秘密のキスと空耳アワー
「よし、行くか」
私は図書棟のトイレで髪の毛を整えた。
本当に六階は誰もいない。トイレにも誰も居ない。六階の本は洋書や大型本が多くて、これを見たい人は、確かに少ないかもしれない。
でも甲冑大辞典とか、平安時代の衣装一覧とか、普通の図書館では閲覧できないようなものまで、ここは置いてある。
広い机に、誰もいない本の空間、籠もった古い紙の匂い。私にとってはパラダイスだけど。
六階のフロアを歩き、一番奥にある非常階段を登る。
日中なのに暗くて、少し涼しい。確かにここを上がるひとは少ないだろうなあと思う。
私は昔から秘密基地が好きで、昔の団地の裏山に自分専用の秘密基地を作っていたので、こういう暗くて狭い場所は突入したくなるんだけど。
「……ふう」
私はドアノブを握って、息を吐き出した。行こう。
重いドアを開けて、屋上に繋がる狭い部屋に入る。
そこには椅子と机が置かれていて、本が読めるようになっている。
そしてテラスで続く前面窓ガラス。なんとなくテラスを見ると、まだ朝陽さまは居ないように見える。
いや、でも前も全く気が付かなかったから、奥の方に居るのかも知れない。
私はガラスの扉を開いて、テラスに出た。
気持ちが良い風が吹き抜ける。ここは構造上、常に強風が吹いている気がする。
建物の一部だけ欠けて屋上になってるから。
奥の方に向かう。テラスは多くの木が植えられていて、丁寧に管理されている。
森の中を進むと、そこに人影が見えた。
ふたり。
朝陽さまと、女の人だ。
私は、一瞬固まった。
ふたりを確認する。
女の人は鳳桜学院の制服を着ていない。外部の人間? 図書棟屋上なんてマニアックな場所に?
女の人は朝陽さまに抱きついている。
短いスカートから見える美しい太ももと、膝裏と、まとめられた長い髪の毛。
これまた、私は最悪のタイミングで来たようだ。音を立てないように戻りたい。
そうだ、私は今忍者だ。レゴ・忍者・ゴーー!! スススス……と後退を始める。
ふたりとも私に気が付いてない。今なら見てなかったことにできる。顔も動かさず、後ろに移動していく。
でも私は二人から目が離せない。
女の人が背伸びして、朝陽さまにキスした。
おおおおお……人のキスシーンを見たのは初めてです!
一瞬立ち止まる。朝陽さまと綺麗な女の人のキスシーン、なんて絵になるんだ。
強風で女の人のまとめられた髪の毛がフワリと踊る。
……ん、あの髪型、ちょっとまってよ、顔の横に長めの髪が残ってて、高い場所でまとめられたポニーテールに独自のバレッタ……昨日見た……朝陽さまの婚約者の美玲さまじゃない?!
そうだと思うけど、自信がない。
本当にそうだとしたら、ここで会ってたのは、美玲さまだったんだ。なんて邪魔者、馬に蹴られて消えたい!
ススス……と下がっていると、パキッと枝に体が当って、音がした。しまった!
「……誰?」
女の人が、キスをやめて振向く。
私は石のように固まる。いっそ木に擬態したい。カメレオン薔薇苑になりたい。体が一瞬で緑色にならないだろうか。ならないですね。
女の人が歩いてきて、私を発見する。その凜々しい目と、切り揃えられた前髪と、垂れた横の髪の毛……やっぱり美玲さまだ。
「あの、すいませんでした!」
私は頭を下げる。こればかりは本当に謝って許されると思えないけど、もう頭を下げるしかない。
「貴女……、ひょっとして、朝陽と同じクラスの……?」
「朝陽さまと同じクラスの薔薇苑桐子と申します。すいません、のぞき見する気は無かったのですが」
「謝らないで、私の方が悪いわ。こんな所で……恥ずかしい、ごめんなさい」
美玲さまは私の顔を覗き込んで言った。
フワリと甘い匂いが漂う。これがお嬢様の香り……!
「あの、本当にすいませんでした」
顔をあげて、もう一度謝る。
「本当に私が悪いの。ごめんなさいね。じゃあ、朝陽、また連絡します」
美玲さまは朝陽さまの丁寧にお辞儀した。
そして歩き出す。
スッと私の真横に立ち止まり、小さな声で言った。
「朝陽に手を出したら、消すわよ、物理的に」
そして「失礼します」とだけ言い残し、ガラスの扉をあけて、階段を降りていった。
私は鳩が豆鉄砲くらったような表情をしたまま動けない。
何なに、何だって?
物理的に、消す。それはあれか、ポンとシュワワと消える感じ?
本当に聞こえた? 聞こえたよね? 空耳アワーじゃなくて? ポンと消える?
「まじっく快斗……?」
こんな時も私の脳内では、怪盗キッドさまが私を消している絵が浮かんでいる。いや、そうじゃなくて、もっと怖い話だろうと分かっているけど。
朝陽さまの前で言っていた言葉と、私の真横で言った言葉が違いすぎて、私の横に立っていたのは美玲さまじゃない可能性が出てきた。
「あの、朝陽さま、今の方は……」
「見苦しい所を見せてしまったね。僕の婚約者の柏木美玲さんだ。鳳桜学院の大学部に在籍中なんだ」
やっぱり。私は眉を寄せて、うーん……と考える。これは朝陽さまの前と、私の前では顔が違うパターン?
それとも聞き間違い? ……審議! 冷静判断者の琴美さまの審議が必要になります!
ここですべてぶちまけた場合、美玲さんをおとしめるわけで、私はそれを良いと思わない。
「どうしたの?」
朝陽さまが小さく首を傾げる。
「…………マジックショー的なことを考えてました」
「え?」
朝陽さまがキョトンとする。
「コナンの最新作の映画は面白かったです。コナンの劇場は常に巨大建築部を壊すので、絵が派手ですね!」
「え?」
朝陽さまが更にキョトンする。よし、このまま煙に巻こう。
「では!」
私は踵を返して、非常階段を降りた。
最新作は、本当に面白かったよ、業火の向日葵で見限らなくて良かった!
私は何度も首をふりながら、階段を駆け下りた。