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5 「今は子どものままで」


ここから少しだけ過去編スタートです。

ちょっと長めです。


-----------


上手に我が儘が言えない子だから、


絞り出すようなささやかな声で、あの子が呟く「お願い」を


あのときの僕はなんとしても叶えてあげたかったんだ。


----------






今から六年前、当時悠紀生は都内の芸術大学に通う声楽科テノール専攻の二年生だった。


父はテノール歌手で、母はピアノの先生兼、調律師。同じ大学に通っていた縁で結婚に至ったのだと、馴れ初めからプロポーズまでの経緯をとうとうと語るのがワインでほろ酔いになった時の父の口癖だ。


そんな父には幼馴染みがいた。

それが万里の父親である響一郎だ。

悠紀生が大学に通い出す少し前に響一郎一家が隣に引っ越してきて、それからは週に一日二日の割合でお互いの家で酒盛りをするのがお決まりの日課になっていた。

大学に通い出した悠紀生が父親同士の歓談に混じるようになったのは自然な成り行きだった。


父と響一郎と、自分と。


その三人で酒盛りをしていると、決まって側によってきたのが当時まだ小学生だった万里だ。


最初は父親である響一郎の足の間で良い子にしているのだが、酒が進んで父親達が段々と酒臭くなる頃合いに悠紀生の隣にやって来る。


何を話すのでもなく、黙ってニコニコと父親同士の話を聞いて、たまに悠紀生を見上げてはコロコロと鈴のように笑うのだ。

そのうち眠くなるとこっくりこっくり船を漕ぐのだが、話に熱中した父親たちはなかなか気づくことがない。


このまま少女の隣で彼女のつっかえ棒になっているべきか、それとも和を乱してでも少女を寝台に連れていくべきか。

そんな風に悠紀生が悩みだす頃合いに、いつも助け船を出してくれるのがお隣の奥さんである愛子だった。


「万里ちゃん、万里ちゃん。もう眠いんでしょう? お布団に行こうね。」


「………んー。」


眠気で頭が揺れているのか、頷いているのか。

微妙な加減で返事をした万里だが、「うん」の言葉とは反対に、万里は力の入りきらない両手で悠紀生の右腕を必死に掴む。

その感触のくすぐったさに悠紀生はクスリと笑って、傍らに立った愛子が伸ばす手を遮った。

そして既に半分夢の国へと旅立っている万里をそっと抱えると、愛子に囁くように密やかな声で言った。


「いいですよ、もう寝ちゃってるんで。愛子さんだと抱えていくの重いでしょう。お姫様は僕が連れていきます。」


「フフフ、いつも悪いわね。」


二階へ万里を連れていく悠紀生の傍らで愛子が微笑む。こうして悠紀生が最後に万里を寝台に連れていくのもいつもの流れになっていた。


「いえいえ、いつも美味しいお裾分け貰ってますから。」


「あ、そうそう。そのお裾分けなんだけどね!最近、万里にも糠床与えて教え始めてるの。」


「え?万里ちゃんも糠漬け漬けてるんですか?」


「そうなの、しかも結構筋が良いのよ。」


「へぇ、じゃあ近いうちに万里ちゃんの糠漬けがたべられますかね。」


「フフフ、かもしれないわねー。」


「それじゃそのうちお姫様からご褒美が貰えるのを楽しみにしておきますよ。」


悠紀生は万里の部屋に入るとピンク色に彩られた小柄なベッドに万里を寝かせた。

そのまま部屋に戻るとリビングは宴もたけなわで、父も響一郎もすっかり出来上がっていた。

席に座った悠紀生に響一郎が声をかけた。


「おお、いつも悪いね悠紀生君!あの子ももう四月には4年生だし、重かっただろう。」


「いえいえ、お姫様の世話役なんて光栄ですよ。それより、父さんそろそろお暇しないと。いい加減日付が変わる時刻だよ。」


「おお!もうそんな時間か。いやぁー遅くまで悪かったねぇ愛子さん。」


「いえいえ、こちらこそ悠紀生君が万里の面倒見てくれて助かりましたよ。」


悠紀生の父は酒の回った顔でふらふらとしながら立ち上がり響一郎に声をかけた。


「それではお邪魔したね、次はうちに飲みにおいで響ちゃん!」


「ああ、愛子と万里を連れてお邪魔するよ!」


悠紀生は父を傍らで支えて立ちながら愛子に声をかけた。


