運動会と、私の決意
鳳桜学院は五月に運動会がある。
初等部、中等部、高等部の合同で行われる運動会は、鳳桜学院内の巨大スタジアムで行われる。
このスタジアムがまた無駄に大きいのだ。天然芝に収容人数三万人。鳳桜学院の生徒が全てが集まっても埋まらない。
昔は一般にも公開されていたが、セキュリティー上の問題で、生徒のみの開催となっているので、二階席はガラガラだ。まさに無駄な巨大さ。
お金持ち学校の運動会なんて……となめていたら、結構本気で驚いた。
クラス内が紅白に分けられて、対決。個人の徒競走も一位は5点、二位は3点と細かく加点されていく。それはすべてゼッケンにつけられた端末で管理。
完全に未来にいっちゃってる運動会で、応援団も当然ある。三年生がメインで構成されるのだが、各学年からひとりずつ代表が選ばれて、学年代表の応援団長になる。
一年生の代表は当然朝陽さまだ。特注の学ランを着る姿に女生徒の悲鳴はマックス。体育館で行われる練習にファンが押しかけるので、私たちも呼び出されて、警備にあたる始末。
「練習くらい見せてよ! けち!」
「見えないよ、このデブ!」
「減らないから良いでしょう?!」
騒ぐ女生徒の話を無言で頷いて聞く。そう、私は菩薩です。
実は私は足がかなり速いほうだ。
子どもの頃から裏山で走り回っていたのが良かったのか、オタクとしては珍しいスポーツ万能型だ。
最近は体重が増えて、体が重い! と思うことも増えたけど、それでもかなり速い。
お嬢様が多い学校で、タイム測定を本気やる人は少ない。私は当然全力で挑んだ。むしろ手の抜き方が分からない。パーンと鳴ったらドーンと走るものでしょう。
そして私は選抜リレーの選手に選ばれた。もちろん朝陽さまと一緒に。……はあ。
「薔薇苑さんは、足も速いんだね」
朝陽さまは微笑んだ。
一緒に選ばれた御木元さまも居る。
選抜リレー選手は早朝練習もあり、私は二週間も琴美と離れて車で通った。
オタクライフは基本的に深夜が多く、早朝練習はかなりキツい。
こんなことなら本気出さなければ良かったとさえ思ったが、今さら仕方ない。
それに朝陽さまと御木元さまが練習しているの見るのは、嫌いじゃない。
速く走る人の足の動き、体の進む速度は、本当に美しいと思う。
朝陽さまは、カモシカのように走るタイプ。少し飛び跳ねているフォーム。
御木元さまは正確に無駄なく走るタイプ。二人とも走り方が美しい。
私はリレー選手に与えられるスパイクを履く。
このためにスパイクが準備される鳳桜学院、運動会に本気すぎる。
このスパイクは運動会が終わったら個人に渡されるようだ。貰ってどうするんだろ? 家の中で走る? 紀元さんどんな顔するだろ。それでも無表情なら、もうロボット決定だわ。
スタジアムのトラックはゴムが敷き詰められていて、スパイク仕様。
私は中学の時に、陸上部に何度か助っ人として走っていたけど、普通の運動靴で走った。
だからスパイクは初体験。これ、ゴムに引っかけて走ると体が加速して面白い!
楽しくて結構練習したけど、体重は全く減らない。
練習するとお腹がすいて、お昼ご飯にご飯を大盛りしてしまうのが問題なのか、家でお菓子を食べ過ぎているのが問題なのか、分からない。
「たぶん、その両方ね」
琴美はハチマキをキュッと縛った。
神様はいるものだ。私も琴美も同じ赤組。華宮さんも、ついでに朝陽さまも赤。御木元さまだけ白。
むしろこれは意図的ではないかと思う。朝陽さまと御木元さまは飛び抜けて速い。
だから紅白に分けられたのかな。
「じゃあ、一年の赤組がんばろう」
朝陽さまが言うと、百人以上の女生徒が「はい!!!」と叫ぶ。
私と琴美はため息をつく。
「高校生になってまで、大玉転がしなの……?」
二人でバカにしていたが、大玉転がしはとても楽しかった。その理由は大玉がただの大玉じゃないのが理由だろう。
直径4mの卵型、通称ビックエッグなのだ。要するにそのまま回らない。
普段スカしているお嬢様やお坊ちゃまが本気で球を転がす姿は、かなり笑えた。
ビッグエッグに飲み込まれていく海田さんを見るのは悪くない。そして彼女は白組だ。容赦なく笑わせて頂く、卵の下敷きだーい!
昼休み後に応援合戦の演舞が始まった。
センターに置かれた太鼓の音に合わせて、赤組総勢30人が踊る。
センターは三年生の生徒会長、袴田先輩で、これまた超巨大企業の御曹司で、イケメン。
左に二年生の会長、如月先輩、右側に一年の会長(にいつの間にか決まった)朝陽さまだ。
三人揃うと、迫力ハンパない。全員カッコイイので、女子は全員目移りしている。
私は……やっぱり朝陽さまを見てしまうけど。あの氷のように冷たい目を見てから、私は朝陽さまを見る回数が増えた。
冷静になってよく見ていると、朝陽さまは笑顔のあとに、すっ……と真顔になる瞬間が、一秒くらいあるのだ。
短いだろう? でもアニメだと60フレーム、止め絵が60枚だ。結構長いよ?
