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冽空の刹那  作者: 蒼原悠
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第四章 十二月二十日


 昨日の夜、あんな言伝てを聞かされた俺。

 もちろん、行く義務はない。むしろ俺には作りかけの動画を完成させて、アップロードする方が重要だ。あんなガキに時間を割いてやる義理はない。パソコンの青白い画面を前に、確かに昨日の俺はそう考えた。


 が。

 今日、俺はまたあの場所に立っている。

 銀杏大学病院の前のバス停に。


 なんだろうね、やっぱり心配なんだろうな。

 病院の精神科医に診てもらえるって聞いただけで俺の手から離れたような気がしてたけど、むしろ離れてなかったのは俺の方だったって事なんだろうか。結局ひばりの顔が頭から消え去る事なんてなくて、ため息も消えなくて。

 だから今、ここにこうして俺はやって来た。午前中のうちに死に物狂いで完成させた作品を動画サイトにアップロードしてから来たから、もう冬の陽はだいぶ西に傾いている。黄色い夕焼け、とでも形容すれば分かりやすいか。

 ひばりが何をする気か俺には皆目見当がつかなかったが、何にしてもシチュエーションは悪くない。俺は、夕焼けが好きだ。あと少しで山の端に消え、この街での存在を失ってしまう今際、最期とばかりに美しいオレンジ色に輝くその姿が──おっと、こんな言い方したらひばりと同類になっちまう。


 ロビーに入ると、俺は真っ直ぐエレベーターに向かった。

 ものすごい表情でここを猛ダッシュしてた昨日が懐かしいな。エレベーターの上昇の遅さに、イライラして握った手すりの冷たさ。あれから変わったのは、俺の心の余裕だけか。

 八階に着いた。

 803号室の扉を、ゆっくりと開ける。ベッドの上に、ちょっとぶかぶかの真っ白な病院服を着たひばりが、向こうを向いて座っていた。その隣には、井之と思しい成人女性の姿が。

 なんだ、話し中だったのか。

 「あ、冨士ちゃん来ちゃった!」

 スライド音で気づいたらしく、ひばりは振り返った。

 「……来ちゃったってのはどーゆー意味だ」

 睨むが、ひばりにはまるで効かない。むしろ、ようやく気づいて振り返った井之の腕にしがみついてキャッキャ言っている。

 ……やっぱこいつ、自殺願望あるようには見えないよな。

 次の瞬間。例の満面笑顔で、ひばりは言った。

 「ねー、冨士ちゃんが来たから約束通り、屋上行きたいなー」

 屋上!?

 ひばりが屋上って言うとしたら────

 俺は井之を見た。彼女は相変わらず蚊の鳴くような声で、「す、すみません……昨日の夜に、富士見さんがいらしたら屋上へ行くと約束してしまいまして……。私も行くのでその……飛び降りは大丈夫だと……」

 ……まあ、それなら大丈夫、なのか。

 頼りなさげな井之と自分を見比べる俺に、ひばりが話しかける。「ね、冨士ちゃんアレ入れてきてくれた?」

 アレ? ああ、アレか。

 「入れてきたよ。GreenPeaceの「MOMENT」でご注文は宜しいですか?」

 「宜しい!」

 態度でかいな。



 キンコーン。

 ベルが鳴って、扉がするすると開いた。エレベーターを一歩出た途端、視界いっぱいに金色の世界が広がる。ガラスに囲まれたエレベーターホールには、冷たい外気が立ち込めていた。

