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メイク * 01

 気が付いたら、そこには中島の姿があった。いつだって、隣にいて笑っていた。少なくとも私は、笑顔でここにいた、そういう中島しか知らないのだ。


「あら、キサキちゃん、曲がってるわよ」


 中島が私へ顔だけを向けてそういった。その視線の先をはかりかねていると、中島が左手の人差し指を二回小さく動かす。その指の先を辿って、自然と自分の胸元へ視線が落ちた。


「あ? あぁ、ホントウだ」


 制服の、ただつけるだけのリボンが、なぜか左側だけ妙に上に引きつっていた。右肩にカバンを背負い直し、リボンを直そうと試みる。ところがなぜかうまくいかず、手を放すとまたびよんと左側だけが上に引きつった。


「くそったれ、リボンのくせして」


「もう、やーねぇ。すっかり寝惚けてるんだから」


 中島は隣で小さく肩をふるわせて笑う。

 私はしょうがなくつけるときに乱雑にしたせいでねじれたままになっているゴム紐を直しながら、右隣を歩く中島を肘で小突いた。それでも中島は変わらずにくすくすと笑うだけだ。


 社宅の家が隣同士の私と中島は、偶然にも同級生で、小学校も中学校も一緒に通った。毎日、同じ時間に同じ道を歩いた。けれど今年入学した高校はそれぞれ違う。中島は男子校、私は女子校で、その上電車も逆方向なのだけれど、所要時間に大した違いはないためか、今でも中島は毎朝私の家へ迎えに来る。

 最近では、私を起こすことまでもがすっかり中島の役目に変わった。

 顔を洗って、朝ご飯を一緒に食べて、制服に着替える。それから中島に化粧をされる。今ではそれが毎朝の習慣だ。


「んもう、折角かわいくしてあげたんだから、あんまり怖い顔しないの」


「あたしに化粧しようってのが無駄なワケ。わかれ」


「やーよ。こんな素材良いのにもったいないでしょう!」


 わけのわからない理屈を、中島は自信たっぷりに吐く。ほとんど毎朝、耳にタコができるほどに繰り返されてきたこの会話も、すっかり習慣の一部だ。


「じゃあ、せめてその言葉遣い止めろ」


「キサキちゃんがアタシのこと名前で呼んでくれるなら、考えてあげても良いわよ」


「は? じゃあキサキちゃんって呼ぶのヤメろよ」


「イヤーよ。キサキちゃんってかわいいじゃない」


「……もういいや」


 自分で会話をしながら、くだらないことを話しているな、と思う。

 けれどこれが私たちの日常で、習慣なのだ。

 毎朝同じ駅へ向かう道を、同じ人間と歩いていく。それを当たり前だと思っている。けれどいつまでも続くことではないと知っている。私は隣を歩く中島へ悪態をつきつつも、その習慣に安心している自分がいることを知っている。


 家から駅まで約十分の道のり。最後の曲がり角を曲がる。一番に見えるのはバスターミナルとタクシーが止まるための広い道路。その周りを囲むように歩道がある。


「キサキちゃん、今日も部活?」


「あー、うん。部活」


「終わるの何時だったかしら」


「……七時には、」


 終わるんじゃないかな、そう続けようと思ったとき、駅の入り口の柱に寄りかかるようにして立って、私達の方を眺めている視線を見つけた。


「弥生だ」


「あら、ホント」


 弥生とはいつもプラットホームで会う。それは特に約束をしているというのではなく、たまたま同じ時間帯に同じ車両へ乗っている、というだけなのだ。だからこうして、駅へ入る前にその姿を見るのは珍しい。


「どしたんだろ」


「どうしたのかしらねぇ」


 私の言葉に、中島はくてんと首を傾げた。


「まぁ、それならアタシは先に行くわ。またね、キサキちゃん」


 そういうと中島は私の頭に軽く手をのせるようにして二回叩いた。子供扱いを思わせるようなその行動に、私は軽く睨んでみせる。けれど中島はいつものようにへらりと笑うだけだ。


「あんまり怖い顔しないでよ、もう」


「うっさい」


 私はそれだけいうと、弥生がいる方へ向かって歩き出した。


「キサキちゃん」


 後ろから私を呼ぶ中島の声。ぴたりと足を止めて、ゆっくり振り返った。


「またね」


 にこりと笑って、中島はそういった。


「ん、またね」


 私は不機嫌な表情をしたまま、短くそれだけいった。それからすぐに弥生の元へと駆け出した。


「おはよ」私は短く声をかける。


「おはよう」


 眠そうな顔をした弥生から、普段よりはいくらか落ち着いた声で挨拶が返ってきた。落ち着いているというより、落ち込んでいるといった方が合っているかもしれない。


 西川弥生とは高校で出会った、同じクラスで、初めて出来た友人だ。最寄り駅こそ同じだが、中学校も小学校も違う。お互いの中学へは部活の事情で何度か行ったことがあるが、顔見知りというわけでもない。けれど弥生は私のことを知っていて、初めこそ根も葉もない噂のレッテルを貼られ嫌われていたが、今では良い友人関係を築いている。


「何してんの?」


「あのさ、」


 弥生は一旦口を開いて、何かをいおうとした。私はその後に続く言葉を待ったけれど、一向に弥生はしゃべろうとしなかった。躊躇うように目を泳がせて、そうして結局また口を閉じた。おかしな様子の弥生に対し、私は首を傾げる。


