はじまり
…えっと…。
目覚めた目の前には、もう少しで吐息が触れ合いそうなくらい近くに、とてもよく見知った顔が存在している。わたし、リオルが知る限りでは、最も秀麗で、優雅な青年の顔。濃い碧の瞳にそれを縁取る長めの睫毛。真っ直ぐな鼻梁と艶やかな口元。そして、自分を見つめる熱を込めた眼差し。
そう、まるで最愛の恋人に向けるような。
ここで、通常なら、棚ぼたな状況に内心歓喜し、潤んだ瞳で青年を見つめ返しでもするんだろう。私だって、恋愛にのひとつや二つ、経験はないことはない。(……全部こういったシチュエーションにさえもならずに終わったけど。)
…でも、今のこの状況は、根本的におかしいと気づく。
「…あ、兄上?」
怖々尋ねると、目の前の美形は、目元を緩め、そして蕩けるような笑みで答えた。
「おはよう、リオル」
そしてそのまま、目覚めたばかりの妹の頬に、艶やかな唇を寄せキスをする。
「今日は一緒に朝食をとろう。料理長にリオルの好きなヴィシソワーズを頼んでおいたからね」
食べ物の誘惑に無意識で頷いたリオルを満足そうに眺めると、青年は颯爽と部屋から出て行った。
一方、残された妹は、決して目覚めからくる頭の鈍さだけではない、強制的に思考を真っ白にさせられる出来事に、動けずにいる。
ーいまの、なに?
まず、兄上が肉親とはいえ、仮にも女である私の寝室まで来るって初めてだし、なんだ、あの近距離は。
で、最後のが極めつけで意味わからない。
…親愛のキス、今ほっぺただけじゃなかったような…違うとこもかすって行ったような…
なに…?
…これってまだ夢の中だったっけ?ああ、それならそうと…
自己完結させようとしていたリオルに、無情にも別の声が飛んだ。
「おはようございます、リオル様。レイドルート様が昨晩遅くにお帰りになられて、リオル様と御朝食を御一緒されるとのことです。お支度にまいりました」
凛とした声が寝室に響く。リオル専属侍女のマイリカだ。
先ほどの一連の出来事が、夢の中ではなかったことに、リオルはますます冷や汗を流すことになった。