「それでは夜遅くまで失礼しました。また近いうちにお邪魔します。」


「あっ!待って待って!悠紀生君お土産忘れてる!」


「お土産?」


「もうそろそろ悠紀生君の家のストックが切れる頃でしょ?これ、新しい糠漬け!」


「ああ!わざわざすみません…………あれ?」


手渡された紙袋を除くと、おそらく愛子が漬けた糠漬けが入っているであろう大きめのタッパと、もう一つ。

不器用にラッピングされた手のひら大のタッパが入っていた。


「愛子さん………これ。」


「あ、気づいた?それ、万里から悠紀生君にだって。」


愛子は楽しくて仕方がないと言いたげな表情で娘の精一杯のラッピングを手に取り、悠紀生に手渡す。


「直接渡したら?って言ったんだけどね。どうやら恥ずかしいみたい。お母さんの紙袋の中に入れといてーー!って。」


「これってまさかさっきの…。」


「そ、うちの可愛い娘が漬けた糠漬け。女の子があげるプレゼントが糠漬けってのもなかなかズレてるけど。大丈夫!愛子さん直伝の糠漬けよ?ちゃんと味見もしてあるから。」


「ハハッ、有り難く頂戴致しますよ。」


「ちゃんと一人で食べてあげてね………っとと。」


悠紀生の肩を叩こうと一歩前にでた愛子がよろける。頭がふらつくのか片手を額に当てて暫くうつむいていた。


「愛子さん、大丈夫ですか?」


「………ありがと、大丈夫。ちょっと疲れ気味なのかしら?」


最近、愛子は週に三日のピアノ講師もしながら同時進行でピアノリサイタルの公演もしている。ここ数日その準備のために奔走していたので、疲れが出るのも仕方がないのかもしれなかった。


「ここ数日お忙しそうでしたもんね。暫くゆっくりされてください。」


「そうね、暫くは公演の予定もないし!久々に万里とゆっくり過ごそうかしら。」


「万里ちゃん喜びますよ。」


最近母親とゆっくり過ごせず、そうとは言わないまでも万里が寂しがっているのを悠紀生は知っていた。


(きっと、暫くはお役御免になっちゃうかな?)


悠紀生は万里が喜ぶ様を想像してつい笑みを零ぼした。

すると玄関のほうから父の帰りを促す声が聞こえてくる。


「いけない、引き止めちゃったわね。おやすみなさい、悠紀生君」


「そんな、こちらこそ糠漬けありがとうございました。おやすみなさい。」


それじゃ、と悠紀生はお辞儀をして響一郎の家を後にした。





***********







自宅に帰り、部屋に戻った悠紀生は早速、先程のプレゼントを開けた。

どうやら中身は本当に糠漬けらしい。タッパを開けると少し歪んだ切り口の糠漬けが小さいタッパにぎっしりと詰まっていた。

箸も楊枝も持ってきていなかったので悠紀生は素手で一つ摘まんで、糠漬けの大胆な切り口を眺める。


「万里ちゃんが切ったんだろうな……。」


でなければ、これほどまでに厚さがまちまちになるはずがない。

指でも切ってはいやしないだろうかと一瞬不安になったが、よく考えれば先程の宴会の間では万里の指はすべて無事に存在していた。


今でこそ悠紀兄ちゃんと呼んで慕ってくれているが、それも後何年なのか。

年頃になったらきっと今のようにはいかないだろう。

そう思うと、なんだか寂しいような気もした。


悠紀生は手にもった糠漬けをゆっくりと食べる。


(それまでは、あの子のお兄ちゃんでいよう。)



「あ、結構うまい。」






**********



春の日和のような毎日が、このまま続いていくんだと思っていた。

あの子の笑顔はこのまま耐えることがないと。


そんな現実が覆えされたのはそれから二週間後の話だった。




あれ?話が進んでない?

ミュージカルどこ行ったとか突っ込まないであげて下さい…(泣)


(2014年7月8日追記)

大好きなミュージカル、「二都物語」より。

サブタイトルにミュージカルナンバーの曲名をお借りしました。

因みに現在の法律では歌のタイトルには著作権はありません。

例外は商標登録されている場合ですね。

これからは時々、好きなミュージカルのミュージカルナンバーの曲名を話のサブタイトルにしていきたいと思います。

よろしくお願いします。

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