「あ、とさ。……あれ、咲にできるの、中島くんくらいだよね」


「あれ?」


「頭、ポンって」


「あぁ」


 さっきのことか、思って改めて弥生を見た。一般女性よりは身長が高い弥生だが、それよりも私は背がある。一般的な男性と同じくらいだろう。けれど中島は幼い頃からずっと、私より背が高かった。第二成長期に入ったときですら、私は中島の背を追い越すことが出来なかった。


 女子校に入学した今では、私より背の高い人間には絶対といって良いほど出会わない。強いていうなら、毎朝会う中島くらいだ。私の頭へ苦もなく手が置ける人間なんて、中島の他には早々いない。身長だけは両親に似なかった。


「え、てかそれがいおうとしてたコト?」


「あ……う、ん」


「ふーん」


 様子がおかしい、そう思った。けれど弥生は俯いて口ごもってしまう。何かいいたそうにしていることは確かだったけれど、迷っているように思えた。何かいえない事情でもあるのだろうか。


「ま、いいや。早く行こ。電車、来る」


 弥生が顔を上げるのを待って、改札へ足を向けた。いえるときに、いいたいときにいってくれればそれで良いのだ。

 後ろから弥生がついてくるのを横目でちらりと確認してから、私は定期入れの入っているカバン横の小さなポケットへ手を突っ込んだ。


「あ、」


「何?」


「古文のヤツ、忘れた」


 改札を通り過ぎながら、急にそんなことを思い出した。前回の授業で出されたプリントだ。確か、半分くらい解いたところで終わっている。


「江畑、あんなの絶対十分じゃ終わらないってわかって出してんだよ、もう……弥生、やった?」


「うん、やったよ。見る?」


「ホント? 助かるー」


「一問百円ね」


「ヤ、高いって!」


 いい合って、並んでホームへ続く階段を昇りながら、笑った。電車が来ることを告げるアナウンスが聞こえる。「あ、来るかね」


「大丈夫でしょ」


 そういいながらも、自然と早足になる。後四段というところで、白い機体に緑のラインが入ったいつもの電車が、スピードを緩めながら走っていくのが見えた。


「ギリじゃん」


「ホントだ」


 いいながら苦笑いを浮かべて、階段近くの乗車口からはひとつ隣の車両の、一番近い乗車口へ早足で乗り込む。いつもの位置だ。弥生と一緒に乗り込んだところで、ドアは閉まった。


「結構ヤバかったね」


「うん、ちょっとびっくりした」


 少しばかり息が切れていたが、それもすぐに元に戻る。伊達に運動部をしているわけではない。


「今日古文何限だっけ?」


「えーっと、確か、三限じゃなかったっけ」


「あ、水曜か」


 視線が上の方を泳ぐ。中吊りの広告が視界を掠める。それから確認するように弥生へ目を合わせようとして、別の方向を向いていることに気がついた。


「どした?」


「あ、イヤ。……咲」


「ん?」


「あの人、また見てる」


 そういいながら、弥生はさっき見ていた方とは逆へ首を動かした。私はゆっくり、弥生が今まで見ていた方向へ視線を動かす。私と弥生がいるところとは対極線上にあるひとつ隣の乗車口へ。そこには同じ制服で、肩を覆うほどの長い髪には綺麗にパーマをかけている、彼女が今日も立っていた。


 彼女は真っ直ぐにこっちを見ていたようだが、私が何気なく視線を向けると慌てたように逸らした。


「ホントだ」


 特に感動もなく、そう呟いた。それから弥生へ向かって視線を戻し、小さくため息をついた。


「別に、見たいなら見てればイイよ。害ないし」


「でもさ、なんかストーカーみたいじゃん」


「……あぁ」


「気持ち悪くないの?」


 自分でも声が低くなったのがわかった。弥生は彼女を不審そうに横目で見ている。視線が落ちていく。


「ごめん」


「へ?」


 電車が走る轟音がうるさい。弥生の声が聞き取れなくなった。一瞬思い出した映像がまだ意識の大部分を占めている。


「なんかいった?」


「イヤ、ちょ、目ぇ怖いって」


 いわれて私は驚いてしまう。なんていまさらなことをいい出すのだろうか。


「んなこといわれても……つり目なの、今に始まったことじゃねーじゃん」


「そうじゃなくて、なんか怒ってる?」


「別に、怒ってないけど?」


 弥生のいうことが理解できずに、私は小さく首を傾げた。「そっか」弥生はゆっくり視線を落とす。


「怒ってるように見えんの?」


「イヤ、違うならイイって、気にしないで」


「……ん」


 わからないまま返事をした。そのまま電車の外へ目を向ける。流れて、置いていかれる景色。見たことのあるような街並み。いつも思う。電車の速さに、戻れないのだと。停車駅のない電車に乗っているんじゃないかと、思う。生きているっていうのはそういうことなんじゃないかと、考えてしまうのだ。


「咲、あのね、今日、ヒマ?」


 声にはっとして、弥生へ顔を向ける。


「部活の後、ってコト?」


「そ、ヒマ?」


「まあ、予定はないけど……」


 そう返事をすると、弥生は困ったように寄せた眉はそのままで、私を見上げるように顔を上げた。


「じゃ、ちょっと付き合って」



***

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