クレド 4
「お嬢、通信が入っていますぜ!」
「リデル! あたしのことは、船長と呼べといっているだろうが!」
体格の良い男達が集まる操舵室の中に、凛とした女の声が響く。
聞けば誰もが竦んでしまいそうな気の強い声で怒鳴られたリデルは、その巨体にはらしからぬ気弱さで身を丸めつつ……機嫌を伺うように言い直す。
「せ、船長。通信がはいっています」
口調まで丁寧にさせる頼りがいの無い副官にため息を一つついて、女は船長席から立ち上がった。
「……誰だい?」
ヒールをガツンと床板に打ち付けて、引き締まった体を強調するようなシンプルな衣装の上に羽織ったロングコートをはためかし階段を降りる。
「ノルシリータです」
思わず目を奪われてしまう艶かしい姿態ではあるが、色気よりも凄みを感じてしまうのは男勝りの勝気な雰囲気と、右頬の大きな傷あとのせいだろう。
短く切られた緋色の髪、紅を引いた薄い唇に切れ長の琥珀の瞳。括れた腰に巻きつけた太いベルトには、船長であることを示すサーベルが下げられている。
雄々しい美貌をもった女船長……彼女が東海一と噂される空賊ロンバースの頭目だ。
「ノルシリータ? シューヴィッツ……あいつが?」
「あの、どういたしましょう?」
綺麗にそり上げた頭にうっすらと汗を滲ませ、明らかに不機嫌な様子のロンバースにリデルは恐る恐るといった感じで声をかける。
空賊同士、仲の良い者などほとんどいないのだが、ロンバースは個人的な感情も含めて、ノルシリータ……というよりもその頭目であるシューヴィッツ・ロアノークという男を敵視しているのだ。
「あいつの顔なんざ見たくもないが……まあ、いい。正面大水晶板に回しな」
「アイサー!」
カツッと床板を蹴って、ロンバースは青い空に埋め尽くされたフロントにつけられている画面に顎を向ける。
『やあ、クリスティナ。今日も君は綺麗だね……といっても君の姿が映像に写せないんで、私が勝手にそう思っているだけだなんだが、どうかな?』
「……」
間延びした声が響き……ロンバース。いや、クリスティナ・ロンバースは閉口した。
「リデル、切れ」
「アイ……」
『いやいや、ちょっと待ってくれないかな。大変なんだよ、ロンバース船長殿』
慌てて言い直してくる声にロンバースは嘆息して、回線を切らないようにとリデルに手で合図する。
「一体なんなんだい……って、画像が拾えてないじゃないか」
聞こえてくるのは飄々とした声だけで、姿が映るはずのモニターには何の反応も無い。
『ウチの通信機が映像を送れていないだけさ。受信もできないが』
参ったなと笑う声に混じって、『だから新しいのを買ってくれと言っているんだ!』と別の声が紛れ込む。おそらくはノルシリータの母艦ナグルファルの操舵を受け持っている副長ジャスティの声だろう。
「古代船にこだわるのは別に何も言わないがね、設備ぐらい……とくに通信機は現行船にあわせたらどうだい」
頬の傷を撫で――機嫌が悪い時のクセだ――ロンバースはため息混じりにそう言い放つ。
その言い分に、シューヴィッツは面白そうに笑みを含んだため息を漏らした。
『そうはいうが、基本的な船の性能は古代船のほうがいいんだよ? まあ、それはおいおい考えるとして……だ。問題はそれじゃない』
「言ってみな」
映像が無いのは、むしろ彼女にとっては好都合であるのかもしれない。声を聞くだけでも、はらわたが煮えくり返りそうなほどの苛立ちを覚えるのだ。この調子で、あの飄々とした顔まで目の前にあったのなら、事あるごとに腰につっている先代の形見でもあるサーベルを高価な水晶板に投げつけていたところだろう。
ロンバースは加熱しがちな己の理性を落ちつけるべく緩く息を吸い、シューヴィッツの言葉を待つ。
『うちの索敵装置が南方からやってくる不穏な船影を、時折ではあるものの捉えているんだが……そっちはどうなっている?』
口調は変わらないものの、声質は神妙なものにとって代わるシューヴィッツに、ロンバースはただならぬものを感じながら計器類を受け持つ細身の男に声を飛ばす。
「船影だって? そんなもの、こっちはなんにも……ベルディック」
「異常はありませんよ、頭」
とんだ言いがかりだと訴えるようなベルディックに頷き、ロンバースは何も映してないモニターを睨んだ。
「聞いてのとおりだ。
大体、そんなものを見つけたら、あんたに言われずともこっちでカタをつけにいくさ。
それにだ、南方の空域はセッダの担当だろう? 言いがかりをつけるならウチじゃなくそっちを相手にやってくれないか」
『セッダに回線がつながらなかったから、君のところに確認を取っているんじゃないか』
「つながらない?」
不審げに首を傾げるロンバースに、シューヴィッツはそうなんだと苦笑を零して続けた。
『どうやら仕事そっちのけで、お楽しみの最中らしくてね。
まあ、そのおかげでウチの若いモノがレイクアッドの近くまで忍び込めたみたいなんだが……どうやら君に打ち落とされてしまったようだな。
いやいや、参った』
「……ああ、さっきの小型艇のことかい?
