鳳桜学院に漂う幽霊は、キスの味を知っている
「挨拶代わり……ねえ」
琴美は大きな口を開けて生クリームを食べた。
放課後の喫茶店にお客さんは少ない。
鳳桜学院の駅前にある喫茶店は、ダークブラウンを基調にした落ち着くインテリアで、深いコーヒーの香りが立ちこめて気持ちが良い。
琴美は私のおごりで高さ30cmほどある鳳桜パフェを食べている。
一番下にはコーンフレーク、生クリームに、フルーツたちに突き刺さるポッキー。
ああ、美味しそうだ。私は体重がかなり右肩あがりなので、オレンジジュースで我慢する。
「あーん」
口を開けて待つと、琴美が口の中にポッキーをさす。
私はそれをカリカリ食べる。
「挨拶代わりにキスするのは、頬じゃない?」
「ちょっと場所が違うだけじゃない。同じようなもんだよ、もう何でもいいわ」
私のテンションは一気に下がっていた。ひとりで騒いでいた私がバカのようだ。もはや恥ずかしささえある。
「それより、美玲さまについてどう思う?」
「どう思うも何も。それが本当なら嫌われてるよね」
琴美は唇についた生クリームをぺろりと舐めて断言する。
「やっぱりそうだよねえ、私なにもしてないだけど」
「キスをのぞき見してじゃない。変態さん」
「偶然だよ」
「そうかなあ……? あまりに疑問点が多いけど」
琴美はカランと長いスプーンを置いた。
そして両腕を組んでソファーに深く腰掛ける。
「何か変?」
「まず、屋上にきた桐子をみて【同じクラスの?】って言う時点でおかしいよね」
「だって、制服のリボン、白だよ」
私は自分の制服のリボンを引っ張る。
鳳桜学院の制服で、一年生のリボンは白い。
そこから想像したとか……?
「白だけで数百人いるよ。突然出会った子相手に、どうしてそう思ったのか、まず疑問」
「なるほど」
「もう一つ。【朝陽さまに手を出すな】的なことを美玲さまが言ったなら」
「うん」
「朝陽さまと桐子に何かあったと、知ってることになる」
「あ」
よく考えるとその通りだ。
「朝陽さまと桐子の間に何かあったとすれば、副委員長の逆指名。これを知ってるのはクラスメイトのみ」
「密告者……的な?」
脳裏にふわりと海田さんが浮かぶ。海田さんと美玲さまが繋がっている? ……とか?
「密告することによって、利益を得ている人間がクラスにいる確率は高いかな」
「怖……」
「海田さんの会社と、美玲さまの会社が、親会社と子会社とか……ちょっと分からないわね、調べてみるわ」
もう海田さんがスパイだと決めつけた琴美は、スマホを立ち上げてメモをした。
「桐子は毎日スマホのパスワード変えたほうがいいわよ? BLラジオ流れちゃうかもしれないし」
「あはは……」
琴美がお見通しすぎて、私はスマホを取り出して暗証番号を変えた。頭につける英数字をAから順番に替えていけばいいか。……いつか自分のパスワードが分からなくなりそう。
「朝陽さまに進めた漫画は、良かったと思う?」
スマホをいじりながら聞く。
「良いんじゃない。あの話、まだ終わってないけどね」
「映画も良かったよねー」
「え? あのラストを良かったと?」
琴美が表情を歪める。
「マッシュ可愛かったじゃん」
「あのラストは?」
「……なんだっけ」
「まあ良いわ。でも、私は、その話も気になるのよねえ」
琴美は水を一口飲んだ。
「朝陽さまの知り合いの、入院してる人?」
「そっちじゃなくて、漫画のオススメを人に聞く? 今ならネットで何でも分かるじゃない」
「Amezonのオススメが役にたった事がある?」
「……無い。無いね」
珍しく琴美が私の言葉に頷いた。
「この前も資料に甲冑本買ったら、すべて甲冑関係で埋まったよ。どこまで甲冑マニアだと思われてるんだろう」
「あるある。机かったら、机のオススメ並べられたりね」
「もう家に机があるのにね」
私たちは喫茶店で水が温くなるまで話した。
少しずつ頭の中が冷静になっていく。
人と話すことは情報を整理する中で重要だと本当に思う。
話しすぎて、日はとっぷりと暮れて、暗くなってしまった。
この時間になると鳳桜学院駅は、抜け殻のようになる。
私は慌てて「帰ります」と電話をして、駅に入った。車をここに呼ぶより、最寄り駅までは電車のほうが早い。
「さすがに誰も居ないね」
「幽霊屋敷みたいで怖いよ」
私と琴美は駅の待合室に入った。
そこで電車を待っていると、改札前に人影が見えた。
「朝陽さまじゃない?」
琴美が言う。
「え?!」
見ると、朝陽さまと、もう一人の影が見える。
「あれが美玲さまね」
琴美は興味津々といった雰囲気で言う。
朝陽さまと美玲さまが改札前に居た。
何より私の目が釘付けになったのは、朝陽さまが私服だということだ。
紺色のポロシャツに、ベージュのズボン。
「というとは?」
琴美は、んふ? ……と笑う。ということは、鳳桜学院の上にあるという別邸で着替えた……ということだ。
「着替え……?」
私はポツリという。
「着替えだけかしらね」
琴美は小さい声で重ねる。美玲さまは改札前で朝陽さまに手を振って、反対側のホームに歩いて行った。同時に電車が入ってきて、美玲さまが乗り込む。
朝陽さまは、いつも教室で見せるニコニコとした笑顔で美玲さまを見送った。
電車が走り出して、風と朝陽さまだけが残された。
朝陽さまに、さっきの笑顔はない。
むしろ何の表情もない、一見すると朝陽さまだとも思えない無表情さで立っていた。
ぼんやりと古いフランス映画を見るような、寝ているような起きているような、それでいて今すぐ消えそうな静かな表情。
そして踵を返して、駅の奥に消えていった。
「へえ……あれが桐子が言ってた顔ね」
「そう」
私は息を吐くような静かさで言った。
心の奥がザワザワと音を立てる。
深夜に何によって揺らされているのか分からない雑草のように、ザワザワと音を立てる。
私が知っている松園朝陽さまは、誰なのだろう。
教室で静かに笑う笑顔をよく知っている。
私が屋上で騒いでいたのをみて、涙をながして笑っていた笑顔も知っている。
おでこに触れた唇の柔らかさも知っている。背中に回された腕の太さも、指の長さも。
漫画を教えてくれないか? と私から目をそらした表情。
そしてキスされたときの冷たい目と、見送る冷静な瞳を、今日知った。
私が今見た松園朝陽さまは、誰なのだろう。
駅に電車が入ってきて、私たちは幽霊のように電車に乗り込んだ。
きっと鳳桜学院の駅に残された最後の亡霊は、松園朝陽さまだ。
あの静かな表情で、今も漂っているのだろうか。