アニメをキャプチャーしていた時代もあるから、私には見えてしまう。
朝陽さまは、長い朱色の赤いハチマキを巻いている。
今日は笑顔もなく、凜々しい表情。特注の学ランが、高い身長をもっと美しく見える。
太鼓の音に合わせて、一糸乱れぬ動きで演舞をする30人を私たちはただ見守った。
複雑なフォーメーションをたった二週間で頭に入れるんだから、御曹司にバカが多いという噂は嘘のようだ。
巨大な旗が走り抜けて、演舞は終わった。
同時に私たちは大きな拍手をした。
警備面倒だったけど、これのためなら仕方ない!
そしてラスト。選抜リレーの時間になった。
「よし、いくかな」
応援合戦の興奮がまだ残るスタンドで、私は立ち上がって屈伸した。
「期待してますよ、猿山のスター」
琴美は私の背中を軽く叩いた。猿山というのは、私たちが以前住んでいた団地の裏山のこと。
一度本当に猿が出たことから、猿山と呼ばれていた。私はそこを走り回っていたので、猿山のスター。なんだそれは。
「行こうか」
振向くと御木元さまが居た。
「はい」
私は頷いた。
朝陽さまは応援合戦から直接リレーの方に移動するので、うちのクラスから集合場所に向かうのは、私と御木元さまだけだ。
御木元さまとは、体操服の匂いを嗅がれてから、なんとなく近づいてない。
いつも朝陽さまと話しているけど、とにかくクールというか、あまり表情が変わらない。
御木元を笑わせた……と朝陽さまは私に言ってけど、あれは失笑されたのでは?
それも「ふ……」って息が抜けたような感じで。とにかくいつも静かに文庫本を読んでいる。
本好きな私としては見逃せなくて、チラチラタイトルをのぞき見ているが、ほとんどがSFだ。シムレスの眼鏡で読んでいるのがSF……ってちょっと良い。
私はいつも御木元さまが読んでいるSFのタイトルをノートのメモっている。いつか私も読んでみたい。SFは読みにくくて苦手だけど、萩尾望都先生だってある意味SFなわけで。
ロボットものだって、スター・ウォーズだってSFなわけで。食わず嫌いなオタクにはなりたくないな、と御木元さまの後ろをついて歩きながらボンヤリ考えた。
スパイクが置かれている場所に着いた。そこは普段体育で使う備品が置かれている部屋だ。
こんな部屋にも入り口にセキュリティーが付いていて、私たちはゼッケンについたパスを触れさせる。
これは生徒手帳とリンクしているというから、さすがお金持ち学校。部外者は本気でシャットアウトだ。
冷房がついていて、入ると涼しい。私が通っていた中学校の体育準備室なんて、掘っ立て小屋だったけどね。
スパイクを履こうと探すと、私のスパイクだけが見当たらない。
「ん……?」
何度確認しても、私のだけがない。間違いなくここに置いたはず……。
「どうしたの?」
御木元さまが私の異変に気が付く。
「スパイクが、ここに置いておいたのですが、見当たらなくて……」
「え?」
眼鏡の向こう、御木元さまの目が少し動く。
まさかまた嫌がらせ……? 私の脳裏に海田さんが浮かぶ。
でも、この部屋はパスで許可された人間しか入れないはず。
よく見ても、探しても、本当にない。
一体誰が……? いや、でも……なんとかなるかも。
私は天井を見る。……あった。やっぱり鳳桜学院は金持ち学校だ。
「替えがあるかもしれない。聞いてみよう」
御木元さまは立ち上がる。私は、それを制した。
「もう時間もないし、大丈夫です」
私はスラリと立ち上がった。
「本当に?」
眉間にほんの少し皺をよせて御木元さまが言う。
「走れますから大丈夫です」
御木元さまは口元に親指を持っていって、考える仕草を始めた。
「あの、朝陽さまには何も言わないでくださいね」
私は釘をさした。
「なんで? 朝陽関連だろう、こんな陰湿なことをするのは」
「そうかも知れません。でも、それをしたのは朝陽さまではなく、朝陽さま【関連】の方で、朝陽さま本人ではありませんから」
私は言った。むしろ朝陽さま本人が何か言うと、更に事がねじれるだろう、きっと。
朝陽さまに庇われたら、今度は闇夜にスパイクで殴られそう。怖すぎる。
「本当にいいのか、それで」
「大丈夫です。犯人を逃すつもりはありません」
私は入り口のセキュリティーと、天井を指さした。そこには監視カメラがあった。
「ああ……」
御木元さまが軽く頷く。
「まずリレーを走りましょう。それから、考えます」
私はハチマキをキツく縛りなおした。
何度もいうが、私を怒らせると怖いよ?
犯人、必ず捕まえてやる。