なんだい、そんなことでロンバースに因縁つけるつもりかい?」
『まさか』
低く押しつぶした声で凄むロンバースを軽く受け流し、シューヴィッツは相変わらずの口調で一蹴した。ロンバースは、彼のこういったところが気に食わないのだ。
『まあ、壊された船の弁償ぐらいはしてもらいたいと思わなくもないが……空賊としてはそんなことを請求するなんて恥でしかない。
見つかるあいつらに落ち度があるだけで、そのことについて君をせめようとも思ってないさ。それに、これくらいで死ぬようなタマじゃないさ。あのやんちゃなお子様達はね』
するりと衣擦れの音が聞こえ、ついで響く落ち着いた靴音と共に、声は続く。
『それよりも問題なのは、南からの船影だ』
「だから、そんなものは無いと――」
『古代船であるナグルファルの索敵装置が捉えているんだ、クリスティナ』
「……どういうことだい?」
『相手も古代船。
そして、かなり質のいい妨害帆を装備できる船ってことだ。感度を最大にしても正確な位置をつかめないほどのな』
先ほどシューヴィッツの話に割って入った声が、ロンバースの疑問符に答えた。
空を航行する飛行帆船は大きく二つの種類に分けられている。
分かりやすい例を出せば、ロンバースの母船である現行船と分類されるハイサルートと、ノルシリータの母船であり古代船に分類されるナグルファルだ。
前者の現行船の多くは、流線型の形をしておりマストがないのが一番の特徴だろう。扱いやすさや整備のしやすさ、作られている帆の種類が多いという長所があるが、後者の古代船のような特質な能力はない。
古代船は大昔の海上船を模したマストのある飛行帆船のことをいい、計器の精度や出力、取り付けられる帆の数の多さなどのメリットがある反面、現代に古代船を作り出せる技術が残っていないので修理や整備が難しいという短所がある。
当然、主流は現行船であり、古代船に乗っている者は空賊を問わず稀有な存在だ。
「ナグルファルの索敵装置を? そんな装備を持つ船なんて、東海には……」
何の異常も無い計器を睨んでいたベルディックは、その表情に僅かな動揺を滲ませて言った。
「東海にはいない……と、なるとまさか、噂に聞く戦艦かい?」
『……話だけなら、そっちも知っているはずだと思うがね』
シューヴィッツの返答に、ロンバースはぎりっと奥歯を噛み締めた。
「ヴァラクタ。たしか、そんな名前だったね。船はヴィーグリーズ。
他人の縄張りを荒らしに来るなんざ、なめたまねしてくれるじゃないか。目的は……結晶下ろしの儀だね」
『ああ、奴らの狙いはおそらく、レイクアッドの大結晶だろう。聞いている噂では、奴らに沈められた浮遊大陸は一つや二つじゃないということだしね。
さっき言ったとおり、セッダはあてにならない……まあ、酒が入っていようといまいと彼等には荷が重過ぎる相手だろうね。
ここは君と……私、つまりはロンバースとノルシリータでどうにかするしかないだろう。ここらの空域には我々以外にまともに相手を出来そうな空賊はいなさそうだからな』
「共闘……かい? ったく、おめでたい日だね」
『そりゃあ、祭りだからね』
この期に及んでまだ余裕を残したシューヴィッツの声に、ロンバースは不機嫌に瞳を吊り上げ尖ったヒールで床板を蹴った。
「ふざけてる場合じゃ、ないね。
気に食わないが、そうするしかない……」
苦々しくそう呟いたロンバースは緩やかな雲海を割って現れた船影を睨み、その大きさに歯噛みした。
「か、頭! 前方に正体不明の船が一隻!」
「総員戦闘準備! よそ者にわたし達の空を荒させはしないよ!」
目視出来ているのにも関わらず、相変わらず反応の無い計器類に眉根を吊り上げ、ロンバースは前に出て腰につっているサーベルを抜き放ち、宣戦布告とばかりにその鋭い切っ先を突きつけた。