 「眩しいなー……つーか寒い…………」

 俺が呟くと、井之が反応した。「十一階相当ですからね……」

 そりゃどうりで、風が吹きまくるわけだ。ガラスのドアを押し開けながら、俺はコートを掴んだ。

 そこが、外だ。

 「わ、綺麗…………」

 ひばりの声が、風の吹き荒ぶ合間に聞こえた。

 ……この辺りは大きなビルが少ないせいか、かなり遠くまでが一望できる。澄んだ冬の空気ともなれば、その眺望はさらに美しい。


 こんな世界も、あったんだ。そう思えるくらい、そこはやさしい光に満ちていた。


 「井之さん」

 ひばりの声がした。

 「冨士ちゃんと、二人っきりになりたいの。だから、先に下に降りててほしいな」

 「えっ……」

 声にならない叫び声を上げる俺。と、井之。

 「なんで井之さんいたらいけないんだよ?」

 尋ねても、ひばりは頑として譲らない。「ダメ。私、富士ちゃんだけにここに残ってほしい」

 その井之が、俺の耳元に吹き込む。

 「…………富士見さん、万が一……」

 「……分かってます」

 俺もヒソヒソと返した。「大丈夫ですよ、止めて見せますから。小学生の力に負けるほど俺も鈍ってません」

 頷くと、後ろめたそうに何度も俺たちを振り返りながら井之はエレベーターホールへと消えて行った。

 ……腹を決めた。絶対に、俺はひばりを飛び降りさせないって。そのために、俺はいるんだろうから。

 「……冨士ちゃん?」

 「は、はい!」

 泡を食った俺が後ろを向くと、ひばりは不思議そうな目で俺を見ていた。純真無垢な、その目で。

 ひばりの表情には、余計な含みが一切ない。嬉しい時は笑うし、悲しい時は悲しい顔をする。

 ……ただし、自殺を仄めかす時のあの不気味な笑みを除けば。

 そんな事を一頻り思った後、

 「──で、わざわざここに来たのはなぜなんだ」

 俺は尋ねた。病院服の端を弄りながら、ひばりは答える。

 「うーん、ここじゃなくても別にいいんだけどね。ただ何となく、景色いいなーって思って。いや?」

 「別に、嫌って訳じゃねーよ。ただその……お前その格好で寒くはないのか」

 「…………実はちょっと寒いの」

 実はも何も、そんなにカタカタ震えてたら誰だって分かるよ。はあ、と息を吐き出すと、俺はコートを脱いだ。多少温まってはいるだろう、それをひばりの肩にそっと掛ける。

 「……ありがとう」

 ひばりはそう言って、コートをぎゅっと掴んだ。そんなに寒かったんなら早く言えよ、と正直俺は思ったが、何も言わないでおく。

 ついでに言うと、コートを貸したせいで今度は俺が寒い思いをしてるんだが。

 「……どうするんだ?」

 いつまでもコートを擦っているひばりに、焦れったくなって俺は聞いた。ようやく気づいたようにひばりは俺を見て、今度は俺の持ってるスマホを見る。

 「……冨士ちゃん、あの曲入れてきてくれたんだよね」

 「さっきも言っただろ」

 「それ、流してほしいの。ボリューム思いっきり大きくして」

 「は?」

 思わず俺は尋ね返した。うん、とひばりは頷く。

 「いいのか? 音そんなに大きくないぞ?」

 「いいの。とにかく、流して」

 ?

 何だかさっぱり分からないが、言われた通り俺は音楽アプリを起動した。そして、再生ボタンをタップした。


 GreenPeace。

 リアルな歌詞とハスキーボイスで数年前に大ブレイクを経験した、四人組歌手グループだ。今回俺が持ってこいと頼まれた「MOMENT」は、そんな彼等を代表する曲の一つ。ドラマの主題歌として歌われたそれは、美しい旋律と高い歌声が自慢の歌だったはずだ。

 これを、どうすると言うんだろう。


 流れ始めた、刹那。

 ひばりは突然、コートを握っていた手を離した。ちゃんと袖を通しているので、吹っ飛びはしない。

 そして、深く深呼吸。

 いや、違う。ひばりはただ、息を吸っただけだ。

 まさか。


 『♪……光の差さない 闇の中で』


 歌った!

 「おま………………」

 声をかけようとしたけど、止めた。口を大きく開き、あのGreenPeace特有の高い音色を放つひばりの表情は、真剣そのものだった。


 『僕は叫んだ

 raison d'être of my blood

 raison d'être of eternity』


 光の色は今や、オレンジ色へと変わりつつあった。

 冷たい風の吹き荒れる世界の中で、ひばりは時にやさしく、時に強く歌う。単純に、上手い。それも凡人の域を突き抜けて。

 それは、たった一人の聴衆たる俺の心を動かすには、強すぎる歌声だった。


 『なぜ、振り返る事は出来ないの?

 なぜ、戻ってはいけないの?』


 呆気に取られたような顔でその光景を眺める、俺。それに気がついたのか、ひばりは俺を一瞬目の端で捉え、

 微笑んだ。


 『愉しかった日々が

 晴れやかだった陽々が

 残滓の靄へと消える前に 届いてほしかったのに』


 その瞬間。

 俺は何かに気がついた。


 ひばりだって、どこかでは生きていたいんじゃないのか。

 強く……生きて行きたいんじゃないのか。


 ひばりが自殺しようとする理由を、俺はまだ深くは知らない。だけど、ひばりの思考回路は少しずつ理解できてきた気がするんだ。

 本当は、思っている事は色々あって。だけど一度「生きてる意味なんてない」って言ってしまった以上、今更撤回する訳にもいかなくて。

 それが、この歌を選んだ理由なんじゃないだろうか。


 俺とお前の、関係だろ。

 隠していた事なんて、誰も責めないよ。

 だから、ちゃんとお前の口で言ってくれよ……。


 『Maybe we all wished to bright

 Maybe we hoped to days of delight

 助けがほしい 光がほしい

 刹那の風に消え行く my crying song』


 少し白いひばりの肌が、煌めく夕陽に照らされて光る。声に力を込めるたび、小さなその歌手は身体を小さく屈め、腹に息を溜める。バックの街へ雲の木漏れ日が降り注ぎ、ひばりの背景となる。

