時計を確認するとまだ朝の11時。朝5時から実に6時間も私を作り込んでいたことになる。
一日の半分を作り込んだ場合、それは本当の私なのか? SFだね……。
朝が早すぎたので、気持ちは夕方5時。
そろそろコナンが始まるので、部屋に戻っていいですか? ……眠い。