 そこはさながらに、本物の歌手のステージのようで。

 その中で独り、時折強くなる風に耐えながら歌い続けるひばりは、

 羨ましくなるくらい、輝いていたんだ。




 五分後。

 「MOMENT」の再生は、終わった。スマホの電源を切った俺は、座り込んでしまったひばりの横にしゃがみ込む。

 「大丈夫か? 疲れただろ」

 ぶんぶんと首を横に振るひばり。「ぜんぜん!」

 「一秒でバレる嘘つくな」

 ちょっと乱れたコートをそっと直してやると、俺はひばりの肩に手を添えた。

 気恥ずかしいけど、しょうがない。きっと言ってほしいんだろうからな。

 「歌、上手かったよ。お前にあんな特技があるなんて知らなかった。ありがとな」

 途端。

 ふっと力が抜けたように、ひばりは俺の足元へと崩れ落ちた。

 そうなるだろうと思ってた。でも助け上げる事はせず、代わりに俺は横に座り込んだ。

きっと、ひばりは自分で立ち上がりたいだろうと思った。少なくとも俺なら、そう考えるだろうし。

 「……お疲れさま」

 頭に手を置くと、ひばりは俺へと目を向けてくる。

 「ちゃんと、歌えてた?」

 「ああ」

 俺はその時、笑ってたような気がする。「ちゃんとも何も、売りに出来るくらい歌えてたさ────」

 待てよ。

 売り。

 「そうだ、ミュージックビデオ録らないか?」

 たった今思い付いたばかりの素晴らしいアイデアを、さっそく俺は提案した。

 「俺、うちにビデオカメラがあるんだ。映像編集ならお手の物だし、ひばりの歌を世界へ発信する事も出来る。さっきのをもう一度歌ってくれるだけで構わない」

 そうすれば、俺は映像作品制作のいい経験になる。ひばりは得意な歌を世界中の人に楽しんでもらえる。そうだ、そうすれば────

 「……断って、いい?」

 独り皮算用に耽る俺に、ひばりは少し遠慮がちに言った。

 え?なんで……?

 俺から視線を外し、小さな歌手は続ける。「私、冨士ちゃんにだけ聞いてほしかったの。井之さんには聞いてほしくなかったし、他の人たちにも聞いてほしくない。冨士ちゃんだけには、私の気持ちが分かってもらえるって思うから」

 私の気持ち……?


 「……私ね」

 起き上がって体育座りすると、ひばりは膝に顎を押し付ける。

 「…………前は、アイドルになってみたかったの」

 「アイドル?」

 尋ね返すと、モゴモゴとひばりは言う。「うん。あんな風に、みんなの人気者になれたらなあって。だから独りで隠れて、歌の練習とか踊ってみたりとかやってみてたの。でも、何でだろう。飽きちゃったんだ…………。私、下手だし……」

 「……お前の年であの歌歌えるなら、ひばりは十分上手いと思うんだけどな。それに、久しぶりなんだろ? それであの出来なら、すげえじゃん」

 半分建前、半分本音のつもりで俺は呟いた。

 膝に顔を埋めるひばり。

 「……でもね」

 くぐもった声が聞こえる。

 「……ホントは、ちょっと嬉しかったの。冨士ちゃんに、そう言ってもらえて」

 …………そりゃ、よかった。

 「ホントだよ?」

 信じていないとでも思ったらしく、ひばりは俺の片腕を掴んできた。やめろ、そんなに近いとなんか気恥ずかしい。

 「疑ってなんか、ねえよ」


 ひばりはその時、顔を上げた。

 その面は俺じゃなく、どこか遠くへと向いていた。だけど、横顔を見て俺は確信したんだ。


 ああ、

 これがひばりの、心から笑った顔なんだって。


 安らいだ顔なんだって。


 「…………冨士ちゃんが、どうしてもって言うなら……」

 黙って見ていると、薄桃色の口がふいに開いた。

 「もう一度だけ、挑戦してみようかな…………」

 「アイドルにか?」

 ちょっと間を空けて、ひばりは頷く。

 「オーディションとか、受けてみようかな……」

 ああ、ぜひしてくれ。


 俺は、本気でそう思った。願った、と言ったって過言じゃない。


 心配になったのか、戻ってきた井之が声をかけてくるまでの十分間。俺とひばりは二人して、空を眺めていた。

 或いは、夢を見てたのかもしれないな。







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